草津宿本陣
東海道五十三次の52番目、草津宿本陣へやってきました。
それにしても、この雨…(;・∀・)
台風11号接近中とはいえ、何もここまで降らなくても・・・。
しかし、さすがは京の都を前にして東海道・中山道の二大街道が合流する宿場町、草津。
その本陣の規模も見事なものでした。
上段の間
ところで今回、草津宿本陣を訪れた一番の目的はこちらの大福帳(歴代当主が利用者名や下賜金、奉公人への給金の事などを記録したもの)です。
※実物は撮影できないのでパンフより
慶応元年(1865)、江戸での新規隊士募集を終えて京に戻る途中だった新選組の面々が泊った時の記録です。
一 新選組
土方 歳三様
斎藤 一様
伊東甲子太郎様
藤堂 平助様
右上下三拾弐人弐百五拾文宛
・・・云々(以下、暗記し切れずww)
とあります。
その他、会津藩主・松平容保も京都守護職として上洛する際に休憩で利用していますし、十四代将軍家茂に嫁ぐ皇女和宮、徳川慶喜、天璋院篤姫、シーボルトなど、錚々たる面々が利用しています。
面白いところでは、忠臣蔵で有名な松之廊下事件が起きる2年前、当事者の浅野内匠頭と吉良上野介が僅か9日違いで利用した記録も残っているそうです。
本陣の裏手に回ると、土塁や堀のようなものがまだ残っていました。
(御除ヶ門周辺)
そして、ここが東海道と中山道が合流する地点。
左のトンネルの先が中山道で、右が東海道。真ん中に追分の道標。
江戸時代の図会に描かれた追分。
現在はトンネルになっている中山道も、当時は堤を越えて渡っていた様子が分かります。
追分の道標
左 中仙道みのぢ
右 東海道いせみち
図会とは微妙に位置が違う気もしますが、高札場も再現されています。
追分の真ん中には、こんな素敵なマンホールも♪
こちらも草津のマンホール。道標ですね。
脇本陣跡に建つお店の名は…☆
草津宿街道交流館
最後にこちらにも立ち寄りました。
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