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2015年2月

2015年2月21日 (土)

伝森蘭丸所用の甲冑 ―伊澤昭二コレクション―

快晴に恵まれた土曜日。
家でダラダラしているのも勿体ないと思い立ち、ちょっと愛車を走らせて狭山市立博物館へ。

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平成27年3月1日までの会期で、城山砦と鎧展 ―伊澤昭二コレクション―が開催されています。
城山砦とは狭山市に残る城(砦)跡で、柏原城とも呼ばれています。一応、城山砦のジオラマなどは展示されていましたが、展示品のメインはあくまでも伊澤コレクション。何故、城山砦を企画展に組み合わせたのかは若干謎です…(^_^;)
という訳で、本記事でも省略します。

私の一番の目的はこちら・・・

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伝 森蘭丸所用 金箔押色々威伊予札胴丸具足
森蘭丸(乱)が如何なる人物か…は、今更説明するまでもないですね。織田信長好きとしては外せません!(笑)

こちらの甲冑は近江の豪商、扇屋(伴)伝兵衛家に伝来したそうです。
台座になっている具足櫃に;

八幡山新町具足櫃 森蘭丸公御召 扇屋伝兵衛

と書かれています。
南無阿弥陀仏」の前立が特徴的ですね。

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甲冑と付随して蘭丸の軍配も伝わっています。
伝 森蘭丸所用 黒漆塗網代製軍配団扇

ところで、
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八幡山の麓に広がる滋賀県近江八幡の街には今も新町があり、新町通り沿いには扇屋(伴)伝兵衛家の土蔵(写真)が残っています。
もしかすると、あの甲冑もこの蔵に保管されていたのかも…と考えると、何だか不思議な感じがします。

また、新町には同じく近江商人であった森五郎兵衛邸がありますが、その初代は扇屋伝兵衛家に勤め、別家を許されて独立しました。

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現在も東京の日本橋室町に建つ近三ビルは、その森五郎兵衛家の建築です。
元の名は森五ビル…歴史は繋がりますね。

※近江八幡関連情報、及び伴家土蔵写真提供:あっぴん。さん


その他、主だった展示品をご紹介。
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伝 豊臣秀吉所用
太閤桐紋白沙羅陣羽織

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伝 上杉景勝所用

鉄地黒漆塗縦矧二枚胴具足

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(長篠合戦で着用した?)伝 小幡信貞所用
六柏葉紋赤羅沙地陣羽織

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伝 小幡信貞所用
黒漆塗二枚仏胴具足

・・・奥には長篠で名を馳せた鳥居強右衛門の有名な絵。

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左手前から・・・
伝 北条氏康所用 鉄地黒漆塗十二間筋兜三鱗据金物付
伝 北条氏康所用 黒漆塗日月軍配
伝 伊勢新九郎長氏(北条早雲)所用写し 黒漆塗軍配

三島の佐野美術館で先日まで開催されていた特別展の矢部コレクションでも感じましたが、個人でこれだけの品々を集めてしまう資金力と労力とは、一体どのようにして湧き出るものなのでしょうね(笑)

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2015年2月13日 (金)

亀山本徳寺

旅の最後は亀山本徳寺へ。
行程が押して16時の閉門時間ギリギリ(20分前!)の到着となってしまいましたが、何とか間に合いました~(汗)

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本徳寺本堂

本徳寺は明治元年の火災で本堂が焼失した為、明治6年になって京都の西本願寺から同寺の北集会所の建材を移築して本堂として再建されました。
…つ・ま・り、これこそ新選組が西本願寺に屯所を置いていた時期、まさしく彼らが使用していた建物なのです!!

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近藤も土方も沖田も永倉も斎藤も、そして源さんも・・・み~んなが歩いていたであろう廊下(^O^)

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ちゃんと本徳寺さんも紹介してくださっています(笑)

そして、そこかしこの柱には・・・

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新選組隊士が付けたであろう、刀疵が・・・

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これでもか!ってくらいにギザギザ…(^_^;)
隊士の皆さん、いったい何やってんの?(笑)

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平成26年9月に西本願寺で発見された史料の中で、土方歳三が;
隊士一人につき畳一枚分しか寝る場所がない。しかも暑くて仕方なく、病人も追々出ていて公用を務めるのも難しくなっており、隊士らの不満を制止できない。
と訴えてきたとの記録が残っていた、その空間。
幕府御典医・松本良順が訪れた時も、そこら中に病人が寝転がっていたと云います。

土方の訴えを受けた西本願寺は南北の壁を取り払って風通しを良くし、更に内陣後堂にも畳を敷いて使える場所を広げたとのことでしたが、、、

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内陣とはこの辺りのことかな?
後堂はきっと、金色の引き戸の向こう側。

西本願寺の新発見史料については、こちら↓の記事もご参照ください。
「土方歳三のゆ・う・う・つ」 -本願寺史料研究所公開講座

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なんだか近藤さんや歳さんが並んで腰掛けていそうな雰囲気ではありませんか♪

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ようやく念願叶っての訪問。感無量です。。。

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本堂のことにしか触れていませんでしたが、奥に見える太鼓楼なども素敵でした。
本徳寺は元々英賀にあり(英賀御堂)、一向衆の中心的な存在として織田軍に対抗してきましたが、後に秀吉によってここ亀山の地に移されました。

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感激に浸る間もなく、16時になったので閉門(笑)
しかし充分に堪能できたので満足です!

…さて、これにて1泊2日の旅もおしまい。
最後は姫路駅近くの喫茶店でお茶してから解散。ご一緒くださった皆さん、お世話になりました。ありがとうございます☆

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2015年2月12日 (木)

書写山圓教寺

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圓教寺へは山麓に車を停めてロープウェイで向かいます。

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ロープウェイ山上駅からの眺め。

実はこの後に訪れる予定の本徳寺拝観時間との兼ね合いもあったので、圓教寺はサクッと急ぎめの参拝となりました。

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摩尼堂

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摩尼堂からの眺め・・・高い!

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摩尼堂の裏を抜けて、、、

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大講堂食堂常行堂の三つの堂が建ち並ぶ区域へ

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その一角に本多家墓所
徳川四天王・本多平八郎忠勝や、千姫の夫・忠刻らのお墓が並びます。
忠勝さんには先日の蜻蛉切拝観を御報告しました☆

天正6年には三木の別所氏の離反を受け、神吉城攻めへと向かう羽柴秀吉がここ書写山を本陣に据えています。

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食堂(じきどう)に安置されている、羽柴秀長家臣のものと思われる落書が残る柱。

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こちらには「天正六年」とあります。
写真は上手く撮れていませんが、確かに読みとれました。

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食堂二階から大講堂

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同じく常行堂

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奥之院、開山堂

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和泉式部歌塚

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塔頭の一つ、瑞光院

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さ、本当に駆け足になっちゃったけど下山!次へ向かいます。
(つづく)

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廣峯神社、随願寺

姫路で迎える旅の2日目。
この日は前夜からのあっぴん。さんに加え、ゆっきー・みかんさん・すばるちゃんと合流し、姫路周辺の史跡を散策します。

朝9時に姫路駅前で集合し、まずは廣峯神社へ。

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駐車場に車を停め、歩き始めて最初に現われるのは御師の一つ、谷口家跡
目薬の木が植えられていました。

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谷口家跡の石垣
廣峯神社の御師屋敷(跡)はいずれも、このように立派な石垣が積まれているそうです。

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廣峯神社
733年、吉備真備によって創建されました。
黒田官兵衛の祖父・重隆は備前福岡からこの地に流れ着き、御師(神社の社家で、参拝者の世話や案内をする人)が配る神符と共に家伝の目薬を売って財を築き、黒田家を有力な豪族へと発展させました。

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随神門

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本殿

参拝を終えた後は本殿の裏手へ回り、周辺に残る御師屋敷(跡)を観て回ります。

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今も建物が残る魚住家

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更に細い山道を分け入り、、、

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ここを進んだ先に、、、

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黒田家跡
官兵衛の祖父・重隆が住み、目薬を作っていた場所…という認識であってるかな?

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屋敷地を囲むように僅かに土塀も残っていました。
地面には大量の瓦が散乱していましたが、これは恐らく土塀の材料として埋め込まれていたものだと思われます。

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黒田家跡の石垣も素敵ですね。
官兵衛も訪れたことがあるのでしょうね、きっと☆

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藤井家跡(左)と家守家跡(右)

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藤井家跡から続く土塀と石垣に挟まれたこの路地を進むと、奥の院となる吉備社があります(写真は割愛)。

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西尾家跡(推定)の石垣と土塀

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肥塚家西脇家跡などが建ち並ぶ通り。
素敵な路地ですね♪

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最後に、天祖父社と夫婦石

さくさくっと一通り観て回って、小一時間程度の散策でした。
さて、お次は随願寺へ向かいます。

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山麓に建つこちらは、随願寺の念仏堂。
最初勘違いしていましたが、本堂やお目当ての池田輝政供養塔、榊原家墓所などは車で山をずーっと登った先にあります。

という訳で、我々も移動して・・・
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関ヶ原合戦後に播磨姫路へ加増移封され、初代姫路藩主となった池田三左衛門輝政の供養塔(写真手前)。

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慶長十八癸丑年
池田輝政之塔
正月二十四日没

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徳川四天王の一つ、榊原家三代当主・忠次の墓所
初代・康政の孫にあたり、姫路城主として随願寺の再建などに尽力して名君と崇められたそうです。

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本堂
かなり立派な造りでした。

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榊原家六代当主・政邦夫婦の墓所
榊原家は一旦、越後村上へ移封されていましたが、政邦の代になって再び姫路へ戻って来ました。
境内敷地内とはいえ山全体が境内みたいなものなので、ここまで辿り着くのに結構迷いました…(^_^;)

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政邦の側室で、世子・政祐の生母となった実相院の墓所
側室とはいえ藩主生母のお墓ということもあり、手厚く葬られています。

随願寺は、ほんの立ち寄り程度の軽い気持ちでいましたが、とんでもない!
かなり規模の大きなお寺なので、参拝の際はじっくりと腰を据えてお参りください(笑)

次は書写山圓教寺へ
(つづく)

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2015年2月11日 (水)

ライトアップ姫路城♪

岡山からは結局、新幹線で移動しました・・・

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姫路に到着。降り立つのは2年半ほど前に「天空の白鷺」見学に訪れて以来です。
新幹線ホームから望む白鷺城♪

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姫路駅新幹線改札内には、こんな素敵なジオラマも♪

一旦ホテルにチェックインした後、日没を待ってライトアップされた姫路城を見学しに行きます。

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どーん!!

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漆黒の闇と、ライトアップされた白壁のコントラストが美しいですねぇ…♪

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問答無用で見惚れてしまいます☆

この後は、私と同様に姫路へ前乗りしていたあっぴん。さんと落ち合い、駅近くの居酒屋で一杯やりました☆

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石谷家文書を拝観 -「戦国大名 宇喜多氏と長宗我部氏」展

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2月7日、3年ぶりに岡山へやって参りました。
まずは路面電車に乗り換え、「城下」で下車し、、、

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最近お城好きの間で話題?の、岡山城西丸西手櫓禁酒会館
これまで禁酒会館の横には高いビルが建っていて、表の通りからは西手櫓を見ることが出来なかったそうですが、ご覧の通りビルが取り壊された為、大正と近世のコラボが実現しました!

そのままフラフラと歩き、、、

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岡山県立博物館へ。
今回、岡山へ足を運んだ一番の目的は、現在こちらで開催されている交流展「戦国大名 宇喜多氏と長宗我部氏」、その中で公開される石谷家文書を拝観することにありました!

石谷家文書
平成25年に林原美術館で発見された47点に及ぶ文書群で、天文4年(1535)~天正15年(1587)までの約50年間に渡り、主に石谷家の人物に宛てられた書状類です。
石谷家とは室町幕府奉公衆の一つで、現在の岐阜県岐阜市石谷に本領を有した一族です。
足利義輝の側近だった石谷光政(空然、書状では「石谷入道」「石摂」とも)は義輝が暗殺されると、娘が嫁いでいた土佐の長宗我部元親の元に身を寄せました。
その養子である石谷頼辰(兵部少輔、書状では「石兵」「石兵少」とも)は明智光秀の重臣・斎藤利三の実兄で、しかも娘が長宗我部元親の嫡男・信親に嫁いでいます。
これらの関係から織田氏の対四国(長宗我部)政策、ひいては本能寺の変の要因にも迫れるのではないかと注目されている歴史的価値の高い史料です。

その中で、私が訪れた時に展示されていたものは以下の8点でした。

①近衛前久書状→石浜・空然宛 天正11年2月20日
②正親町三条公仲書状→石谷入道・兵部少輔宛 天正11年6月27日
③真木島昭光書状→石兵宛 天正11年3月16日
④真木島昭光書状→石摂・同兵・香大(香川信景?)宛 天正11年3月24日
⑤長宗我部元親書状→石兵少宛 天正6年12月16日
⑥長宗我部元親書状→(斎藤)利三宛 天正10年5月21日
⑦長宗我部元親書状→小笠原又六宛 天正15年1月22日
⑧長宗我部元親書状→斎藤平十郎宛 天正15年1月22日

⑦⑧は戸次川の戦いに於ける信親、石谷頼辰の戦死を知らせる内容のものです。
本展には信親所用の甲冑や、信親公忠死御供衆鑑板(複製品。約700名の戦死者が列挙される中、石谷頼辰は3番目に挙げられていました)なども展示されており、合わせて拝観することでより感慨深いものとなりました。

その他、宇喜多氏関連の展示品も充実していましたが、とても紹介し切れません。あしからず…(^_^;)

さて、事前に調べていなかったので全く知らなかったのですが、この日は偶然にもこのような報告会が開催されるようです。

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なんというタイムリーな内容!
予約不要で先着順とあるし、、、これを逃す手はないでしょ?

という訳で勿論、聴講させていただきました。
まだまだ解明途中の段階とのことでしたが;

織田氏と長宗我部氏の関係性
織田信長の対四国政策の転換点とそのきっかけとなりそうなもの
それに対する斎藤利三と長宗我部元親それぞれの思惑

etc...

などが透けて見えてくるようで大変興味深く、勉強になりました。
また、このような古文書を解読する際のアプローチや苦労話なども聴けて楽しかったです。

如何せん、まだ実際に自分で文書類を読むことが出来ていない(展示されている現品を解読する能力は持ち合わせていませんw)ので、これ以上の事は書けませんが「解読が終わったら資料集として出版し、専門家や歴史愛好家の研究に供する」と仰っていたので、それを楽しみに待ちたいと思います。
先生方、心待ちにしておりますので頑張ってくださいね☆

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その後は後楽園をゆるゆると散策・・・

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岡山城天守

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月見櫓

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さて、この後は翌日のオフ会に備えて姫路へ移動します。
(つづく)

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2015年2月 2日 (月)

満12歳の誕生日♪

今朝の1枚・・・

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いつも通りな寝起きのボン(笑)
でも今日、2月2日はちょっと特別な一日☆
我が家の愛犬、ボンボンが満12歳の誕生日を迎えました!

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夜、台所で何か作っている母の後ろ姿を食い入るように見上げるボン。
何を作っているのかと言うと・・・

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ボンの大好物であるサツマイモと林檎で作った特製・雪だるま誕生日・・・ケーキ?(笑)
あまりにがっつくので一瞬でなくなり、食べているところは撮れなかった…(^_^;)

出会い、家族の一員に迎えて12年・・・早いなぁ~
この先いつまで一緒にいられるのかは分からないけど、飼い主の側も一日一日を大切に、共に楽しく過ごしていきたいと思います♪

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