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2014年12月17日 (水)

小谷城 ②(中丸~月所丸)

「小谷城 ①」からの続きです。

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本丸周辺の遺構を堪能した後は中丸へ。
それにしても見事な眺め!曲輪が幾段にも重なっている様子が見通せます。

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ここにも素敵な石垣が♪

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中丸から少し西側の斜面へ逸れて京極丸の下、清水谷から登ってくる水の手口の虎口へ。

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水の手口虎口の石垣

八月廿七日、夜中に、羽柴筑前守、京極つぶらへ取り上り、浅井下野・同備前父子の間を取り切り、先ず、下野が居城を乗つ取り候。
(信長公記 巻六「阿閉謀叛の事」より)

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規模の大きな竪土塁も。

小谷城攻めの先陣を託された羽柴(木下)秀吉隊が、京極丸攻略に先駆けて攻め上ってきた…かもしれないルート。

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京極丸の虎口

復元図Ⅲ
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京極丸を落とした秀吉は、その上段に位置する小丸の浅井久政と本丸の長政父子の分断に成功しました。

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京極丸の土塁

翌日、又、信長京極つぶらへ御あがり侯て、浅井備前・赤生美作生害させ、
(同)

すっかりこの記述を見落としていたのですが、秀吉が京極丸を落として久政を自害させた翌日、信長自身も京極丸まで上がってきていたのですね♪

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こちらが浅井久政が籠っていたと云う小丸

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続いて山王丸方面へ。
山王丸下に残る見事な大石垣。

復元図Ⅳ
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いつの時期か、かつてここには山王社が祀られていたことから「山王丸」の名がつきました。

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先ほどの大石垣も凄かったですが、虎口周辺の石垣も大きな石材を使用していて迫力があります。

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その虎口を中から見た様子。(復元図Ⅳ-

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山王丸

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復元図Ⅳ-の虎口

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復元図Ⅳ-の土塁にも石垣が。

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山王丸から見上げる大嶽城・・・まだまだ先は長い…(^_^;)

復元図Ⅴ
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続いて六坊へ。
領内の有力寺院6つの出張所が置かれていたことから、その名がつきます。

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ここでも一部、石垣が確認できます。

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六坊址の碑

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土塁によって曲輪が複雑に配置されており、なかなか見応えがあります。

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六坊辺りが、清水谷の起点のようになっています。
ちなみに我々はここ六坊で昼休憩をとりました。

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昼休憩を終えた後はご覧のような難所を抜けて、、、

復元図Ⅵ
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月所丸


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復元図Ⅵ-の畝堀
写真だとちょっと分かり辛いですよね…(;・∀・)

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何となく畝が波打っているように見えません?(;^ω^)

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復元図Ⅵ-の土塁
ここも残存状態良好。あの土塁の先の、、、

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切岸がまた見事なこと!(復元図Ⅵ-

さ、天候も何とかもってくれていることだし、この後はいよいよ大嶽城へのアタックを開始します!
※「小谷城 ③(大嶽城~山崎丸)」へつづく。

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