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2014年11月 5日 (水)

二本松城と粟ノ須古戦場

11月1~3日の3連休は福島県へ。
メインの目的は国見町に残る阿津賀志山防塁をめぐるオフへの参加で、初日の11/1は移動のための前乗り。
宿は郡山に確保していましたが、折角なので愛車を飛ばして二本松城まで足を延ばしました。

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4時間ほどのドライブを経て午後2時半過ぎ、二本松城に到着。
山麓の箕輪門。

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二本松といえば忘れてはならない存在、二本松少年隊群像
今回は下準備が出来ていないので詳しくは触れませんが、いずれまた別の機会に彼らの歴史にきちんと向き合いたいと思います。

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この日は菊祭りが開催されていて、山麓は多くの人出で賑わっていました。

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枡形の石垣に食いついて離れない人が…(;・∀・)

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二本松藩士自尽の地碑
戊辰戦争で新政府軍の攻撃を受けて落城した際、二本松藩内の主戦論者であった家老・丹羽一学、城代・服部久左衛門、小城代・丹羽新十郎の3名が責任を負って切腹した地です。

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日影の井戸
千葉県印西市の月影の井、神奈川県鎌倉市の星影の井と並び日本の三井と称されているそうです。

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しばらく登ると、本丸高石垣が見えてきました。

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本丸下南面に残る大石垣
本丸の高石垣は平成5~7年の整備・復元ですが、こちらは現存。

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本丸の枡形

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天守台

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天守台脇に建つ丹羽和左衛門(城代)、安部井又之丞(勘定奉行)自尽の碑
この両名もやはり、戊辰戦争での二本松城落城に際し、割腹して果てました。

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天守台からの眺め・・・

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天守台からの眺め・・・その2

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あちらは復元展示されている天守台の石垣。
移築復元とはいえ、オリジナルの石材が使われています。

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天守台の西面下に残る二段石垣。こちらも現存。
犬走りも遺構です。

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空堀

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土井晩翠歌碑
昭和24年に当地を訪れ、花吹雪の中を散策した情景を詠みました。

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二合田用水
城の防備強化を目的に、安達太良山麓から約18㎞も引いてきた用水。なんと幕府には内密だったそうです。

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智恵子抄詩碑
高村光太郎の直筆で「樹下の二人」「あどけない話」の一節を刻んだ銅板をはめ込んでいます。

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少年隊の丘
戊辰戦争直前まで砲術道場があった場所とされ、少年たちが稽古をしていたと伝えられています。

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「二本松少年隊奮戦の図」レリーフ

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二本松少年隊顕彰碑

駆け足で二本松城散策を終えた後は車で少し移動して、、、

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粟ノ須古戦場跡
天正13年、伊達政宗との間で和議が成立し、その仲立ちをとった政宗の父・輝宗への御礼言上に宮森城を訪れていた畠山義継は帰り際、あろうことか見送りに出た輝宗を拉致して自らの居城であった二本松城へ連れ去ろうと画策します。
急を聞いて駆けつけた政宗が義継一行を追い詰め、殲滅した場所です。

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畠山義継主従陣没碑
この時の戦いで畠山義継は無論のこと、伊達輝宗もその命を落としました。

さて、ここいらで日も落ちて暗くなってきたので、ホテルへ引き上げます。
夜は翌日からの阿津賀志山防塁オフ参加者たちと郡山で合流して前夜祭♪楽しく盛り上がりました☆

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