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2014年8月12日 (火)

山中の猿 -織田信長の慈悲-

四国・近畿地方が台風11号の猛威に震えた8月9~10日の週末、予報と睨めっこしながら散々に迷ったものの意を決し、近江~京都への旅へ出かけました。

※本来であれば今回の旅の一番の目的は、安土城跡で9日夜に行われる筈だったライトアップ・イベント「安土城盂蘭盆会」でしたが、台風接近の影響で出発前日の8日には中止が決定していました…。
残念ですが致し方ありません。盂蘭盆会は来年必ずリベンジします!

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8月9日の午前10時30分、この日いろいろと案内していただくあっぴん。さんとの待ち合わせ場所である関ヶ原に到着。
でも、今回は関ケ原合戦陣跡巡りはしません。で、まず向かった先は・・・

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山中宿
関ケ原合戦時における大谷吉継陣跡のすぐ裏手にあります。

以下「信長公記 巻八 山中の猿御憐愍の事」より抜粋
※巻八は天正3年(1575)

美濃国と近江の境に、山中と云ふ処あり。道のほとりに、頑者雨露にうたれ、乞食して居たり。京都御上り下りに御覧じ、余りに不便におぼしめし、総別、乞食は住所不定なるに、此の者は、何もかはらず、爰にある事、如何様の子細あるべきと、或る時、御不審を立てられ、在所の者に御尋ねあり。』

美濃と近江の境に位置するここ、山中(地名)の道端に、障がいを持った乞食がいました。
本国美濃(天正3年当時)と京都を往復する度にこの乞食を見かけて不憫に思い、
「本来、乞食とは住所不定なはずなのに、この者はいつも変わらずこの同じ場所にいるのは何故か?」
と不審に思った織田信長は、土地の人間に問い質します。
問われた土地の者はその由来について、こう答えます;

『昔、当所、山中の宿にて、常盤御前を殺し奉り侯。其の因果に依つて、先祖の者、代々頑者と生まれて、あの如く乞食仕り候。山中の猿とは、此の者の事なり』

「昔、ここ山中宿にて乞食の先祖が常盤御前を殺してしまいました。その因果により、子孫の者は代々障がい者として生まれて、あのように乞食となっているのです。“山中の猿”とはこの者の事です」

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山中宿には常盤御前のお墓が、今もこうして街道脇に静かに佇みます。
常盤御前とは言わずと知れた、源義経(牛若)の生母。
鞍馬を抜け出し、東国へ走った牛若の後を追った常盤御前は山中の地で土賊に襲われ、
「牛若がそのうちきっとこの道を通って都に上る筈、その折には是非道端から見守ってやりたい」
と言い残し、息を引き取ってしまいました。
哀れに思った山中の住人は遺言通り、道端に塚を築いて手厚く葬ったのだとか・・・。
あくまでも土地の伝承ですが、この時の土賊が「山中の猿」の先祖ということになるのですね。

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こちらは常盤地蔵
同じく常盤御前を供養するために置かれました。


同年(天正3年)6月26日、信長は俄かに上洛します。その途次、件の乞食の事を思い出し、木綿20反を取り出して自ら手に持つと、山中宿にて馬を下り、「申し付けることがある」からと言って、土地の人間を男女の別なく全員呼び出します。
村人たちが「一体何を言い付けられるのだろう」と不安に思いながら出ていくと;

『木締廿端、乞食の猿に下され侯。所の者ども請け取り、此の半分を以て、隣家に小屋をさし、飢死せざる様に情を懸けて置き侯へと、上意侯。其の上、此の隣郷の者ども、麦出来侯はゞ麦を一度、秋後には米を一度、一年に二度づつ、毎年心落に少し宛とらせ侯はゞ、信長御祝着なさるべしと、仰せ出ださる。』

木綿20反を山中の猿に差し下し、土地の者たちへ預けました。そして、
「この木綿の半分を費用に充て、近くに小屋を建てて山中の猿を住まわせ、餓死しないように面倒を見てやれ。
近隣の村の者は麦の収穫があれば麦を一度、秋の収穫後には米を一度、年に二度少しずつ山中の猿に与えてくれれば、信長も嬉しく思う
と伝えたのです。

『忝さの余りに、乞食の猿が事は、云ふに及ばず、山中町中の男女、袖をしぼらぬ者もなし。御伴の上下、皆落涙なり。御伴衆何れもゝゝゝ御扶持を加へられ、有り難き仕合せ、申すぱかりもなき様体なり。』

信長の慈悲深さに感激したお供の連中までもが、山中の猿への施しを拠出したのでした。
これもまた、「人間・信長」の素の姿が垣間見えるエピソードですね。

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山中宿から近江、京へと続く道。
上洛の都度、彼の織田信長が間違いなく通っていた道。
そういえば、この日も「雨露にうたれ」る風情。。。

いつまでもこの情景が失われることの無いよう、祈らずにはいられません。


さて、山中宿の後は次の目的地への移動がてら、野洲市の「鮎屋の郷」で昼食を摂りつつ、こちら、、、

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敷地内にあるびわ湖アートギャラリーで開催されている大甲冑展へ。
織田信長が長篠合戦の際に用いたとも伝わる南蛮兜も展示されていました。
こちらで展示されていたものは、一般的によく知られる「とんがり帽子型」(南蛮笠形兜)ではなく、もっと丈の低い「ハット型」でしたね。

その他では村上武吉の甲冑が印象的でした。

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