無量光寺と当麻の渡し

愛車でふらりと神奈川県相模原市南区当麻、無量光寺へ
時宗の開祖としても知られる一遍上人が草庵を結び、金光院と名付けたのが始まりとされます。(弘長元年/1261)

なぎの木
一遍上人が使っていた梛の杖を刺したところ、そこから根が生えて育ったとの伝承があり、「さかさナギの木」とも呼ばれています。
この背後には金光院跡と推定される場所があります。

山門
扁額にある山号は「当麻山」

山門脇の石仏
よく見ると足元に“見ざる・聞かざる・言わざる”の、いわゆる三猿が彫られています。

“後北条氏を中心とする中世文書群”と言われると是非とも拝んでみたくなりますよね…無量光寺文書
歴代後北条氏の庇護を受け、北条氏滅亡後の天正19年(1591)には徳川家康から30石の寺領を寄進されています。

境内を散策します。

芭蕉の句碑
世にさかる花にも念仏まうしけり

一遍上人像
明治26年の大火で焼失した本堂跡に建ちます。

(仮)本堂
安置される御本尊は木造一遍上人立像(御影の像)
なんと一遍上人自ら頭部を作られたのだとか・・・公開は年ニ回。

仮本堂前に安置されていた梵鐘には・・・

一遍上人の名が・・・
ざっと目を通したところ、無量光寺の縁起が書かれているようです。

御影の池
木像製作のため、一遍上人が自らの姿を水面に映して描いたと云われています。
さて、本当はもう少しゆっくりしたかったのですが、猛烈な暑さに耐えきれず、早々に退散・・・

暫し車の冷房に当たって体力が回復してきたところで、先日「ほしのや」の記事でも少し触れた当麻の渡しへ
無量光寺からは500mほど南に位置します。

現在の県道508号線(写真左)が通る昭和橋の辺りが当麻の渡し跡となりますが、写真右の旧道沿いに石碑と共に馬頭観音なども建ち並びますので、実際はこの旧道の延長線上にあったのでしょう。

当麻の渡し

最後に当麻の渡しから、武田信玄が小田原へ向けて進軍したと思われる「さいかちの碑」がある段丘を仰ぎ見る。
※詳しくはコチラの記事を参照ください。
夏の暑さは史跡巡りの大敵ですね…(^_^;)
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