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2015年1月

2015年1月28日 (水)

VR「幻の安土城を観る」

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1月28日、東京国立博物館東洋館地下1階のミュージアムシアターで開催された、よみうりカルチャーさん主催の講座;
~大画面・高精細映像で観る~ 幻の安土城
を受講してきました。
近江八幡市監修の元で制作されたVR映像(東京では今回が初公開!)を、なんと『信長の城』の著者としても知られる奈良大学学長・千田嘉博先生の解説付きで体験できるという贅沢な企画♪

午前10時の開演後、千田先生による「安土城とは?」という内容の前説から始まり、早速VR映像へ。
まずは「絢爛 安土城」と名付けられた15分程のショートムービーを堪能。300インチの大画面から流れるVR映像の迫力、美しさにすっかり魅了されました。

引き続きマニュアル操作版安土探訪」へ。
「秀吉」「利休」「光秀」「信長」「鷹」という5つのコースと、
「大手門前」「黒金門前」「天主入口」「天主最上階」「セミナリヨ」「城下町」「内湖の島」「観音寺山」という8つのシーンから成ります。
全ての場面に於いて視点を自由自在に手動で動かせるのみならず、朝・昼・夕、そして盂蘭盆会のライトアップと、時間帯まで選択できる優れものでした。

上記のシーンコースの中からいくつかの項目をピックアップして、千田先生の解説と共に観ていきましたが、特にコースの「光秀」は;
明智光秀がその居城・坂本城から船で琵琶湖を渡り、安土城へ向かっている設定で制作されており、今となっては埋め立てにより消滅した内湖からの安土城という、レアなヴィジュアルを体験出来て面白かったです。

その他、安土城の見事な再現に比して城下町の作り込みの甘さに千田先生からツッコミが入ったり、
滋賀県の公式見解では「大手道は黒金門には繋がっていなかった」とされている筈なのに、どういう訳か(滋賀県近江八幡市監修の)本VR映像ではちゃんと繋がっていて「ここだけは千田説を採用してくれたのか?!」と、逆に喜ばれたりしていました(笑)

最後に30分程、先生のご著書『信長の城』をベースにした講演があって講座は終了しました。
先生の講演を拝聴するのは昨年4月に続いて2度目ですが、相変わらずジョークを交えながらのトークは軽妙で楽しく、且つとても勉強になり、見事な出来栄えのVR技術とも相まって充実した時間を過ごすことができました。

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このVRプログラム、今年(平成27年)の春からは安土にある「安土城天主 信長の館」でも体験できるようになるらしいので、機会があれば是非また足を運んでみたいと思います。

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2015年1月20日 (火)

陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様

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上野にある東京国立博物館にやって参りました。
今回の一番のお目当てはこちら、、、

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陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様です!
織田信長より溝口家が拝領したと伝えられる品。
1月25日までの期間限定で展示されており、フォロワーさんに教えていただいて矢も楯もたまらずに駆けつけました(笑)

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その名の通り、背中の紋は揚羽蝶
揚羽蝶は平氏の家紋。信長自身、織田家の出自を平氏と位置付け、「平信長」と名乗ったこともあります。
これはその時期に作られたものでしょうか。

また一つ、織田信長公ゆかりの品に出会えて満足♪
※展示期間につきましては、東京国立博物館のホームページなどでご確認ください。

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「上野清水堂不忍池」名所江戸百景めぐり…Part3

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江戸名所百景「上野清水堂不忍池」

清水堂とは東叡山寛永寺の伽藍の一つで、現在も上野公園内に建つ清水観音堂のことです。京都の清水寺を模して作られており、ちゃんと舞台も設けられています。
舞台の先に見える枝が円形に曲がった木は、その形から月の松と呼ばれ、江戸庶民にも親しまれていましたが、残念ながら明治初期に消失してしまいました。

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清水観音堂

そして、、、
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「上野清水堂不忍池」・・・その現在
今でこそ不忍池は見えませんが、舞台を含む建物は寛永八年の創建当時のまま。
そして、何故か消失したはずの月の松までもが…!?

実は寛永寺関係者の発案により再現が試みられ、2012年12月からお披露目されたのだそうです。
詳しくは分かりませんが、ここまで見事な円形に仕上げるのはきっと難しいことなのでしょう。
それを考えると、江戸時代の「初代」月の松を育てた職人への敬意は無論のこと、「二代目」を再現してくれた現代の関係者の努力にも感謝ですね♪

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2015年1月18日 (日)

四津山城・杉山城・中城

1月17日、比企のお城をめぐるオフに参加させていただきました。
朝9時に川越駅前へ集合、車2台に分乗して最初に向かったのは、、、

■四津山(高見)城
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四津山城です。
比企郡小川町高見にあるので「高見城」とも呼ばれています。

縄張図
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鉢形城と松山城の中間に位置し、目の前には鎌倉街道(上道)が通る交通の要衝を押さえる城です。
築城年代はハッキリしませんが、文明12年(1480)の太田道灌書状写に「高見」「高見在陣衆」という言葉が出てくることから、この頃には既に存在していたのではないかと考えられているそうです。
豊臣秀吉による北条征伐では氏邦配下の兵が籠っていましたが、戦うことなく主城の鉢形へと退いていきました。(「関八州古戦録」)

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本郭跡に建つ四津山神社の参道脇には「犬走り」の案内板が。
・・・すると、この山道は当時から存在した遺構ということでしょうか。図A

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何故か剣を持たされた不動明王尊像

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長い石段を何とか上り切り、やっとの思いで辿り着いた本郭

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本郭からの眺め。
この眼下に鎌倉古道(上道)が走り、右手奥、紅白の鉄塔が並ぶ先の尾根には杉山城があります。
写真からは切れてしまっていますが、左の遥か彼方には筑波山も望むことができました。

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本郭虎口付近の土塁

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本郭と二の郭を隔てる堀切と、、、

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そこから続く竪堀

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二の郭の枡形虎口。綺麗に残っています。

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二の郭と三の郭の間に架かる土橋(木橋の橋脚台か?)と、両脇に竪堀。

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その竪堀

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三の郭から一旦ルートを逸れ、笹藪を掻き分けて南西側の斜面を下って竪堀を見にいきました。
・・・が、ご覧の有様で写真では全く伝わらないので割愛します(笑)

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三の郭
周囲を取り巻く土塁も確認できます。

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三の郭の先端、櫓台跡。図B

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その櫓台から城外を見下ろす高低差。

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反対に城外から櫓台を見上げる。
攻城兵からは絶望感さえ漂ってきそうな絶壁の切岸。。。

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櫓台へ取り付く土橋(左手前)と竪堀

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再び斜面を下り、図Cにある畝状竪堀群も見に行きましたが・・・藪がきつくて…(^_^;)
それでも何とか痕跡は確認できましたが、写真では無理ですね(笑)

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最後に二の郭から北側の急斜面を下り、、、

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土塁や、

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横堀、

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竪堀も確認しました。以上、図D
更に、そのまま斜面を東へ回り込み、腰郭へ向かった先で、、、

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別の竪堀を発見。図E

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この竪堀、腰郭の更に上まで続いていました。

結構きつい藪こぎもありましたが、見所も多くて楽しめました、四津山城☆

昼休憩を挟み、次は杉山城を攻めます。


■杉山城
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大手口(南)脇にある塹壕跡と思しき遺構

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南三の郭の横矢から土橋を狙う(笑)

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南三の郭を取り巻く横堀
こういう、外側に土塁を掻き上げて横堀に仕立てた構造、好きです。

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クネクネと折れ上がっているところがまたいいよね♪

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東郭群を見る。
いつ来ても整備が行き届いている杉山城ですが、この日は一段と刈り込まれていました。
お陰でとても見易いのですが、同行していただいた西股先生の目には「木を伐採し過ぎ」とか。そのせいで土塁や切岸が崩れ易くなってしまうのだそうです。なるほど・・・難しいものですね。

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本郭からの南郭群
・・・確かに「丸裸」といった風情だね…(^_^;)

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本郭の土塁

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本郭から見下ろす東郭群
最下段、東三の郭まですっかり刈り込まれています。

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東三の郭

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東三の郭から本郭(右)、南郭群(左)を見上げる。

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引き続き、北郭群へ向かいます。
北二の郭脇の斜面下にも横堀が走ります。

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北二の郭と三の郭間の堀
郭の角できっちりと折ってあります。

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そして北三の郭先端、搦手口

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搦め手口から見遥かす四津山城(写真中央)
先程まではあちらにいました。

いつ来ても見易く、アプローチも楽で関東の土の城を知るにはうってつけの存在。
杉山城、お城好きには一度は訪れていただきたい城跡です。


■中城
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最後は小川町駅すぐ近く、中城へ。

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すぐにとっても素敵な横堀がお出迎えしてくれます。

中城は広めの郭を土塁と横堀がぐるりと取り囲む単郭式の城跡で、いかにも中世土豪の居館跡といった雰囲気です。

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その主郭には現在、テニスコートが。
その脇に、、、

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仙覚律師遺跡の碑
仙覚は鎌倉時代の僧侶で、「万葉集註釈」を著しました。その奥書に「武蔵国比企郡北方の麻師宇(ましう)郷の政所」とあり、この地で記したものと推定されています。
ちなみに中城は猿尾(ましお)氏の居館跡と考えられています。

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主郭の土塁と横堀・・・いいねぇ♪

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主郭からの眺め。
写真中央、一段低い山が青山城跡だそうです。

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横矢を掛けるために折れ曲がる横堀

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堀底を行く・・・

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主郭から

単郭式とはいえ、一つ一つの遺構が見事で結構見応えあります、中城。
埼玉県西部には本当に、いいお城がたくさんありますね。

これにて今回のオフ会は終了です。
まだまだ未訪のお城がたくさんあるし、比企・秩父・寄居辺りは定期的に足を運びたい地域です。

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2015年1月12日 (月)

蜻蛉切 & 一文字の太刀

11年ぶりに蜻蛉切が公開される、との情報を得たので、、、

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早速、静岡県三島市にある佐野美術館へ。
平成27年1月9日~2月15日までひとの縁は、ものの縁と銘打ち、沼津の実業家だった矢部利雄氏(故人)が築き上げたコレクションの数々を公開しています。

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蜻蛉切も、そんな矢部コレクションの一つ。
個人蔵のため、これまでなかなか公開されることはありませんでした。

蜻蛉切
(大笹穂槍 銘 藤原正真作)

徳川四天王の一人で「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と謳われ、織田信長からも「花実兼備の勇士」と讃えられたと云う本多平八郎忠勝
蜻蛉切はその本多忠勝愛用の槍で天下三名槍の一つにも数えられます。戦場で槍を立てていたところ、飛んで来た蜻蛉が当たって二つに切れたという逸話から「蜻蛉切」の号が付きました。

実物を拝観すると、想像していたよりもずっと細身(最大幅3.7cm)で且つ美しく、繊細なイメージすら抱きました。豪勇で鳴らした忠勝のイメージとは、少しギャップがあるような…。
しかし穂先は怜悧なまでに研ぎ澄まされており、蜻蛉が当たっただけで切れたというのも、さもありなんという印象でした。

そして槍身の中央には3文字の梵字と、刀剣のような文様が刻まれていました。
梵字はそれぞれ「」「キリーク」「」というもので、順に地蔵菩薩阿弥陀如来観音菩薩を表すそうです。
また、刀剣のような文様は「三鈷柄剣」といい、よく不動明王が手にしている密教法具なのだそうです。魔を打ち砕き、煩悩を払う力を持つとか・・・。

己の命を懸け、数多の戦場を往来した本多忠勝。手にするその槍に刻んだものの意味するところとは・・・深いですね。


同展には他に、織田信長が長篠合戦の褒美で奥平信昌に与えたと云う;

一文字の太刀(国宝)
(太刀 銘 一)

も展示されていました。
荒々しいまでの刃文が美しく、その文様はどことなく、やはり信長が黒田官兵衛に与えた「へし切」に似ていると感じました。

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ミュージアムショップで蜻蛉切と一文字の太刀の絵葉書を購入。
展示されているコレクションは刀剣に限らず、漆工・金工・陶磁器・絵画など多岐に渡りますが、この二つを拝観出来ただけでもう感激です☆

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佐野美術館にはちょっとした日本庭園があり、

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敷地から通りを挟んで向かいには、貴重な梅花藻の繁殖地もあります。

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ちょっとピントが合っていませんが、よ~く見ると小さな花がちゃんと咲いていましたよ♪

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折角なので少し足を延ばして沼津港へ。
雲を被ってしまっているけど富士山もよく見えました。…が、立っているのも困難な程の強風が吹き荒れ、海は大シケ。寒かった~

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港の飲食店街で遅めの昼食。

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駿河湾名物、生しらすと生桜エビの丼に生牡蠣をプラスで☆
美味しかったですよ♪

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2015年1月 9日 (金)

「信長からの手紙」展 (永青文庫)

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文京区目白台に建つ永青文庫へ・・・

永青文庫熊本藩細川家に代々伝来した貴重な文化財の数々を所蔵し、一般にも公開展示しています。
江戸時代後期から熊本藩の下屋敷が置かれていた跡地に建ち、現在の建物は昭和初期に細川侯爵家の事務所として建設されたものなのだそうです。

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その永青文庫で現在、「重要文化財指定記念『信長からの手紙』~細川コレクションの信長文書59通、一挙公開!~」展が開催されています。
※平成27年1月6日~3月15日(前期1/6~2/8、後期2/10~3/15)

副題にある通り、織田信長が発給した文書全59通(主に細川藤孝宛)が一挙に公開されているのです!これを見逃す手はないでしょう♪
※前後期で入替有り

展示スペースいっぱいにズラリと並べられた「天下布武」の朱印状、黒印状の数々。。。どれもこれも興味深い内容ばかり、とても全てについて言及することは叶いませんが、中でも特に目を引いたのは;

織田信長自筆感状(細川忠興宛/天正五年十月二日付)
堀秀政添状(同)

のセットですね。
堀秀政の添状に「御自筆之被成御書候」(御自筆にてこれを御書き成され候)とあることから、感状が信長の自筆であることが証明されています。
※読み下し:管理人
信長の真筆として確定できる唯一の文献なのだそうです。とても力強く、堂々とした筆致でした。

そしてこの細川忠興に宛てられた感状、「信長公記」にもしっかりと記録されていました。

十月一日、片岡の城へ取り懸け、攻められ侯。永岡与一郎、同弟頓五郎、あには十五、おとゝは十三、未だ若輩にて、一番に乗り入り、(中略)永岡が手の者、三十余人討死させ、与一郎、頓五郎、兄弟高名なり。(中略)年にも足らざる両人の働き、比類なきの旨、御感なされ、忝くも、信長公、御感状なし下さる。後代の面目なり。
(信長公記 巻十「片岡の城攻め干さるゝの事」より)

歴史は必ず繋がるものですね♪

その他の書状は祐筆の筆になるもので、主に武井夕庵楠長あん(言べんに安)の二人のものが多かったようです。
じっくり観ていると、二人の筆跡の違いは見分けられるようになるものですね(笑)

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全ての書状を網羅した図録(左、\1,500)も購入しましたので、一点一点丹念に、時間をかけてじっくり勉強していきたいと思います。


織田信長発給文書以外では;

・切り取られた蘭奢待の欠片
→細川家への伝来は不明とのことですが、歴史上蘭奢待を切り取った人物はごく限られていますし、或いは織田信長が天正2年に切り取らせた欠片の一部であっても不思議はないですよね。

明智光秀覚条々
→本能寺で信長を討った明智光秀が変の直後、細川父子(藤孝・忠興)を味方に付けるため、
「今回の事(本能寺の変)は忠興などを取り立てるためにやったことであり、50日、100日の内には近国を固めるので、そうしたら十五郎(光秀息)、与一郎殿(忠興)らに政権を引き渡す」
などと書き送った、三ヶ条からなる有名な覚書です。

細川幽斎像(肖像画)

などが特に強く印象に残りました。

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建物自体も昭和モダン薫る素敵なものですし、織田信長関連以外のコレクションも楽しめます。
特に信長自筆感状や添状、光秀の覚条々などは前期のみの展示になりますので、ご興味お持ちの方はお早目に☆


※以下2015年3月4日 追記

後期展示にも足を運んできました。
全体的に後期は、天正3年の長篠合戦前後や同10年の甲州征伐に於ける対武田戦にまつわるものや、細川藤孝が拝領した丹後の統治・計略に関する指示・連絡、藤孝からの進物に対する礼状などが多かった印象です。

それらの中で、特に印象に残った書状を挙げると・・・

織田信長黒印状(細川藤孝宛/天正四年六月二十八日付)
→(天下布武ではなく)謎のの黒印。
他に例がなく、何故この書状にだけ「寶」の印盤が使用されたのか…とても不思議です。

ちなみに朱印黒印の使い分けですが、朱印は安堵状や禁制などの権利・命令を伝える書状に用い、黒印は礼状や返信に用いていることが多いようです。
しかし必ずしも当て嵌まっている訳ではなく、これもまた謎のようです。

織田信長黒印状
(細川藤孝・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀宛/天正五年三月十五日付)
→冒頭に「帰候て、夜前之様子具言上候、」の一文がある書状。
この「猿」が示す人物とは果たして…?忍びの者の呼び名ではないかとの説もあるようですが、もしこれが秀吉を指しているのならば、俗説だけではなく、彼が実際に「猿」と呼ばれていたことを示す証拠にもなり得るだけに、大変興味深いです。


織田信長の書状以外では何と言っても;

羽柴秀吉血判起請文(細川藤孝・忠興宛/天正十年七月十一日付)

が後期展示の目玉でしょうか。
テレビなどで紹介された影響か、前期で訪れた時よりもだいぶ混雑していましたが、後期も充実の内容。
織田信長公の貴重な書状の数々、間近に接することができて幸せです。

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2015年1月 1日 (木)

新年のご挨拶 2015

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新年あけましておめでとうございます♪
日頃から拙い当blog記事にお付き合いいただき、感謝申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、2015年は私にとりましては40の大台に到達する節目の年でもありますが、我が家の愛犬ボンは満12歳を迎えます。
そう、未年生まれの年男

もう彼是1年以上、脚の怪我を騙し騙ししながらの日々ですが、本当によく頑張ってくれています。

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これからも1日1日を大切に、一緒に楽しく過ごしていこうね♪

私のことを振り返ると、2014年は本当に多くの歴旅出会いに恵まれました。
とはいえ、まだまだ道半ば…というより端緒に就いたばかり。行きたい場所、学びたいことが盛りだくさん!

そんな訳で、2015年も愛犬ボン共々、よろしくお願い申し上げます。
まずは新年のご挨拶まで。

2015年元日

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