明智光秀肖像画と、岸和田城下町
10月3日はだんじりで有名な岸和田へ。
岸和田市観光振興協会が主催する岸和田まち歩き周遊キャンペーン「まつり前岸和田城下町」のプランの一つ、
「本徳寺和尚さんに、語っていただく明智光秀公肖像画」
に参加させていただきます!
昨年この企画の存在を知り、今年こそは参加したい!と密かに狙い続けていました。後で聞いたところによると参加倍率は約3倍。当選して良かった♪

午後3時30分、駅前に集合。

参加証となるバッジを着けたら出発です♪

まずは駅前通商店街から。

日本一高いというアーケード。高さは約12m。
何故かって?それは勿論、だんじりを通すためです☆

下に目を移すと...だんじりと見物客との境界線。
祭りが完全に町の一部になっています。

商店街を抜け、石畳の寺町筋の一角に、、、

本徳寺。いよいよです。

本堂でお抹茶のおもてなしを受けてから・・・

念願のご対面☆
実はご住職、坐骨神経痛を患ってしまわれたそうで、ちょっと大変そうでした。
それでも軽いジョークを交えながらのお話はとても楽しく、有意義な時間でした。ありがとうございます。
この肖像画が本徳寺にある由縁ですが、それは本徳寺は元々現在の貝塚市にあった海雲寺がその前身で、寛文2年に岸和田城下へ移転すると共に寺号を本徳寺と改めました。
その海雲寺の開基こそ、光秀の子息と云われる南国梵珪だったのです。梵珪が絵師に描かせた父の肖像画がこちらになります。
※後でスタッフの方から聞いた話や過去の公開状況を調べてみたところ、今回拝観させていただいたものは精巧に作られたレプリカの方だったのかもしれません。「本物」を拝観できる、との認識だったからこそ応募して東京から駆けつけた訳で、もしそうであったならば残念。。。
まぁ真贋はともかく、写真も撮らせていただけて大変感謝なのですが、参加者の中にはこれほど貴重な文化財(少なくともその時点では誰もが「本物」との確信で拝観していた)に向けて無神経にもフラッシュを焚き、しかも至近距離から撮りまくる無遠慮な人が数人いました。
この会に参加しているということは少なからず歴史好きなのかもしれませんが、こんな最低限のルールすら知らない・守れないような方は、どうぞ歴史から離れていただきたい。
さて本徳寺を辞去した後は、そのまま解散するグループと別れて城下町散策です。

欄干橋
江戸期にはこの地方の道路元票となっていました。

このクランクは堺口門跡…素敵です。

ここも祭りの時はだんじりが通るので、住宅の壁には疵痕が・・・

こなから坂
漢字で書くと「小半坂」となります。
「小半刻」が「一刻の1/4」を意味するように、「小半」とは1/4を示します。
で、ここは90度の1/4勾配の坂だから「小半坂」。

さすが、だんじりの町。こんなところにも・・・

そして岸和田城。
既に午後5時を過ぎていたため、堀端から眺めるだけです…(。´・ω・)

岸和田では有名?な寺田財閥の邸宅、五風荘。
岸和田藩主の新御茶屋跡に建てられています。

最後に蛸地蔵駅へ。
岸和田合戦の模様を描いたステンドグラスが素敵です。

こちらも・・・
このまま蛸地蔵駅で解散。
夜は岸和田駅前に宿を取り、翌日に予定している天王寺合戦跡地めぐりに備えました。
岸和田市観光振興協会が主催する岸和田まち歩き周遊キャンペーン「まつり前岸和田城下町」のプランの一つ、
「本徳寺和尚さんに、語っていただく明智光秀公肖像画」
に参加させていただきます!
昨年この企画の存在を知り、今年こそは参加したい!と密かに狙い続けていました。後で聞いたところによると参加倍率は約3倍。当選して良かった♪

午後3時30分、駅前に集合。

参加証となるバッジを着けたら出発です♪

まずは駅前通商店街から。

日本一高いというアーケード。高さは約12m。
何故かって?それは勿論、だんじりを通すためです☆

下に目を移すと...だんじりと見物客との境界線。
祭りが完全に町の一部になっています。

商店街を抜け、石畳の寺町筋の一角に、、、

本徳寺。いよいよです。

本堂でお抹茶のおもてなしを受けてから・・・

念願のご対面☆
実はご住職、坐骨神経痛を患ってしまわれたそうで、ちょっと大変そうでした。
それでも軽いジョークを交えながらのお話はとても楽しく、有意義な時間でした。ありがとうございます。
この肖像画が本徳寺にある由縁ですが、それは本徳寺は元々現在の貝塚市にあった海雲寺がその前身で、寛文2年に岸和田城下へ移転すると共に寺号を本徳寺と改めました。
その海雲寺の開基こそ、光秀の子息と云われる南国梵珪だったのです。梵珪が絵師に描かせた父の肖像画がこちらになります。
※後でスタッフの方から聞いた話や過去の公開状況を調べてみたところ、今回拝観させていただいたものは精巧に作られたレプリカの方だったのかもしれません。「本物」を拝観できる、との認識だったからこそ応募して東京から駆けつけた訳で、もしそうであったならば残念。。。
まぁ真贋はともかく、写真も撮らせていただけて大変感謝なのですが、参加者の中にはこれほど貴重な文化財(少なくともその時点では誰もが「本物」との確信で拝観していた)に向けて無神経にもフラッシュを焚き、しかも至近距離から撮りまくる無遠慮な人が数人いました。
この会に参加しているということは少なからず歴史好きなのかもしれませんが、こんな最低限のルールすら知らない・守れないような方は、どうぞ歴史から離れていただきたい。
さて本徳寺を辞去した後は、そのまま解散するグループと別れて城下町散策です。

欄干橋
江戸期にはこの地方の道路元票となっていました。

このクランクは堺口門跡…素敵です。

ここも祭りの時はだんじりが通るので、住宅の壁には疵痕が・・・

こなから坂
漢字で書くと「小半坂」となります。
「小半刻」が「一刻の1/4」を意味するように、「小半」とは1/4を示します。
で、ここは90度の1/4勾配の坂だから「小半坂」。

さすが、だんじりの町。こんなところにも・・・

そして岸和田城。
既に午後5時を過ぎていたため、堀端から眺めるだけです…(。´・ω・)

岸和田では有名?な寺田財閥の邸宅、五風荘。
岸和田藩主の新御茶屋跡に建てられています。

最後に蛸地蔵駅へ。
岸和田合戦の模様を描いたステンドグラスが素敵です。

こちらも・・・
このまま蛸地蔵駅で解散。
夜は岸和田駅前に宿を取り、翌日に予定している天王寺合戦跡地めぐりに備えました。
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