永林寺(由木城)、広園寺

本日は地元八王子の名刹、金峰山永林寺(八王子市下柚木)へ
「由木の赤門」とも呼ばれた総門
永林寺は武蔵國守護代で、北条氏照の養父でもあった大石定久の居館(由木城)だったものを、定久が滝山城へ移る際に叔父の一種長純和尚に譲り、天文元年に永鱗寺として創建されたのが始まりと伝わります。
その後は氏照の庇護も受けて七堂伽藍を備えた大寺院となり、天正15年には後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け、徳川家康からも朱印10石・公卿格式10万石を授けられます(同19年)。この格式により赤門の建立を許されました。

今も多くの伽藍が残り、往時の隆盛を今に偲ばせています。

総門の先、参道脇を十六羅漢が固めていました。
奥に見えるのが三門。

三門
両脇には・・・

立派な仁王像が安置されています。

中雀門
写真には写っていませんが、門扉には菊の御紋も。

鐘楼

三重塔

本堂

五三の桐に三つ鱗
そういえば総門脇の丸瓦には三つ葉葵もありました。

大石定久と家臣らの墓所
写真右の新しい墓石にも定久の戒名が刻まれていますが、従来の墓石はおそらく中央のものになるかと思います。

戒名:久彰院殿英巖道俊大居士

本堂の裏手、墓地の奥が由木城址になります。

由木城址碑

大石定久像

背後の丘には人工の造成らしい痕跡も見受けられましたが、あまりの暑さに詳しい踏査は断念しました・・・いずれまた。
城跡としての遺構云々以前に、これほどの規模を誇る寺院がまだ八王子に残っていたことに少なからず感動を覚えました。

折角なので車で少し移動し、同じく八王子市内(山田町)にある広園寺へ
一説には鎌倉幕府創設期の実力者、大江広元の居館跡とも伝わります…まぁ、豊臣秀吉による小田原攻めの際など、度重なる火災で文献の殆どが焼失しているために真偽のほどは定かではないようですが、開基として大江備中守師親(広元の後裔)という人物の名が伝えられているので、あながち有り得なくはないかな、と…(^_^;)
そういえば寺名と広元の名で「広」の一字が重なりますね。

広園寺の門前には小さな川が流れています。
これも或いは居館の堀として利用されていたのかも・・・

この日の八王子は37度を記録する猛暑日であったにもかかわらず、一歩境内に足を踏み入れると涼しい風が吹き抜け、汗もスーッとひいていきました。

広園寺もまた、徳川家康から朱印15石を授けられています。

猛暑に襲われた日曜の昼下がり。。。
そこだけ時が止まったかのような歴史の空間に触れて、とてもいい気分転換になりました。
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