安土城 (城友会2014…②)

佐生城(前の記事)の次は安土城へ。
言うまでもなく、織田信長最後の居城です。

山麓の未整備部分にも、まだまだ興味を惹かれる遺構が散見されます。

これは虎口でしょ? 枡形になっています。

今まで、あの奥の面は樹木が生い茂って見えていなかったような…。
だいぶ崩れてはいるけど、部分的に石垣も残っていました。

さ、それでは☆

伝前田利家邸址
初めて安土城を訪れた2005年当時は、ここも樹木が生い茂っていたけど…綺麗になったものです。

伝前田邸、蔀の石塁と石段

石段の脇には細い水路もありました。
さて日曜日は、現在では伝徳川家康邸址に建つ摠見寺を拝観出来る日。

・・・という訳で勿論、立寄ります♪

信長公の木像や、安土城天主址から出土した金箔瓦などを拝観し、お抹茶で一休み☆

伝徳川家康邸址から大手道越しに望む伝羽柴秀吉邸址

大手道を振り返る・・・

黒金門址の枡形虎口
ここからいよいよ、安土城の中心部に入ります。

二ノ丸東溜まり
こちらの石垣に沿って礎石列や焼け残った柱の一部が発掘されたため、奈良大学の千田先生はその著書「信長の城」で、ここには天主に連なるテラスの様なものが懸け造りで築かれていた、との説を唱えられています。
天主は天正10年の本能寺の変直後に焼失していますが、確かにこの面の石垣には焼けた痕跡が見受けられます。

伝本丸址を経由して、、、

天主へ・・・

ところで、この天主への石段には板状に加工された切石が敷き詰められている箇所があります。(写真提供:あっぴん。さん)
城内には他にも同じような切石が使われている箇所もありますが(伝前田邸址など)、天主石段の切石のみ、笏谷石という種類の石が使われているそうです。
笏谷石は主に越前で産する石で、朝倉氏の一乗谷でも笏谷石で作られた石仏などが多く見つかっているそうですが、、、
(天正九年)七月十一日、越前より、柴田修理亮、黄鷹六連上せ、進上。並びに、切石数百、是れ又、進上申され候ひしなり。
(信長公記 巻十四「因幡国取鳥(ママ)城取り詰めの事」より)
或いはこの時、柴田勝家が献上した切石こそが、天主石段に使われているものかもしれませんね♪

安土城天主址
結構他の観光客も多かったのですが、ちょうど誰もいないタイミングで撮影できました♪
…え、敦盛? 衆人環視の下でやる訳ないでしょ(笑)

天主址から琵琶湖(搦手)方面
往時はこの周辺一帯、全て湖面に覆われていたのですねぇ・・・

天主台の石垣を眺めつつ、、、

信長が創建した摠見寺址へ。
西の湖を望む。銀杏も綺麗です☆

築城時、甲賀の長寿寺より移築されたと考えられている三重塔。
建立はなんと1454年!

二王門
こちらも甲賀から移築されたもので、建立は1571年。
三重塔、二王門共に重要文化財に指定されています。

さて、一通りルートに沿って安土城見学を終えた後は、安土駅前にある安土城郭資料館へ。

安土城天主模型
こちらの模型、係の人が時々・・・

御開帳してくれます(笑)

おや?信長公もおわしますね!

駅前に建つ織田信長公の銅像
実は私、安土城には何度か訪れているのに電車を利用したことがなかったので、こちらの銅像には初めて拝謁させていただきました☆
この後は安土城考古博物館の食堂で昼食を摂り、観音寺城へ☆
・・・のはずでしたが、紅葉シーズンともあって観音正寺へ向かう林道が大渋滞!急遽観音寺城攻めを翌日に回し、近江八幡の八幡山城へ向かうことにしました。
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