藤戸石

地下鉄醍醐駅で下車、10分ほど歩きます。

途中で見かけた気になる地形…なんでしょうね?

世界遺産、醍醐寺に到着です。

まずは三宝院へ
三宝院の庭園に置かれている藤戸石を拝観したくて訪れました。

この先は撮影禁止なので写真はありませんが、その庭園の見事さといったらもう・・・筆舌にも尽くし難し。感動すら覚えます。

売店で販売していた絵葉書で・・・
藤戸石は左奥、縦長に安置されている石です。

藤戸石
説明書きにもありますが、その時々の権力者たちの手を経て、最終的には豊臣秀吉によって聚楽第から醍醐寺へと運び込まれました。
秀吉と醍醐寺といえば、何と言っても醍醐の花見が有名ですよね。
しかし、実はそれよりも前には織田信長も藤戸石に関わっていたのです。
永禄12年(1569)2月、この年の正月に将軍・足利義昭の滞在する本圀寺を三好三人衆らに襲撃された(六条合戦)のを受け、織田信長は新たに将軍の御座所となる二条城の建造を開始します。
その時の様子を描いた「信長公記」の中に、次の一節があります。
御殿の御家風尋常に金銀をちりばめ、庭前に泉水・遣水、築山を構へ、其の上、細川殿御屋敷に藤戸石とて、往古よりの大石侯。是れを御庭に立て置かるべきの由にて、信長御自身御越しなされ、彼の名石を綾錦を以てつゝませ、色々花を以てかざり、大綱余多付けさせられ、笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、信長御下知なされ、即時に庭上へ御引付け候。
※信長公記 巻二「公方御構へ御普請の事」より抜粋
細川邸にあった藤戸石を二条城の庭へ据えるにあたり信長は、この名石を綾錦の布で包ませ、色とりどりの花で飾らせて自ら音頭をとり、笛・太鼓・鼓などで囃し立てて運び込ませているのです。
権力の掌握を、その象徴ともいえる藤戸石を用いてアピールするデモンストレーションだったのでしょうか・・・これにはきっと京の町衆も驚いたことでしょうね。
訪れた日は平日とあって人も少なく、素晴らしい庭園共々ゆったりと拝観できて満足です。

勅使専用の唐門

引き続き下醍醐エリアへ向かいます。

仁王門

金堂
現在残る金堂、及び先ほどの仁王門は共に、豊臣秀頼によって慶長年間に再建されました。

五重塔…なんと天暦5年(951)の創建!
京都府下最古の木造建築物なのだそうです。
本当は山上の上醍醐エリアまでお参りしたかったのですが・・・あまりの猛暑を前に断念しました。
| 固定リンク
「織田信長・信長公記」カテゴリの記事
- 安土城、他(2023.05.28)
- 妙覺寺の特別拝観(2023.05.25)
- 大徳寺、妙心寺の特別拝観(第57回 京の冬の旅)(2023.03.06)
- 別所は連々忠節の者(新発見の織田信長文書)(2022.12.07)
- 旧東海道、藤川宿~池鯉鮒宿(2022.11.15)
コメント