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2015年3月 7日 (土)

生麦事件の現場~神奈川宿(旧東海道)

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京急生麦駅で下車して、旧東海道(地図の一番下、左右に通っている道)へ向かいます。

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旧東海道、生麦事件発生現場

生麦事件
文久2年(1862)8月21日、江戸を発して生麦村(現横浜市鶴見区生麦)に差し掛かった薩摩藩・島津久光の行列へ、イギリス人の一行4名が騎乗したまま乗り入れたため、薩摩藩士に殺傷(死亡1名、重傷2名)された事件です。
事件が発生してしまった背景には複雑な事情が潜んでいそうですが、長くなるのでここでは省略します。
いずれにせよ、これが翌年(文久3年)7月の薩英戦争の引き金となりました。

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事件発生現場の説明板
当時の生麦村名主の日記によれば、死亡したリチャードソン以外の3人は神奈川宿方面へ逃げた、とあります。
彼ら3名が逃げ込んだ先は、神奈川宿の本覚寺に置かれていたアメリカ領事館でした。

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旧東海道を南西、神奈川宿方面へ向かって暫く進むと、生麦事件之碑があります。
明治16年の建立。碑文には;

文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
殞命于此處乃鶴見人黒川荘三所有之地也
荘三乞余誌其事因為之歌歌日
君流血兮此海壖我邦変進亦其源強藩起兮
王室振耳目新兮唱民権擾々生死疇知聞萬
国有史君名傳我今作歌勒貞珉君其含笑于
九原

この石碑、本来はリチャードソンが逃れようとして落馬し、命を落した地点に建てられていましたが、私が訪れた平成27年3月現在は横浜環状北線建設工事のため、場所を移して仮設されています。

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上の地図が現在石碑が仮移設されている場所で、本来の場所、つまりリチャードソンが命を落した場所は旧東海道が国道15号線に合流する地点になります。

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その地点付近から旧東海道を振り返る。左斜め奥に続いている細い道が旧東海道です。
事件発生現場からは5~600m。この辺りでリチャードソンは力尽き、止めを刺されました(介錯?)。

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事件当時の生麦村古写真。
丁度、リチャードソン落馬地点()辺りを写したものと考えられています。
・・・もはや面影は全くないですね…(^_^;)

少し移動して・・・
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京急神奈川駅前、青木橋から見上げる本覚寺
初代駐日公使ハリス自ら、高台にあって横浜や湾内を見通すことのできるこの地を領事館に定め、神奈川領事ドーアを住まわせたと云います。
生麦事件の時には疵を負って逃れて来たマーシャル、クラークらが駆け込み、ここで手当てを受けました。

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領事館が置かれたことにより、山門を始めとする本覚寺の建造物はペンキで塗装されました。現存するのは、こちらの山門のみ。
謂わば、日本史上初のペンキ塗装された建造物となります。

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うっすらと白い塗料が残っているのですが…分かりますか?

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ペンキ繋がりということでしょうか、境内には塗装業の合同慰霊碑がありました…(^_^;)

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旧東海道、神奈川宿
この街道が一直線に坂を上っていく景観、、、

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広重の浮世絵と全く同じですね!
安藤(歌川)広重「東海道五十三次 神奈川・台之景」

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坂を少し登ると見えてくるのが、文久3年創業の料亭「田中家」。
神奈川宿が栄えていた当時から続く唯一のお店で、前出のハリスや、なんと高杉晋作らも訪れたことがあるそうです。
明治7年には坂本龍馬の妻・おりょうも、仲居として働き始めました。その世話をしたのは勝海舟だとか・・・凄い歴史(笑)
田中家には龍馬がおりょうに宛てた恋文も残っているそうです。

ところで、田中家の前身は「さくらや」。
実は、先程の広重の浮世絵にも描かれているのです。

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ほら、ここに♪

しかし、こうして改めて当時の絵を観ていると、(旧)東海道が海岸沿いに通っていたことがよく分かりますね。まさに「海の道」。

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現在も旧東海道のすぐ脇(南側)を見ると、そこがかつて海だったことを物語る名残地形にはっきりと残されていました。


写真の写りがどれもこれも悪いのは、私のスマホのカメラ機能がヘボいからです…お許しを。
こういう咄嗟の史跡巡りにも対応できるよう、鞄に忍ばせておける小さなカメラが欲しいなぁ・・・。

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