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2015年9月20日 (日)

大悲願寺の白萩

今回は五日市(東京都あきる野市)方面へお出かけです。

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いつもですと地元周辺の史跡巡りは車で動くことが多いのですが、夏のうだるような暑さも去り、とても過ごしやすい季節になりましたので電車で移動し、五日市線武蔵増戸駅からはのんびりと散策を楽しむことにします。

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ゆったりとした時間が流れます。

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彼岸花が綺麗に咲いていました。

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道端にはお地蔵さんも。

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それなりに?古そうな道標が・・・

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朝顔も♪

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そうこうしながら15分も歩くと、今回の目的地が見えてきました・・・
大悲願寺です。

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朱雀門(中門)
安永9年(1780)の建立。

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仁王門(山門)
安政6年(1859)の再建。とても大きくて立派な造りです。

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仁王門の天井絵
狩野派に学んだ郷土の画家の筆によります。

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観音堂
こちらは寛政6年(1794)建立。

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寛文12年(1672)に鋳造された梵鐘
戦時中の供出も免れました。

どれもこれも歴史があって素晴らしい建築物ですが、大悲願寺といえば何と言っても・・・

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伊達政宗も愛でたと云う白萩で有名ですよね♪
秋口に可憐な花を咲かせてくれます。

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伊達政宗 白萩文書
元和9年(1623/推定)、伊奈(あきる野市)へ川狩り(鮎漁)に訪れた伊達政宗は大悲願寺に立ち寄った際、庭に咲き誇っていた白萩の見事さに目を奪われました。
案内板に読み下し文も載っていますが、簡単に現代語に直すと;

先日はそちらへ伺い、お会いできて嬉しく思います。
お庭の白萩が一段と見事でしたので、少し譲っていただきたく思います。先日は言い出しかねたまま辞してしまいました。使いの者に預けていただけると忝く存じます。


といった感じになりますでしょうか。

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その場では言い出しかねたまま辞去したのに、後で「やっぱり欲しいです」と手紙で無心してくるあたり、よほどこの白萩を気に入ったのでしょうね。

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私が訪れた2015年9月20日現在、満開まではもう一息といったところでした。

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朱雀門からの参道も、白萩で埋もれています。

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伊達政宗ゆかりの臥龍梅
白萩に埋もれるように頭だけちょこんと、枝葉を覗かせています…(^_^;)
昭和47年(1972)、旧五日市町で全国健康都市会議が開かれた際、政宗と白萩のエピソードにあやかり、五日市町から議長を務めた仙台市長に白萩が贈呈されました。
この臥龍梅はその返礼として、仙台市から贈られたものです。

ところで先程の白萩文書、宛先は彼岸寺御同宿中となっていましたが、常識的に判断すれば当時の13世住職・海誉上人宛と考えるべきなのかもしれません。
しかし、政宗が大悲願寺を訪れた当時、海誉上人の弟子に秀雄という人がいました。この秀雄、後に大悲願寺15世住職になるのですが、寺の記録ではその出自を伊達輝宗の子息、つまり政宗の弟とされているらしいのです。

ところが公式的な記録では、政宗が小田原にいる豊臣秀吉の元へ出頭する直前、政宗によって死に追いやられたと伝わる小次郎(政道)以外に政宗に弟はなく、或いはこの秀雄こそ、小田原へ向かう政宗の不在時に家督争いの元にならぬよう、死んだことにして密かに家中から出され、落ち延びていた小次郎その人ではないか?!という説まであるのだそうです。

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・・・まぁ事の真偽はともかく、そう考えると白萩文書での;
会面を遂げ本望に候。
という表現も、なんだか意味深に思えてきますよね。

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大悲願寺境内

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本堂

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好天にも恵まれ、とても有意義な時間になりました。

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