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2014年10月12日 (日)

特別展「関東三国志」と、比企の城巡り

3連休中日の10月12日は比企方面へ。
前日の夜、共に日野の新選組史跡を巡った後に立川でサイガさんと飲んでいた際、翌日にフォロワーののんさんと杉山城へ行くことになった旨を聞き、元々鉢形へ行くつもりだった私も同行させていただくことになりました。

という訳で、午前8時に上福岡駅で待ち合わせ、まず最初に向かったのは杉山城です。

◆杉山城
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南郭群から見た東郭群

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お馴染のアングル、本郭から見た南郭群

相変わらず素晴らしい遺構の数々で、何度も来ているのに興奮の連続!
しかし杉山城のことは過去にもblogに上げているし、今回は詳細を省きます。
※この後に訪れる鉢形城・菅谷館も同様。


◆鉢形城

次に向かったのは鉢形城。
私の個人的な本日一番の目的は、鉢形城歴史館で2014年11月24日まで開催されている特別展「関東三国志 越相同盟と北条氏那」です。

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展示スペースはさして広くもない1室のみの小規模なものでしたが、書状類の展示が特に充実していました。

越相同盟締結に向け、あれやこれやと心を砕く北条氏康氏政氏照氏那らの書状(主に上杉謙信やその家臣、或いは交渉の仲介役=手筋だった由良成繁宛)の数々や起請文、
更には越相同盟が事実上破たんした時、北条方に対する憤りや後悔を書き綴った上杉謙信の書状(北条高広宛)も・・・。
中には越相接近に警戒感を抱く武田信玄が北条挟撃の為、常陸の佐竹氏への接近を模索するかのような書状もあり、それぞれの思惑・立場が生々しく現出して大変興味深い内容でした。

その他では、老中・松平定信が寛政7年に明珍宗政・宗妙に命じて模造させた楯無鎧写なるものもありました。
楯無鎧(小桜韋威鎧)とは言わずと知れた、御旗と並ぶ武田家伝来の家宝。甲州市の菅田天神社に奉納されていますが、宗政・宗妙の2人は寛政4年にこの菅田天神社の楯無鎧の修復も手掛けているそうです。

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そのまま城跡も散策します。

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普段スル―しがちな伝逸見曲輪方向・・・

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以前は立入れなかった本曲輪北西端の櫓台?にもアタック!

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本曲輪から見下ろす荒川
鉢形城が何故この地に築かれたのか、がよく分かる地形です。

◆菅谷館
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最後は菅谷館へ。
ご存じ、畠山重忠像。傾いているのは相変わらずですが、ワイヤーが消えている…大丈夫なのか?(^_^;)

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菅谷館といえば?の、出枡形土塁

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先週の台風(18号)の影響か、空堀だった筈の堀が水濠に…(・・;)

この日訪れた3城とも整備が行き届いていて、今まで藪で見え辛かった部分も確認できたので良かった。同じお城に何度も訪れてみるのも大事なんですね…(笑)

最後は川越駅で解散して帰路へ。
サイガさん、のんさん、楽しい一日をありがとうございました♪

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