大雲院、建勲神社、下鴨神社
9月最後の週末、今年(2014)になって早くも4度目の京都入りです…(^_^;)

まずは東山の大雲院へ。
9月末まで祇園閣が特別公開されていました。金閣・銀閣に次ぐ「銅閣」とも呼ばれたりします。

祇園閣
現在大雲院が建つ場所には元々、大倉喜八郎という人物の別荘があり、祇園閣はその大倉が昭和初期に祇園祭の鉾を模して建てたものです。
そもそも大雲院は天正15年(1587)、安土宗論でも有名な貞安上人が、二条御所で非業の最期を遂げた織田信忠の菩提を弔うため、その二条御所跡地(烏丸御池)に創建したのが始まりです。
その後、豊臣秀吉による都市改造で寺町四条下ルへ移り、更に昭和47年に高島屋京都店の増床に伴い、大倉喜八郎の旧邸跡を買収して移転、現在に至ります。
大雲院の寺号も織田信忠の戒名「大雲院三品羽林仙巖大居士」に由来しています。
※安土宗論についてはコチラ の記事をご参照ください。

従って境内には信忠と、その父・織田信長を供養する墓所があります。

本能寺の変に散った織田信長・信忠父子の供養墓。

大雲院には他に、こんな方のお墓もあります…石川五右衛門。
これは彼が処刑される前、京都市中を引き回された際に大雲院前に差し掛かり、貞安上人が引導を渡した縁によるものだそうです。
さて、バスで少々移動して次に向かったのは、、、

洛北、船岡山に建つ建勲神社

明治2年、時の明治天皇の御下命により創建された織田信長公を祀る神社です。

狛犬の台座にも織田木瓜

「敦盛」の一節

神門(祝詞舎)越しに本殿
歴史は浅い神社ですが、織田信長を祀るだけあって;
・義元左文字

まずは東山の大雲院へ。
9月末まで祇園閣が特別公開されていました。金閣・銀閣に次ぐ「銅閣」とも呼ばれたりします。

祇園閣
現在大雲院が建つ場所には元々、大倉喜八郎という人物の別荘があり、祇園閣はその大倉が昭和初期に祇園祭の鉾を模して建てたものです。
そもそも大雲院は天正15年(1587)、安土宗論でも有名な貞安上人が、二条御所で非業の最期を遂げた織田信忠の菩提を弔うため、その二条御所跡地(烏丸御池)に創建したのが始まりです。
その後、豊臣秀吉による都市改造で寺町四条下ルへ移り、更に昭和47年に高島屋京都店の増床に伴い、大倉喜八郎の旧邸跡を買収して移転、現在に至ります。
大雲院の寺号も織田信忠の戒名「大雲院三品羽林仙巖大居士」に由来しています。
※安土宗論についてはコチラ の記事をご参照ください。

従って境内には信忠と、その父・織田信長を供養する墓所があります。

本能寺の変に散った織田信長・信忠父子の供養墓。

大雲院には他に、こんな方のお墓もあります…石川五右衛門。
これは彼が処刑される前、京都市中を引き回された際に大雲院前に差し掛かり、貞安上人が引導を渡した縁によるものだそうです。
さて、バスで少々移動して次に向かったのは、、、

洛北、船岡山に建つ建勲神社

明治2年、時の明治天皇の御下命により創建された織田信長公を祀る神社です。

狛犬の台座にも織田木瓜

「敦盛」の一節

神門(祝詞舎)越しに本殿
歴史は浅い神社ですが、織田信長を祀るだけあって;
・義元左文字
→桶狭間合戦で討ち取った今川義元が帯びていた差料。「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀織田尾張守信長」の刻印があります。
・信長公記
→太田牛一自筆本の巻一~巻十五
が奉納されています。

境内に蔵のようなもの(写真は祭器庫)があったので、或はここに保管されているのかも…?などと想像しながら参拝いたしました♪

糺の森参道を抜け、、、

この日最後は下鴨神社へ。
こちらでも大炊殿、神服殿が特別公開されていました。(9月30日まで)

神様へのお供え物を調理する台所、大炊殿

こちらは神服殿(殿内撮影禁止のため外観のみ)
夏と冬、御神服を奉製する御殿であったため、この名がついています。
殿内には天皇行幸の際の玉座の間があり、普段は御簾が下りているので「開ずの間」とも呼ばれていますが、今回は特別拝観に合わせて上げてありました。
また、その隣の一間には今上天皇・皇后両陛下がお渡りになり、祝詞奏上をお受けになる際にお掛けいただくためにと、神社側が用意した菊の御門入りのそれは立派な椅子が置かれていました。
ところが両陛下は「祝詞奏上を受けるのに腰を掛けたままとは、とんでもないこと」と直立不動の姿勢のままお受けになったそうです。
そんな訳で、その立派な椅子には未だかつて誰も座ったことがないのだとか…(;・∀・)
貴重な空間を拝観できてよかったです☆

最後はバスで京都駅まで戻り、ホテルにチェックイン。
翌日に控えた、今回の旅のメイン・イベントに備えます。
・信長公記
→太田牛一自筆本の巻一~巻十五
が奉納されています。

境内に蔵のようなもの(写真は祭器庫)があったので、或はここに保管されているのかも…?などと想像しながら参拝いたしました♪

糺の森参道を抜け、、、

この日最後は下鴨神社へ。
こちらでも大炊殿、神服殿が特別公開されていました。(9月30日まで)

神様へのお供え物を調理する台所、大炊殿

こちらは神服殿(殿内撮影禁止のため外観のみ)
夏と冬、御神服を奉製する御殿であったため、この名がついています。
殿内には天皇行幸の際の玉座の間があり、普段は御簾が下りているので「開ずの間」とも呼ばれていますが、今回は特別拝観に合わせて上げてありました。
また、その隣の一間には今上天皇・皇后両陛下がお渡りになり、祝詞奏上をお受けになる際にお掛けいただくためにと、神社側が用意した菊の御門入りのそれは立派な椅子が置かれていました。
ところが両陛下は「祝詞奏上を受けるのに腰を掛けたままとは、とんでもないこと」と直立不動の姿勢のままお受けになったそうです。
そんな訳で、その立派な椅子には未だかつて誰も座ったことがないのだとか…(;・∀・)
貴重な空間を拝観できてよかったです☆

最後はバスで京都駅まで戻り、ホテルにチェックイン。
翌日に控えた、今回の旅のメイン・イベントに備えます。
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