桑折西山城、梁川城 - 福島に残る伊達の城
11月3日、福島の旅も最終日。
午前9時に福島駅近くで集合し、まず最初の目的地・桑折西山城へ向けて出発。

途中、素敵な建物が目に入ってきたので寄り道…旧伊達郡役所。
明治16年に建設された建物です。
更に旧伊達郡役所内に設置されていた観光案内マップで、ゆっきーがみつけてくれたので、、、

旧奥州街道と旧羽州街道の追分♪

たかが道、されど道、、、テンション上がるわぁ~(笑)
◆桑折西山城
図面

桑折西山城は伊達政宗の曽祖父・伊達稙宗の居城。
稙宗の三男・実元の越後上杉氏への入嗣問題を巡り、稙宗と嫡男・晴宗が家中を割って対立した天文の乱では、稙宗は一時、晴宗によってここ桑折西山城で幽閉されています。
(その後、家臣によって救出されている)

大手門跡
この辺りまで、細くて未舗装ながら車で上がれる道があります・・・が、この日は前夜から未明にかけて降った雨のせいでぬかるみ、大変な思いをする羽目に・・・。
細い道の右側は切り立った斜面なのですが、地盤が緩んでいてそちらへ“のめって”いくような感触がするし、タイヤが空転して動かなくなるしで、、、登り切った時にはタイヤで跳ね上げた泥で、我が愛車は無残な姿に…(;´・ω・)
ま、無事でよかった。

一部、発掘調査中の箇所もありました。
図面にはまだ郭として書き込まれていない位置(中舘と二ノ丸の間の窪地部分)ですが、柱穴などが検出されているようなので今後追加されるかもしれませんね。

その発掘現場付近から見上げる中舘方向。
さすがに伊達家当主の居城だっただけのことはあり、かなり規模の大きな縄張です。

中舘に残る外枡形・・・格好いい♪

この枡形、外側にももう1本土塁が渡してあり、複雑な構造をしていました。
※この中舘には、熊のでーっかい「落し物」もありました…(;^ω^) 遭遇しなくて本当によかった。

中舘と西舘の間の空堀。ここもいい☆

西舘には石積みがあり、一瞬テンションが上がりましたが、どうやらこれは昭和の初め頃、この郭跡を畑として利用していた時期に積まれたものらしいのです。
ただ周辺には他にも石材がゴロゴロしており、写真部分も含めて往時にも実際に石が積まれていた可能性はあるとは思います。

西舘の枡形虎口。
この虎口付近にも石材がたくさん転がっており、石積みの枡形だったものと思われます。
この虎口の先、郭を一段下ると、、、

更にもう一つ、立派な枡形が!
枡形を連続させて組み合わせる堅牢な虎口、お見事☆

二ノ丸へ移動し、本丸方面を見る。
兎に角このお城、郭がやたらに広い。

二ノ丸と本丸の間の堀に架かるこれは土橋か、畝の一つか…?

本丸に建つ石碑
桑折西山城、それほど期待してはいなかったのですが、なかなかどうして見事な城跡でした。
登りは散々に苦労した未舗装の山道も、帰りは何とか無事に下りられました…(;^ω^)

次の目的地である梁川城へと移動する道中、とても綺麗な虹が見送りしてくれました♪
こんなに低い位置に架かる虹は、ちょっとお目にかかったことないなぁ~。虹に包まれるようにして見えているのは阿津賀志山です。
(写真提供:ゆっきー)
◆梁川城
福島県伊達市梁川町に残る梁川城は、伊達稙宗によってその居城が桑折西山城へと移されるまで、約300年間に渡って伊達氏の居城だったと考えられているお城です。
その後も政宗の初陣となった相馬氏との戦いでは伊達軍の拠点となり、また政宗の正室・愛姫輿入れの際には、花嫁の受け渡しがされたのも梁川城でした。

城跡の中心部には学校などが建てられて遺構の多くが失われていますが、それでも北側の郭跡には今も立派な枡形の土塁が残っていました。

この枡形の先には堀跡も。

あちらにも土塁が。

城域の最北端と推定される位置の堀。

これも堀の跡ですね。

街中とはいえ、よ~く見ていれば他にも随所に遺構が残っていました。
さて、これにて2泊3日に渡る今回の福島旅も終了です。
福島駅まで参加者の皆さんを送り、愛車と共に帰路へ。少し早目に解散したものの、宇都宮を過ぎた辺りから何度も渋滞にハマりました…。
行きは4時間だった道のりも、帰りは結局6時間…それでも無事に帰ってこれたので良しとしなくては!
参加者の皆さん、楽しい時間をありがとうございました☆ 我が愛車もお疲れさま♪
午前9時に福島駅近くで集合し、まず最初の目的地・桑折西山城へ向けて出発。

途中、素敵な建物が目に入ってきたので寄り道…旧伊達郡役所。
明治16年に建設された建物です。
更に旧伊達郡役所内に設置されていた観光案内マップで、ゆっきーがみつけてくれたので、、、

旧奥州街道と旧羽州街道の追分♪

たかが道、されど道、、、テンション上がるわぁ~(笑)
◆桑折西山城
図面

桑折西山城は伊達政宗の曽祖父・伊達稙宗の居城。
稙宗の三男・実元の越後上杉氏への入嗣問題を巡り、稙宗と嫡男・晴宗が家中を割って対立した天文の乱では、稙宗は一時、晴宗によってここ桑折西山城で幽閉されています。
(その後、家臣によって救出されている)

大手門跡
この辺りまで、細くて未舗装ながら車で上がれる道があります・・・が、この日は前夜から未明にかけて降った雨のせいでぬかるみ、大変な思いをする羽目に・・・。
細い道の右側は切り立った斜面なのですが、地盤が緩んでいてそちらへ“のめって”いくような感触がするし、タイヤが空転して動かなくなるしで、、、登り切った時にはタイヤで跳ね上げた泥で、我が愛車は無残な姿に…(;´・ω・)
ま、無事でよかった。

一部、発掘調査中の箇所もありました。
図面にはまだ郭として書き込まれていない位置(中舘と二ノ丸の間の窪地部分)ですが、柱穴などが検出されているようなので今後追加されるかもしれませんね。

その発掘現場付近から見上げる中舘方向。
さすがに伊達家当主の居城だっただけのことはあり、かなり規模の大きな縄張です。

中舘に残る外枡形・・・格好いい♪

この枡形、外側にももう1本土塁が渡してあり、複雑な構造をしていました。
※この中舘には、熊のでーっかい「落し物」もありました…(;^ω^) 遭遇しなくて本当によかった。

中舘と西舘の間の空堀。ここもいい☆

西舘には石積みがあり、一瞬テンションが上がりましたが、どうやらこれは昭和の初め頃、この郭跡を畑として利用していた時期に積まれたものらしいのです。
ただ周辺には他にも石材がゴロゴロしており、写真部分も含めて往時にも実際に石が積まれていた可能性はあるとは思います。

西舘の枡形虎口。
この虎口付近にも石材がたくさん転がっており、石積みの枡形だったものと思われます。
この虎口の先、郭を一段下ると、、、

更にもう一つ、立派な枡形が!
枡形を連続させて組み合わせる堅牢な虎口、お見事☆

二ノ丸へ移動し、本丸方面を見る。
兎に角このお城、郭がやたらに広い。

二ノ丸と本丸の間の堀に架かるこれは土橋か、畝の一つか…?

本丸に建つ石碑
桑折西山城、それほど期待してはいなかったのですが、なかなかどうして見事な城跡でした。
登りは散々に苦労した未舗装の山道も、帰りは何とか無事に下りられました…(;^ω^)

次の目的地である梁川城へと移動する道中、とても綺麗な虹が見送りしてくれました♪
こんなに低い位置に架かる虹は、ちょっとお目にかかったことないなぁ~。虹に包まれるようにして見えているのは阿津賀志山です。
(写真提供:ゆっきー)
◆梁川城
福島県伊達市梁川町に残る梁川城は、伊達稙宗によってその居城が桑折西山城へと移されるまで、約300年間に渡って伊達氏の居城だったと考えられているお城です。
その後も政宗の初陣となった相馬氏との戦いでは伊達軍の拠点となり、また政宗の正室・愛姫輿入れの際には、花嫁の受け渡しがされたのも梁川城でした。

城跡の中心部には学校などが建てられて遺構の多くが失われていますが、それでも北側の郭跡には今も立派な枡形の土塁が残っていました。

この枡形の先には堀跡も。

あちらにも土塁が。

城域の最北端と推定される位置の堀。

これも堀の跡ですね。

街中とはいえ、よ~く見ていれば他にも随所に遺構が残っていました。
さて、これにて2泊3日に渡る今回の福島旅も終了です。
福島駅まで参加者の皆さんを送り、愛車と共に帰路へ。少し早目に解散したものの、宇都宮を過ぎた辺りから何度も渋滞にハマりました…。
行きは4時間だった道のりも、帰りは結局6時間…それでも無事に帰ってこれたので良しとしなくては!
参加者の皆さん、楽しい時間をありがとうございました☆ 我が愛車もお疲れさま♪
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