多摩丘陵の鎌倉裏街道と、よこやまの道
本日は東京都多摩市南野、多摩丘陵にある一本杉公園へ。
新選組ファンにはお馴染み、小島資料館がある小野路のすぐ近くです。
この付近、多摩丘陵上には南北に幾筋もの古道が走り、東西の尾根道はよこやまの道と名付けられ、遊歩道として整備されています。
なお、一本杉公園は左図「一本杉」と書かれた辺りです。
そして今回訪れた一番の目的は、その「一本杉」を南北に縦断する黄土色?のライン、鎌倉裏街道と呼ばれる古道です。
鎌倉裏街道
素敵な石畳の風情♪
すぐ東を鎌倉街道上道が並行して走っていますので、こちらは裏街道と呼ばれています。
少し北に行った関戸の関所を避けるための、まさに「裏道」だったとの説もあるようです。
この杉並木(と言っても現在では2~3本しか残っていませんが…)の存在から、古道の確認(発見)に至ったそうです。
江戸期には北の日野と南の小野路を結ぶ日野往還、小野路道とも呼ばれていたようです。
…そう、上京して新選組を結成する前、土方歳三や沖田総司らが日野宿から小野路の小島鹿之助邸、橋本邸へ出稽古に向かうために往来した道なのです!
※近藤勇の故郷・府中から小野路へ向かう道は布田道。布田道の詳細はコチラ
古道が残されているのは100mにも足りませんが、150年以上も前に彼らが実際に歩いた同じ道を歩いている!っていうだけで、興奮を抑えきれません♪
さて、折角なのでそのままよこやまの道を歩いてみることにします。
図中、赤い点線がよこやまの道です。
近年になって整備された遊歩道ですが、元々この尾根道は古代の昔から利用されていたようです。
中央、現在地と書かれた辺りから東へ向かいます。
一本杉公園内に移築された古民家、旧加藤家住宅。
旧加藤家住宅内部
古民家って、何故にこんなに涼しげなんでしょうねぇ…(^_^)
こちらは旧有山家住宅
公園を抜けて公道に出ても、辻々の至る所に標識が立っているので、迷うことはありません。
妙櫻寺の手前(緑のフェンスがある辺り)を右折し・・・
あちらの尾根上を進みます。
妙櫻寺裏の尾根道
現在の鎌倉街道
よ~く見ると広い谷底のような場所を通っていますが、この地形、実は自然地形なのだそうです。
奥州藤原氏征伐に向かう源頼朝や、鎌倉攻めの新田義貞、観応の擾乱での足利尊氏、更には上杉謙信も小田原攻め後の帰路で大軍を通すのに利用したと考えられているそうです。
古道五差路
詳しいことは分かりませんが、これらもいちいち古道らしいです(笑)
この左側の藪の中にはひっそりと・・・
よこやまの道の石碑がありました。
更にこの奥、写っているフェンスの向こうには・・・
かなり規模の大きい古道の跡らしきものが確認できました。
案内図などと照らし合わせると、古代東海道の跡のようです。
掘割状の古道・・・いい☆
分倍河原合戦の前夜、鎌倉を目指して南下する新田義貞軍を迎撃するため、鎌倉を発した幕府方・北条泰家軍が布陣したと云われる場所。
写真奥の北側に多摩川が流れており、川を挟んで対峙しました。
※地理的にいって実際にはもう少し東、川崎市域に入った側だったとは思いますが。
そして・・・ようやく到着、防人見返りの峠
よこやまの道、即ち多摩の横山は万葉集にも詠われています。
赤駒を 山野に放し 捕りかにて
多摩の横山 徒歩のゆか遣らむ
※一本杉公園内にて撮影
遠い防人の役に向かう夫のために用意した馬を放してしまい、徒歩で出発させることになってしまったことを嘆く心情を詠ったものでしょうか・・・。
いずれにせよ、遥か古代の昔から人々の営みがこの地に存在したことは確かです。
防人見返りの峠からの風景
遥か彼方、九州の地へ赴く時、もう生きては戻れないかもしれぬ故郷を仰ぎ見る心情とはいかばかりであったか・・・。
ここまで歩いてきた尾根を振り仰ぐ。
弓なりにカーブした多摩丘陵の尾根の形状がよく分かります。
よこやまの道
道はよく整備されているし、アップダウンもきつくないのでお手軽な歴史散策にはもってこいですよ☆
新選組ファンにはお馴染み、小島資料館がある小野路のすぐ近くです。
この付近、多摩丘陵上には南北に幾筋もの古道が走り、東西の尾根道はよこやまの道と名付けられ、遊歩道として整備されています。
なお、一本杉公園は左図「一本杉」と書かれた辺りです。
そして今回訪れた一番の目的は、その「一本杉」を南北に縦断する黄土色?のライン、鎌倉裏街道と呼ばれる古道です。
鎌倉裏街道
素敵な石畳の風情♪
すぐ東を鎌倉街道上道が並行して走っていますので、こちらは裏街道と呼ばれています。
少し北に行った関戸の関所を避けるための、まさに「裏道」だったとの説もあるようです。
この杉並木(と言っても現在では2~3本しか残っていませんが…)の存在から、古道の確認(発見)に至ったそうです。
江戸期には北の日野と南の小野路を結ぶ日野往還、小野路道とも呼ばれていたようです。
…そう、上京して新選組を結成する前、土方歳三や沖田総司らが日野宿から小野路の小島鹿之助邸、橋本邸へ出稽古に向かうために往来した道なのです!
※近藤勇の故郷・府中から小野路へ向かう道は布田道。布田道の詳細はコチラ
古道が残されているのは100mにも足りませんが、150年以上も前に彼らが実際に歩いた同じ道を歩いている!っていうだけで、興奮を抑えきれません♪
さて、折角なのでそのままよこやまの道を歩いてみることにします。
図中、赤い点線がよこやまの道です。
近年になって整備された遊歩道ですが、元々この尾根道は古代の昔から利用されていたようです。
中央、現在地と書かれた辺りから東へ向かいます。
一本杉公園内に移築された古民家、旧加藤家住宅。
旧加藤家住宅内部
古民家って、何故にこんなに涼しげなんでしょうねぇ…(^_^)
こちらは旧有山家住宅
公園を抜けて公道に出ても、辻々の至る所に標識が立っているので、迷うことはありません。
妙櫻寺の手前(緑のフェンスがある辺り)を右折し・・・
あちらの尾根上を進みます。
妙櫻寺裏の尾根道
現在の鎌倉街道
よ~く見ると広い谷底のような場所を通っていますが、この地形、実は自然地形なのだそうです。
奥州藤原氏征伐に向かう源頼朝や、鎌倉攻めの新田義貞、観応の擾乱での足利尊氏、更には上杉謙信も小田原攻め後の帰路で大軍を通すのに利用したと考えられているそうです。
古道五差路
詳しいことは分かりませんが、これらもいちいち古道らしいです(笑)
この左側の藪の中にはひっそりと・・・
よこやまの道の石碑がありました。
更にこの奥、写っているフェンスの向こうには・・・
かなり規模の大きい古道の跡らしきものが確認できました。
案内図などと照らし合わせると、古代東海道の跡のようです。
掘割状の古道・・・いい☆
分倍河原合戦の前夜、鎌倉を目指して南下する新田義貞軍を迎撃するため、鎌倉を発した幕府方・北条泰家軍が布陣したと云われる場所。
写真奥の北側に多摩川が流れており、川を挟んで対峙しました。
※地理的にいって実際にはもう少し東、川崎市域に入った側だったとは思いますが。
そして・・・ようやく到着、防人見返りの峠
よこやまの道、即ち多摩の横山は万葉集にも詠われています。
赤駒を 山野に放し 捕りかにて
多摩の横山 徒歩のゆか遣らむ
※一本杉公園内にて撮影
遠い防人の役に向かう夫のために用意した馬を放してしまい、徒歩で出発させることになってしまったことを嘆く心情を詠ったものでしょうか・・・。
いずれにせよ、遥か古代の昔から人々の営みがこの地に存在したことは確かです。
防人見返りの峠からの風景
遥か彼方、九州の地へ赴く時、もう生きては戻れないかもしれぬ故郷を仰ぎ見る心情とはいかばかりであったか・・・。
ここまで歩いてきた尾根を振り仰ぐ。
弓なりにカーブした多摩丘陵の尾根の形状がよく分かります。
よこやまの道
道はよく整備されているし、アップダウンもきつくないのでお手軽な歴史散策にはもってこいですよ☆