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2014年11月29日 (土)

龍ヶ鼻陣所跡 (城友会2014…⑥)

虎御前山砦で城友会の行程は終了でしたが、帰りの新幹線までの余った時間を使い、、、

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姉川古戦場にも立ち寄っていただきました。
現在の姉川と、奥に横山城。

姉川の戦いに先立つ元亀元年(1570)6月24日、織田信長は小谷城の南方にある浅井方の重要拠点、あの横山城を包囲します。

よこ山の城、高坂・三田村・野村肥後楯籠り、相拘へ侯。廿四日に四方より取り詰め、信長公は、たつがはなに御陣取り。家康公も御出陣侯て、同じ龍が鼻に御陣取り。
(信長公記 巻三「あね川合戦の事」より)

横山城を四方から包囲する織田軍。信長自身は、横山城から尾根続きに北へ行った龍ヶ鼻に陣取り、合流してきた家康も同陣しました。

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龍ヶ鼻陣所跡への登り口
獣除けの柵が…きっと熊だよね?そうだよね・・・(;^ω^)

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包囲された横山城跡
龍ヶ鼻陣所はこの尾根続き、北(写真左手前)の方角にあります。

然るところ、朝倉孫三郎、後巻として八千ばかりにて罷り立つ。(中略)同浅井備前人数五千ぱかり相加はり、都合一万三千の人数。六月廿七日の暁、陣払ひ仕り、罷り退き侯と存じ侯のところ、廿八日未明に三十町ばかりかゝり来たり、姉川を前にあて、野村の郷・三田村両郷へ移り、二手の備へ侯。西は三田村口、一番合戦、家康公むかはせられ、東は野村の郷、そなへの手へ信長御馬廻、又、東は美濃三人衆諸手一度に諸合す。
(同)

龍ヶ鼻に本陣を据え、横山城を包囲する織田・徳川連合軍。
そこへ朝倉・浅井連合軍13,000の後詰めが近くの山に着陣します。ところが6月27日の早朝に陣を払ったので「退却したのだろう」と思っていたところ、28日未明になって再び進軍し、姉川を挟んで対岸の野村郷(浅井)、三田村郷(朝倉)の二手に分かれて布陣してきました。
西の三田村口、朝倉勢へは徳川軍が先陣として向かい、東の野村郷、浅井勢には信長が馬廻や美濃三人衆を率いて対陣します。

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姉川古戦場図。両軍の布陣位置を書き加えました。
姉川の戦いはそれぞれが陣を布いて戦った地名から、織田や浅井の記録には「野村合戦」、朝倉の記録には「三田村合戦」とも記されています。

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龍ヶ鼻陣所跡から望む姉川古戦場
両軍の布陣地も、小谷城、虎御前山砦も一望の下です♪

六月廿八日、卯の刻、丑寅へむかつて御一戦に及ばる。
(同)

元亀元年6月28日の午前6時頃、遂に姉川の戦いの火蓋が切って落とされます。
丑寅とは北東の方角。しかし、浅井勢に向かう織田軍も朝倉勢に向かう徳川軍も、いずれも開戦時の布陣位置からして北東の方角にはなりません
この辺りは機会を改めて、姉川古戦場をじっくり踏査した時に検証したいと思います。

信長軍の戦闘方向について(2016年7月)

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浅井家の将、遠藤直経のお墓。姉川の戦いで命を落しています。

遠藤喜右衛門、此の頸、竹中久作是れを討ちとる。兼ねて此の首を取るべしと高言あり。
(同)

一説には敗色濃厚になった際、味方(浅井方)の将の首を持って織田家臣になりすまし、信長の前に出て刺し違えようとしますが、竹中半兵衛重治の弟・久作重矩に見破られて討ち取られたとも伝わります。
竹中兄弟は一時、客分として浅井家にいた時期があり、顔を見知っていたためとか…。


さぁ、これで今年の城友会も無事終了です。

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最後に米原駅近くの大谷吉継さんの首塚へお参りしてから解散となりました。

今年も楽しい仲間との城攻め、本当に楽しい時間でした☆
blog更新の大変さを思うと、逃げ出したくなるくらいに充実していました(笑)

お世話になった皆様、本当にありがとうございます!

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織田信長」カテゴリの記事

コメント

今年も楽しいひとときをありがとうございました(*^^*)
来年も…仮面舞踏会期待してます(^^)/
八王子も楽しみにしてますね♪

投稿: こばたか | 2014年11月29日 (土) 13時50分

こばたかさん、こちらこそありがとうございました!
替え歌ショー、今年もキレッキレでしたよ(笑)
八王子の城巡りもよろしく願いします☆

投稿: しみず@管理人 | 2014年11月29日 (土) 17時38分

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