亀老山展望台、村上水軍博物館、そして能島へ・・・
9月14日(日)、旅の3日目(オフ会2日目)を迎えました。

朝陽に輝く尾道水道
※この2日前、羽田から松山へ向かう飛行機からもハッキリ見えていました。

午前7時過ぎ、全員揃ったところで尾道を出発です。
結局、尾道観光は全く出来なかったなぁ~
しまなみ海道を一気に大島まで南下し、まずは亀老山展望台へ。

それにしても複雑怪奇な展望台だ…(^_^;)
・・・しかし!

眺めはもう最高!!
前日の青陰城からの眺めと言い、これぞしまなみ!という景観を堪能できたので天候にも感謝☆海が青い!!
ところで、亀老山中腹で偶然発見した看板・・・

車を停めて暫く徒歩で登っていくと・・・

南北朝期に活躍した村上水軍中興の祖、村上義弘のお墓。
彼の三代後に能島・来島・因島の、いわゆる三島村上へと派生していきます。

次に向かったのは村上水軍博物館

戦国後期、最盛期を迎えた村上水軍を束ねた能島村上家の村上武吉像。
他に武吉の長男・元吉、次男・景親の石像もありました。まさに小説「村上海賊の娘」で活躍している連中ですね。

博物館3階の展望デッキより、能島を望む。
博物館の展示も能島村上水軍を中心に、とても充実した内容でした。

マンホールも…♪

能島上陸クルーズまでの時間に、博物館向かいの村上水軍で早めの昼食をとりました。
ちなみにクルーズもこちらから出航します。

さぁいよいよ!
我々の他には夫婦1組がいるだけの、ほぼ貸切状態♪

潮流も楽しみつつ・・・
(海底から湧き出るように渦を巻いていました)

能島が近付いてきました。
図

能島城跡の図
今回はガイドさんからいただいた案内図を元に見ていきます。

遂に能島へ上陸を果たしました!
図で南部平坦地と書かれているポイントです。奥に東屋が見えている所は三之丸になります。
発掘調査の結果、この南部平坦地からは特に建物の痕跡を示すものは発見されず、調練をするような場所だったのでは?とも考えられているそうです。
なお、能島全体では17~18の建物跡が確認されています。

残念ながら満潮につき、400にも及ぶ岩礁ピット(柱穴)痕は観られません…(;・∀・)
奥に鯛崎出丸(島)

史跡能島城跡碑

三之丸

三之丸からは鍛冶場の痕跡が発見され、恐らくは船の修理にも使ったであろう釘が数多く出土しています。

三之丸から南部平坦地越しに東南出丸と鯛崎出丸を・・・

三之丸北側は船だまりと推定されています。
確かに周囲は潮の流れがとても速いのに、ここだけはご覧の穏やかさ。

この切岸の上が二之丸

その二之丸から。左上は本丸。
二之丸は本丸の周囲をグルッと360度取り囲むように築かれていました。

本丸
本丸からは井楼のものと思われる二間四方の掘立柱跡が発見されています。
それよりも凄いのはかわらけ。なんと1万点にも及ぶかわらけの破片が、この本丸から発見されました。
※なお、井楼(と思しき)掘立柱跡は二之丸、三之丸、矢びつからも発見されています(図の■部分)。

再び二之丸に下りて、東側へ。
紅白の細いポールが2本立っている位置からは、固い壁土の井戸のような遺構が発掘されているそうです。
しかし調べていくと井戸という程深くはなく、諸説ありますが水瓶ではないかとも考えられているようです。

この先に伸びているのは、図で矢びつと書かれている部分。
対岸に向けて弓矢の練習をしていた場所、との伝承もあったそうですが、調査の結果、それを裏付けるような発見はなかったとのことです。

矢びつから。
如何に周囲の潮流が速いか、一目瞭然ですね。

矢びつから東部海岸越しに東南出丸と鯛崎出丸を見た様子。

矢びつ
実際のところは、能島城の北東側を警戒・監視する見張り台のような役割だったのではないでしょうか。

ちなみに矢びつ付近には漆の木がたくさん自生しています。
上陸される方は幹(枝)の部分が赤い木には充分にご注意ください。

二之丸東側をてくてく・・・
右上が本丸になります。

上陸ポイントの南部平坦地を見下ろす。
あの置かれているロープ、実は能島と鯛崎島を表していました。

二之丸から見る東南出丸

反対に東南出丸から見る(右から)本丸・二之丸・三之丸。
こうして見ると、郭毎に綺麗に段差が築かれている様子がよく分かります。
これにて約1時間の能島滞在は終了。
ピットを見ることが出来なかったのは残念ですが、予想以上の遺構、そして何より「能島に降り立った」という喜び☆
とても楽しく、有意義な時間でした。改めてガイドさんや、クルージングを予約・手配していただいたあむさんに感謝です♪
さて、旅もいよいよ大詰め。
最後に三島村上水軍残る一つ、来島へ向かいます。

朝陽に輝く尾道水道
※この2日前、羽田から松山へ向かう飛行機からもハッキリ見えていました。

午前7時過ぎ、全員揃ったところで尾道を出発です。
結局、尾道観光は全く出来なかったなぁ~
しまなみ海道を一気に大島まで南下し、まずは亀老山展望台へ。

それにしても複雑怪奇な展望台だ…(^_^;)
・・・しかし!

眺めはもう最高!!
前日の青陰城からの眺めと言い、これぞしまなみ!という景観を堪能できたので天候にも感謝☆海が青い!!

ところで、亀老山中腹で偶然発見した看板・・・

車を停めて暫く徒歩で登っていくと・・・

南北朝期に活躍した村上水軍中興の祖、村上義弘のお墓。
彼の三代後に能島・来島・因島の、いわゆる三島村上へと派生していきます。

次に向かったのは村上水軍博物館

戦国後期、最盛期を迎えた村上水軍を束ねた能島村上家の村上武吉像。
他に武吉の長男・元吉、次男・景親の石像もありました。まさに小説「村上海賊の娘」で活躍している連中ですね。

博物館3階の展望デッキより、能島を望む。
博物館の展示も能島村上水軍を中心に、とても充実した内容でした。

マンホールも…♪

能島上陸クルーズまでの時間に、博物館向かいの村上水軍で早めの昼食をとりました。
ちなみにクルーズもこちらから出航します。

さぁいよいよ!
我々の他には夫婦1組がいるだけの、ほぼ貸切状態♪

潮流も楽しみつつ・・・
(海底から湧き出るように渦を巻いていました)

能島が近付いてきました。
図

能島城跡の図
今回はガイドさんからいただいた案内図を元に見ていきます。

遂に能島へ上陸を果たしました!
図で南部平坦地と書かれているポイントです。奥に東屋が見えている所は三之丸になります。
発掘調査の結果、この南部平坦地からは特に建物の痕跡を示すものは発見されず、調練をするような場所だったのでは?とも考えられているそうです。
なお、能島全体では17~18の建物跡が確認されています。

残念ながら満潮につき、400にも及ぶ岩礁ピット(柱穴)痕は観られません…(;・∀・)
奥に鯛崎出丸(島)

史跡能島城跡碑

三之丸

三之丸からは鍛冶場の痕跡が発見され、恐らくは船の修理にも使ったであろう釘が数多く出土しています。

三之丸から南部平坦地越しに東南出丸と鯛崎出丸を・・・

三之丸北側は船だまりと推定されています。
確かに周囲は潮の流れがとても速いのに、ここだけはご覧の穏やかさ。

この切岸の上が二之丸

その二之丸から。左上は本丸。
二之丸は本丸の周囲をグルッと360度取り囲むように築かれていました。

本丸
本丸からは井楼のものと思われる二間四方の掘立柱跡が発見されています。
それよりも凄いのはかわらけ。なんと1万点にも及ぶかわらけの破片が、この本丸から発見されました。
※なお、井楼(と思しき)掘立柱跡は二之丸、三之丸、矢びつからも発見されています(図の■部分)。

再び二之丸に下りて、東側へ。
紅白の細いポールが2本立っている位置からは、固い壁土の井戸のような遺構が発掘されているそうです。
しかし調べていくと井戸という程深くはなく、諸説ありますが水瓶ではないかとも考えられているようです。

この先に伸びているのは、図で矢びつと書かれている部分。
対岸に向けて弓矢の練習をしていた場所、との伝承もあったそうですが、調査の結果、それを裏付けるような発見はなかったとのことです。

矢びつから。
如何に周囲の潮流が速いか、一目瞭然ですね。

矢びつから東部海岸越しに東南出丸と鯛崎出丸を見た様子。

矢びつ
実際のところは、能島城の北東側を警戒・監視する見張り台のような役割だったのではないでしょうか。

ちなみに矢びつ付近には漆の木がたくさん自生しています。
上陸される方は幹(枝)の部分が赤い木には充分にご注意ください。

二之丸東側をてくてく・・・
右上が本丸になります。

上陸ポイントの南部平坦地を見下ろす。
あの置かれているロープ、実は能島と鯛崎島を表していました。

二之丸から見る東南出丸

反対に東南出丸から見る(右から)本丸・二之丸・三之丸。
こうして見ると、郭毎に綺麗に段差が築かれている様子がよく分かります。
これにて約1時間の能島滞在は終了。
ピットを見ることが出来なかったのは残念ですが、予想以上の遺構、そして何より「能島に降り立った」という喜び☆
とても楽しく、有意義な時間でした。改めてガイドさんや、クルージングを予約・手配していただいたあむさんに感謝です♪
さて、旅もいよいよ大詰め。
最後に三島村上水軍残る一つ、来島へ向かいます。
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