« 金ヶ崎の退き口 (後編:撤退開始~朽木越え) | トップページ | 四百年式年大祭の日光東照宮 »

2015年5月30日 (土)

興聖寺

20150524c01
金ヶ崎の退き口オフ、最後に立ち寄ったのは朽木の興聖寺です。

20150524c02
興聖寺本堂
拝観料をお納めし、お寺の方に本堂内もご案内いただきました。

20150524c03
御本尊の釈迦如来坐像
現在は重要文化財で、年内(2015)には国宝に指定される予定なのだとか。
なんと、この台?の上に上がって間近で拝ませていただけました。

20150524c04
そして楠木正成の念持仏と伝わる縛り不動明王坐像
朽木時経が鎌倉幕府軍の一員として千早城を攻めた際、城内から持ち帰ったものとされています。
ある時、寺に忍び込んだ盗人が不動明王像を持ち去ろうとすると、何故か金縛りにあって盗みに失敗したことから「縛り不動明王」と呼ばれるようになったのだそうです。
凄いものを拝観させていただきました。

20150524c05
興聖寺境内には旧秀隣寺庭園(名勝足利庭園)があります。

この地には元々、京の騒乱から朽木に逃れてきた足利十二代将軍・義晴のために建てられた岩神館がありました。
義晴、及び十三代・義輝は岩神館内に築かれたこの庭園を大変愛でたと云われています。
慶長11年(1606)朽木宣綱が正室の菩提を弔うため、岩神館跡地に秀隣寺を創建したので旧秀隣寺庭園と呼ばれています。
その後、秀隣寺も別の場所に移転し、近くにあった興聖寺が移されてきて現在に至ります。

20150524c06
足利義晴・義輝父子が愛でた庭園
なお、細川藤孝も2人の将軍に供奉して朽木に滞在しており、この時の縁で朽木から程近い熊川の沼田氏の娘を娶っています
後に藤孝の嫡男・忠興は、茶の湯の師である千利休をこの庭園に案内したとも伝わっているそうです。

さて、これにて1泊2日の金ヶ崎の退き口オフも終了です。
この後は米原まで送っていただいて解散となりました。ご一緒いただきました皆様、楽しい旅を本当にありがとうございました!

|

« 金ヶ崎の退き口 (後編:撤退開始~朽木越え) | トップページ | 四百年式年大祭の日光東照宮 »

お城、史跡巡り 近畿」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 金ヶ崎の退き口 (後編:撤退開始~朽木越え) | トップページ | 四百年式年大祭の日光東照宮 »