近江屋
台風11号に足止めを食らった結果生じた、全く以って予定外の旅の3日目(笑)
この日は基本的に東京へ戻るだけなのですが、折角京都にいることだし、ちょっとだけ散歩しよう・・・

ってことで訪れた坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地、近江屋跡
地図

場所はこちらになります。
慶応3年11月15日、京都河原町の醤油商・近江屋に滞在する坂本龍馬の元へ、陸援隊のリーダーで同じく土佐脱藩の中岡慎太郎が訪れ、種々談判していました。
そこへ夜になって十津川郷士を名乗る刺客が襲い、龍馬はほぼ即死、中岡慎太郎も2日後には息を引き取りました。

跡地は現在お寿司屋さんになっており、隣は喫茶店。
折角なので私も珈琲をいただきました。龍馬がいた近江屋(跡)で朝の一服(笑)
異変に気付いた近江屋の家人が土佐藩邸へ知らせに走り、谷干城らが駆け付けますが、現場は既に刺客の去った後でした。

土佐藩邸跡の碑
近江屋からも近く、距離にして100mもないくらいでしょうか。

更に、近江屋跡と同じ通り沿いには中岡慎太郎寓居跡の碑も。
この時の十津川郷士を名乗った刺客、つまり暗殺犯は佐々木只三郎率いる京都見廻組というのが、現在では確実視されています。
霊山歴史館には龍馬を斬ったと伝わる、見廻組肝煎・桂早之助の脇差も展示されていました。

そして、霊山護国神社に祀られた坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓。
本当は他にも三条大橋や池田屋跡、古高俊太郎邸址などへも行ったのですが、それらの写真は既に更新済みの別の記事でUPしましたので、ここでは割愛します。
それにしても鴨川に沿った三条から四条の辺りにかけての一帯は特に、幕末~明治の大きなうねりを生んだ多くの歴史事件の現場になっていたのですね。
さて、では東京へ帰ります。
今回も歴旅の記事にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
この日は基本的に東京へ戻るだけなのですが、折角京都にいることだし、ちょっとだけ散歩しよう・・・

ってことで訪れた坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地、近江屋跡
地図

場所はこちらになります。
慶応3年11月15日、京都河原町の醤油商・近江屋に滞在する坂本龍馬の元へ、陸援隊のリーダーで同じく土佐脱藩の中岡慎太郎が訪れ、種々談判していました。
そこへ夜になって十津川郷士を名乗る刺客が襲い、龍馬はほぼ即死、中岡慎太郎も2日後には息を引き取りました。

跡地は現在お寿司屋さんになっており、隣は喫茶店。
折角なので私も珈琲をいただきました。龍馬がいた近江屋(跡)で朝の一服(笑)
異変に気付いた近江屋の家人が土佐藩邸へ知らせに走り、谷干城らが駆け付けますが、現場は既に刺客の去った後でした。

土佐藩邸跡の碑
近江屋からも近く、距離にして100mもないくらいでしょうか。

更に、近江屋跡と同じ通り沿いには中岡慎太郎寓居跡の碑も。
この時の十津川郷士を名乗った刺客、つまり暗殺犯は佐々木只三郎率いる京都見廻組というのが、現在では確実視されています。
霊山歴史館には龍馬を斬ったと伝わる、見廻組肝煎・桂早之助の脇差も展示されていました。

そして、霊山護国神社に祀られた坂本龍馬・中岡慎太郎のお墓。
本当は他にも三条大橋や池田屋跡、古高俊太郎邸址などへも行ったのですが、それらの写真は既に更新済みの別の記事でUPしましたので、ここでは割愛します。
それにしても鴨川に沿った三条から四条の辺りにかけての一帯は特に、幕末~明治の大きなうねりを生んだ多くの歴史事件の現場になっていたのですね。
さて、では東京へ帰ります。
今回も歴旅の記事にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
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