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2014年8月17日 (日)

木曽義仲生誕の地と父・義賢の大蔵館址、他

本日(8/17)はふら~っと埼玉県比企郡嵐山町までドライブ。

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まずは大蔵地区にある向徳寺へ。
国指定重要文化財にもなっている阿弥陀如来及び両脇侍立像、いわゆる善光寺式阿弥陀三尊像を祀っています。

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向徳寺前を通るこの道は、鎌倉街道上道。

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板碑もありました。
そして横の看板にある通り、この辺りは木曽義仲やその父・義賢ゆかりの地でもあります。
特にここ、大蔵地区には義賢が館を構えていました。

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鎌倉街道を少し南下して脇に逸れた場所には、、、その義賢の墓所があります。
ちなみに「帯刀先生」とは、東宮侍従の長を指す職名とのことです。

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木曽義仲の父・源義賢墓所(供養塔)

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埼玉県内に残る五輪塔の中では最古の形式になるそうです。

ところで、義賢墓所の辺りから鎌倉街道を更に南へ少し進むと、こんな↓看板が出てきます。

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縁切橋
征夷大将軍・坂上田村麻呂が軍勢を率いてこの地に滞在していたところ、その身を案じて京から奥方が訪ねてきたと云います。ところが田村麻呂は、
「お上の命で出陣している我が身に、妻女が訪ねるとは何事だ。会わぬ」
と言って、家臣の執り成しにも耳を貸さなかったとか。
翌朝、奥方が京へ戻ろうとしていたところ、田村麻呂はこの坂の下まで来て、
「大命を受けて出陣しているのに追い来るとは何事だ。今より縁を切る。早々に立ち去れ」
と言い放ちました。
それ以来、この場所に架かっていた橋には「縁切橋」の名がつき、土地の人は縁起を担いで新郎新婦を通さなかったと云います。
ちなみに、周辺一帯には「将軍沢」の地名が残ります。

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今はもう橋はなく、ご覧のものが申し訳程度に建っていましたが…(笑)
・・・それにしても、坂上田村麻呂ですよ?!1200年も前の。その伝承地がこうして残っているなんて…だから歴史は楽しい♪

ちなみに鎌倉街道はこの先(南)、笛吹峠に入ります。笛吹峠にも街道の古道がいい感じで残っているらしいので、チャンスがあれば歩いてみたいと思います。


さて、時代を戻して…(笑)
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源義賢が構えた大蔵館の推定範囲図

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大蔵館東面に残る土塁
この外側には空堀っぽい遺構も藪の中に見えていました。

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義賢は1152~3年頃から大蔵館に在していましたが、1155年、兄・義朝の長男、悪源太義平(頼朝の異母兄)に攻められて討たれました。
(大蔵の戦)

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大蔵館跡に建つ大蔵神社
先程の図面で言うと、南西の隅にあたります。

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大蔵神社境内から東の方向。
正面奥の樹木が茂っている辺りが、館跡地の東端(推定)になります。

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境内に残る南西コーナーの土塁

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大蔵神社自体が周辺より高い場所に建っており、或いは物見台の様な場所だったのかも、と思いました。あくまでも私の推測ですが。


さて、次は大蔵地区から西へ1.5km程移動して、同じ嵐山町の鎌形地区へ。

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鎌形八幡神社

源義賢は自らの館を大蔵に構え、こちらの鎌形には下屋敷を築いて小枝御前を住まわせました。
この小枝御前が生んだのが駒王丸、後の木曽(源)義仲です。つまり、鎌形は木曽義仲生誕の地ということになります。

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鎌形八幡神社の手水は湧き水で、木曽義仲の産湯にも使われたとか…
木曽義仲産湯の清水

鎌形で生まれた駒王丸でしたが、父・義賢が悪源太義平に討たれると、畠山重能・斉藤別当実盛らに保護されて木曽へと逃れました
その後の旭将軍と謳われた義仲の活躍と、最期は周知の通りです…。

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こちらは班渓寺

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山門前に木曽義仲公誕生之地

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班渓寺の梵鐘には、、、

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木曽義仲長男清水冠者義高為阿母威徳院殿班渓妙虎大姉所創建也

と刻まれています。(2行目途中~4行目)
つまり、木曽義仲の長男・義高の菩提を弔う為、その母・妙虎大姉(山吹姫/義仲の妻女)がこの班渓寺を創建した、という意味です。

木曽義仲の子・義高は人質として鎌倉の頼朝の元に送られ、頼朝の娘・大姫と婚約していましたが、義仲が義経らの鎌倉軍に討たれると鎌倉を脱出して鎌倉街道を北へ逃れて来ます。が、入間川で追手に捕捉されて11歳とも12歳とも云う幼い命を落としました。

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木曽義仲顕彰碑

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班渓寺で静かに眠る山吹姫のお墓。

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班渓寺のすぐ近く、木曽殿屋敷と呼ばれる場所。
この辺りに義賢が築いて小枝御前を住まわせたと云う下屋敷があったのでしょうか。
竹藪の隙間から、遺構と思しき土塁や空堀のようなものも垣間見えていましたが、フェンスがあって私有地のようでしたので立入は遠慮しました。

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すぐ裏には川が流れ、ちょっとした河岸段丘上といった立地です。

今も華やかな鎌倉の影で、ひっそりと静かな時間が流れる義賢・義仲・義高三代ゆかりの地。
そのあまりに対照的な佇まいに、少し胸を締め付けられる思いもしました。

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