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2015年10月 3日 (土)

浜川砲台跡、涙橋、etc…

京急立会川駅を東側へ出てすぐ、北浜川児童公園という小さな公園には・・・

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坂本龍馬の銅像が建っています。
立会川駅の西側一帯にはかつて、土佐藩の抱屋敷(鮫洲抱屋敷、品川下屋敷とも)がありました。現在の浜川中学校を含む一帯です。
※ちなみに「抱」とは幕府からの拝領ではなく、藩自らが買い入れ、または借用していた屋敷であることを指しています。

そして嘉永6年(1853)にペリー艦隊が来航すると、幕府は品川台場の築造に取り掛かりますが、土佐藩も幕府に砲台の築造を願い出て、翌嘉永7年に抱屋敷から旧東海道を挟んだ海岸に浜川砲台を築きます。
龍馬も一時期、浜川砲台での警備の任務に就いており、この銅像はそれを記念して建てられたそうです。
ちょうど龍馬が砲台警備に就いていた二十歳頃をイメージして作った、とのことですが、、、どうみても例の有名な肖像写真のポーズですよね、これ…。寄りかかっている台や履物は変えてあるけど(笑)
なおこちらの像には、高知桂浜の銅像を修復する際に出た金属片が溶かし込んであるそうです。

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旧東海道浜川橋(通称:涙橋)
1600年頃には既に橋が架けられていたと云います。(現在の橋は昭和9年の架け替え)
また、慶安4年(1651)には品川に鈴ヶ森刑場が設けられ、そこで処刑される罪人はこの橋を渡って江戸府内から護送されて行きました。
その時、罪人の親族らが見送りに来て、この橋で涙を流しながら別れを惜しんだことから、涙橋とも呼ばれるようになりました。

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立会川と涙橋
ここから立会川沿いに少し東へ進むと・・・

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件の浜川砲台跡に至ります。
砲台築造に使われていた石が展示されていました。

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浜川砲台跡
浜川砲台には8門の大砲が据えられていました。
警備にあたる藩士らは、抱屋敷に滞在して砲台へ通っていたと云いますので、立会川駅から龍馬像の建つ商店街の細い路地を抜け、立会川沿いに進む道が、坂本龍馬も歩いていた道ということになります。
今となっては埋め立てによって対岸にもビルが建ち並び、砲台を偲ばせるものは何も残っていませんが・・・。


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さて、次は少し足を伸ばして品川歴史館へ。

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品川宿のジオラマ展示などと共に、品川台場に関する展示もあります。

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こちらはなんと、発掘調査で明らかになった第五台場土塁断面標本です。

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今は埋め立てで埋没した第一、第五台場に関する資料

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歴史館前には、品川御殿山下台場跡から出土した築造石も展示されていました。

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最後に余談ですが…立会川駅へ戻る途中、駅南の諏訪神社がとても気になる地形をしていました・・・まるで砲台みたい。
まぁ、どの資料を見てもここが砲台だったという記録はありませんが…(^_^;)

※品川台場については、コチラ の記事もご参照ください。
※品川宿に関してはコチラ も。

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