斎藤一 終焉の地

「春日町」交差点を春日通り沿いに東へ。東富坂を少し登った先にある、、、

こちらの階段の上は、、、

文京区本郷4丁目13、かつての住所は本郷真砂町30番地といいました。
・・・元新選組・斎藤一こと、藤田五郎が晩年を過ごした住居跡です。

軽く周辺を歩いてみましたが、静かな住宅地といった趣です。
明治10年の西南戦争からの帰還後は、根津宮永町31番地(現文京区根津2丁目14。コチラ を参照)に住んでいましたが、いつの頃か本郷へ移り住みました。

この地で妻の時尾は自宅を使い、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の寄宿舎を営んでいたのだとか。
・・・なんとなく雰囲気ありますね♪(*'ω'*)
斎藤一(藤田五郎)も一時期、同校の庶務掛兼会計掛として勤務していたようです。

大正4年9月28日、幕末の京都を震撼させ、明治の世を生き抜いた剣豪はこの本郷の居宅で床の間に端座し、両手を膝の上に置いたまま息を引き取りました。享年72。
遺言により、会津の阿弥陀寺(→コチラ )で静かに眠っています。
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コメント
はじめまして。
わたしはこのブログ記事にある終焉の地近くにすんでいます。この土地が無謀な都市開発でなくなることを懸念してHPにて現状を訴えています。
土地を紹介する文としてHPにこの記事のリンクを貼らせてもらいます。不具合がありましたら削除しますのでお知らせください。
投稿: 本郷4丁目住民 | 2016年2月13日 (土) 11時16分