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2015年1月 9日 (金)

「信長からの手紙」展 (永青文庫)

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文京区目白台に建つ永青文庫へ・・・

永青文庫熊本藩細川家に代々伝来した貴重な文化財の数々を所蔵し、一般にも公開展示しています。
江戸時代後期から熊本藩の下屋敷が置かれていた跡地に建ち、現在の建物は昭和初期に細川侯爵家の事務所として建設されたものなのだそうです。

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その永青文庫で現在、「重要文化財指定記念『信長からの手紙』~細川コレクションの信長文書59通、一挙公開!~」展が開催されています。
※平成27年1月6日~3月15日(前期1/6~2/8、後期2/10~3/15)

副題にある通り、織田信長が発給した文書全59通(主に細川藤孝宛)が一挙に公開されているのです!これを見逃す手はないでしょう♪
※前後期で入替有り

展示スペースいっぱいにズラリと並べられた「天下布武」の朱印状、黒印状の数々。。。どれもこれも興味深い内容ばかり、とても全てについて言及することは叶いませんが、中でも特に目を引いたのは;

織田信長自筆感状(細川忠興宛/天正五年十月二日付)
堀秀政添状(同)

のセットですね。
堀秀政の添状に「御自筆之被成御書候」(御自筆にてこれを御書き成され候)とあることから、感状が信長の自筆であることが証明されています。
※読み下し:管理人
信長の真筆として確定できる唯一の文献なのだそうです。とても力強く、堂々とした筆致でした。

そしてこの細川忠興に宛てられた感状、「信長公記」にもしっかりと記録されていました。

十月一日、片岡の城へ取り懸け、攻められ侯。永岡与一郎、同弟頓五郎、あには十五、おとゝは十三、未だ若輩にて、一番に乗り入り、(中略)永岡が手の者、三十余人討死させ、与一郎、頓五郎、兄弟高名なり。(中略)年にも足らざる両人の働き、比類なきの旨、御感なされ、忝くも、信長公、御感状なし下さる。後代の面目なり。
(信長公記 巻十「片岡の城攻め干さるゝの事」より)

歴史は必ず繋がるものですね♪

その他の書状は祐筆の筆になるもので、主に武井夕庵楠長あん(言べんに安)の二人のものが多かったようです。
じっくり観ていると、二人の筆跡の違いは見分けられるようになるものですね(笑)

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全ての書状を網羅した図録(左、\1,500)も購入しましたので、一点一点丹念に、時間をかけてじっくり勉強していきたいと思います。


織田信長発給文書以外では;

・切り取られた蘭奢待の欠片
→細川家への伝来は不明とのことですが、歴史上蘭奢待を切り取った人物はごく限られていますし、或いは織田信長が天正2年に切り取らせた欠片の一部であっても不思議はないですよね。

明智光秀覚条々
→本能寺で信長を討った明智光秀が変の直後、細川父子(藤孝・忠興)を味方に付けるため、
「今回の事(本能寺の変)は忠興などを取り立てるためにやったことであり、50日、100日の内には近国を固めるので、そうしたら十五郎(光秀息)、与一郎殿(忠興)らに政権を引き渡す」
などと書き送った、三ヶ条からなる有名な覚書です。

細川幽斎像(肖像画)

などが特に強く印象に残りました。

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建物自体も昭和モダン薫る素敵なものですし、織田信長関連以外のコレクションも楽しめます。
特に信長自筆感状や添状、光秀の覚条々などは前期のみの展示になりますので、ご興味お持ちの方はお早目に☆


※以下2015年3月4日 追記

後期展示にも足を運んできました。
全体的に後期は、天正3年の長篠合戦前後や同10年の甲州征伐に於ける対武田戦にまつわるものや、細川藤孝が拝領した丹後の統治・計略に関する指示・連絡、藤孝からの進物に対する礼状などが多かった印象です。

それらの中で、特に印象に残った書状を挙げると・・・

織田信長黒印状(細川藤孝宛/天正四年六月二十八日付)
→(天下布武ではなく)謎のの黒印。
他に例がなく、何故この書状にだけ「寶」の印盤が使用されたのか…とても不思議です。

ちなみに朱印黒印の使い分けですが、朱印は安堵状や禁制などの権利・命令を伝える書状に用い、黒印は礼状や返信に用いていることが多いようです。
しかし必ずしも当て嵌まっている訳ではなく、これもまた謎のようです。

織田信長黒印状
(細川藤孝・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀宛/天正五年三月十五日付)
→冒頭に「帰候て、夜前之様子具言上候、」の一文がある書状。
この「猿」が示す人物とは果たして…?忍びの者の呼び名ではないかとの説もあるようですが、もしこれが秀吉を指しているのならば、俗説だけではなく、彼が実際に「猿」と呼ばれていたことを示す証拠にもなり得るだけに、大変興味深いです。


織田信長の書状以外では何と言っても;

羽柴秀吉血判起請文(細川藤孝・忠興宛/天正十年七月十一日付)

が後期展示の目玉でしょうか。
テレビなどで紹介された影響か、前期で訪れた時よりもだいぶ混雑していましたが、後期も充実の内容。
織田信長公の貴重な書状の数々、間近に接することができて幸せです。

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