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2014年11月 6日 (木)

阿津賀志山防塁

福島の旅、2日目。
いよいよ阿津賀志山防塁へ向かいます。

阿津賀志山防塁とは
文治5年(1189)の奥州合戦に於いて、平泉に本拠を置く藤原泰衡が異母兄の国衡を将として派遣し、源頼朝率いる鎌倉軍を迎え撃つために阿津賀志山(厚樫山)の中腹から山麓を経て阿武隈川(旧流域)に至る総延長3.2㎞に渡って築かせた防塁遺構です。
吾妻鏡にも「口五丈堀」と記録されています。


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既に800年以上もの月日が流れ、開発などによって失われている遺構も多いですが、赤・黄色のラインに沿ってそれは築かれていました。
今回はその中でも残存状態が良く、史跡指定されている赤ライン部分をめぐります。

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まずは阿津賀志山々頂の展望台から。
霞んでしまっていますが、遠くに阿武隈川が見えています。
防塁は写真中央辺りを縦に、阿武隈川付近まで築かれていました。

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この爪痕は・・・(;´・ω・)
まだあまり時間経っていないよね…周辺の木々にもたくさん痕跡があったし、展望台周辺は熊の縄張りになっているのかも…訪問する際は充分にご注意ください。

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阿津賀志山中腹、防塁開始地点から(図地点)
山麓に向けて真っ直ぐ下っています。

これを下から見上げると、、、
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地点から見上げた様子・・・凄い!!
某地図アプリの航空写真で確認すると、阿津賀志山の山中に残る防塁跡はハッキリと写っています。それほどの規模。
※この後は石母田城跡へ立ち寄ったのですが、それはまた別の記事でご紹介するとして、防塁レポを続けます。

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山を出て図地点にて。
真っ直ぐに伸びる土塁と空堀が綺麗に残っています。

ここから先、防塁は更に、、、
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平地部へ向けて真っ直ぐ駆け下っていきます。

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800年もの歳月を乗り越えた土の遺構…見事としか言いようのない姿です。
ちなみにこの防塁はその後、旧石母田村と旧大木戸村の境界線にもなっていました。

この付近には防塁の他にもいろいろな史跡が遺されています。

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石母田供養石塔
徳治3年(1308)に僧・智せんが先祖の追善供養のために建立した板碑で、梵字と功徳文が刻まれています。
銘文は元の帰化僧・寧一山の筆跡で、地元では俗に蒙古の碑とも呼ばれているそうです。

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奥州藤原氏といえば、この人も忘れてはならない…源義経腰掛松。
源氏再興を期して鞍馬寺を出た幼い義経は、金売り吉次同道のもと、藤原秀衡を頼るべく奥州平泉を目指しました。
その道中、腰を下ろして休息したとの逸話が残る松です。

文政4年(1823)、松に巣を作った蜂を駆除するために修験者が焚火をしたところ、その火が松に燃え移って枯らしてしまいました。
これを惜しんだ村人がよく似た赤松を植樹(二代目腰掛松)しましたが、こちらも平成25年に枯れてしまったそうです。現在はこの2代目から接ぎ穂した幼木が植えられています。

ちなみに、あの小屋に覆われている古木は初代のものになります。

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更には、旧奥州道中国見峠長坂跡・・・これまた凄い!

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奥羽地方の幹線道として、近世には仙台や盛岡、松前などの諸藩が参勤交代で江戸と国元を往復する際にも使用されました。
しかしいくら幹線道とはいえ、これほどの道幅を誇る峠の古道が存在しているとは・・・感動です。

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松尾芭蕉も「奥の細道」で;
路縦横に踏で伊達の大木戸をこす
と記しており、間違いなくこの道を通っています。
大木戸とは前出の(旧)大木戸村のことです。

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古道を少し登った先に経ヶ岡。
奥州合戦に頼朝の配下として参戦した御家人の伊佐為宗やその父・常陸入道念西が、自ら挙げた敵将の首を晒した場所。
この時の戦功により伊佐一族は伊達郡を賜り、為宗は元の領地である伊佐郡に戻りますが、念西は土着して伊達姓を名乗るようになりました。
これが奥州伊達氏の祖となります。

さて、引き続き防塁めぐりへ戻ります。

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の高橋地区にて
写真左隅にも土塁が通っており、二重の土塁が確認できました。

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阿津賀志山(正面)からずーっと伸びてきた防塁・・・この先もまだ続いていきます。

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最後に図の下二重堀地区へ。
この光景、早くもワクワクしてきますね☆

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こちらでは三重の堀が綺麗に残っていました。

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凄いよねぇ・・・

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きちんと整備されていて、とても見易いです♪

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阿津賀志山から延々と続いてきた防塁は、いよいよ終点に差し掛かります。
写真は微かに痕跡を留める堀の跡。この先で防塁は、、、

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阿武隈川(現在は滝川という支流)に到達します。写真右奥が滝川の堤。往時はここまでが阿武隈川の流域だったと思われます。
写真左、柿の木の奥に見える土盛りも土塁の一部ではないでしょうか。

阿津賀志山防塁、そのスケールと遺構の良好な残存状況にすっかり魅せられてしまいました。
しかもこれが、鎌倉時代も室町時代も、戦国、江戸、明治、、、と800年以上もの時を越えて、現代の私たちの前にその威容を誇っている遺構だなんて・・・信じられますか?
これほどの歴史遺産に出会えた奇跡に、ただただ感謝あるのみです♪

この後は福島駅前に戻り、阿津賀志山防塁の感動を共有したオフ会参加者たちと懇親会☆
最終日は福島に残る伊達の城めぐりへ♪…おっと、その前に石母田城跡も記事にしないと!

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