劔神社 ~織田一族発祥の地~
5月23~24日は1泊2日で敦賀方面へ。
メインは金ヶ崎の退き口を巡る旅ですが、まずは武生駅前で集合。向かった先は・・・

越前国織田荘…劔神社
言わずと知れた織田信長に代表される織田一族発祥の地です。
信長の先祖は劔神社の神官を務めていましたが、越前国守護・斯波氏に見出されて仕えるようになり、斯波氏が尾張国の守護をも兼ねたので、いつの頃からか尾張へ移り住みました。

劔神社は越前の二の宮でもあります。

末社の織田神社

織田家の木瓜紋がそこかしこに…♪

ここにも☆

いつかは訪れたいと願っていた地、参拝叶って感無量です。

また、宝物殿も開けていただいて拝観いたしました。
驚いたことに、
劔御子寺鐘
神護景雲四
年九月十一日
の銘の入った国宝の鐘が、裸のまま目の前に吊るされていました。
神護景雲四年は西暦で770年にあたります。日本国内に現存する梵鐘としては三番目の古さなのだそうです。それを何にも遮られることなく、触れられる距離で拝観できるとは・・・。
しかも、今年(2015)の秋には隣りにある織田文化歴史館に寄託されるそうです。そうなると今回のように間近で拝観することも叶わなくなるでしょうから、本当に貴重な体験をさせていただきました。
他に柴田勝家や結城秀康らの書状も拝観しました。
越前を朝倉家、そして織田家が治めていた時代には社領3,000石を誇った劔神社も、秀吉の時代には冷遇されて荒廃しましたが、その後に入国した結城秀康によって僅か30石ではありますが復興されました。

折角なので織田文化歴史館にも立ち寄ります。

何と言っても、天正元年十月に劔神社へ発給された織田信長による安堵状を拝観できて満足です♪
※一見したところ花押は勿論、朱印も押されていないようだったのが不思議でした。

劔神社近くに建つ織田信長像
・・・動く車の中から撮影したので、手ブレはひらにご容赦を…(;・∀・)

この後は敦賀へと移動し、ヨーロッパ軒の名物のソースかつ丼で腹拵え♪
さ、この後はいよいよ金ヶ崎の退き口巡りを開始します☆
メインは金ヶ崎の退き口を巡る旅ですが、まずは武生駅前で集合。向かった先は・・・

越前国織田荘…劔神社
言わずと知れた織田信長に代表される織田一族発祥の地です。
信長の先祖は劔神社の神官を務めていましたが、越前国守護・斯波氏に見出されて仕えるようになり、斯波氏が尾張国の守護をも兼ねたので、いつの頃からか尾張へ移り住みました。

劔神社は越前の二の宮でもあります。

末社の織田神社

織田家の木瓜紋がそこかしこに…♪

ここにも☆

いつかは訪れたいと願っていた地、参拝叶って感無量です。

また、宝物殿も開けていただいて拝観いたしました。
驚いたことに、
劔御子寺鐘
神護景雲四
年九月十一日
の銘の入った国宝の鐘が、裸のまま目の前に吊るされていました。
神護景雲四年は西暦で770年にあたります。日本国内に現存する梵鐘としては三番目の古さなのだそうです。それを何にも遮られることなく、触れられる距離で拝観できるとは・・・。
しかも、今年(2015)の秋には隣りにある織田文化歴史館に寄託されるそうです。そうなると今回のように間近で拝観することも叶わなくなるでしょうから、本当に貴重な体験をさせていただきました。
他に柴田勝家や結城秀康らの書状も拝観しました。
越前を朝倉家、そして織田家が治めていた時代には社領3,000石を誇った劔神社も、秀吉の時代には冷遇されて荒廃しましたが、その後に入国した結城秀康によって僅か30石ではありますが復興されました。

折角なので織田文化歴史館にも立ち寄ります。

何と言っても、天正元年十月に劔神社へ発給された織田信長による安堵状を拝観できて満足です♪
※一見したところ花押は勿論、朱印も押されていないようだったのが不思議でした。

劔神社近くに建つ織田信長像
・・・動く車の中から撮影したので、手ブレはひらにご容赦を…(;・∀・)

この後は敦賀へと移動し、ヨーロッパ軒の名物のソースかつ丼で腹拵え♪
さ、この後はいよいよ金ヶ崎の退き口巡りを開始します☆
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