城友会2015…②甲賀
城友会2015、2日目は甲賀のお城めぐりです。
7時に起きて~♪8時出発で~♪♪…コホン。まず初めに向かったのは・・・
■多羅尾代官陣屋敷

多羅尾代官陣屋敷です。
多羅尾氏は中世以来、小川城を拠点に信楽に勢力を張った一族。
天正10年6月2日に本能寺の変が勃発すると、滞在先の堺から京へ向かう途上にいた徳川家康は、伊賀越えでの本国・三河への帰還を目指します。その道中、甲賀を抜ける際には多羅尾氏が家康一行を庇護しました。
秀吉の時代には秀次切腹事件に連座して改易されますが、後に伊賀越えの際の恩に報いた家康から旗本に取り立てられ、寛永15年(1638)に代官に任じられます。
以後、多羅尾氏は屋敷内に代官所を設け、代々代官職を世襲しました。

これまでは基本的に非公開でしたが、この秋から期間限定で一般公開されています。

多羅尾代官陣屋敷図面

入口正面からのこのアングル、明治期に撮影された古写真が残っています。

それがこちら。建物は失われていますが、坂の傾斜や石垣の配置など全く同じですよね。

伝蔵屋敷跡

水路もありました。

ところどころ隙間の空いた石垣も・・・

紅葉の落ち葉とも相まって、まるで古城の風情です。

陣屋跡への登り坂
ここも古写真に残っているようです。

アングルや距離感から、おそらく蔵屋敷跡から撮影したものと思われます。

伝代官蔵跡と陣屋建物跡

井戸もありました。

代官陣屋敷跡から多羅尾の集落を眺める。

庭園跡

庭園の池跡の中には祠を祀った小島も。

貴重なものを見学させていただきました。
機会を与えてくださった方々に感謝。
■三雲城

お次は滋賀県湖南市の三雲城へ
代々六角氏に仕えた三雲氏の居城。
永禄11年(1568)、足利義昭を擁した織田信長の上洛軍に攻め込まれた六角承禎は居城・観音寺城を捨て、ここ三雲城に逃げ込んでいます。
元亀元年(1570)、織田家の佐久間信盛に攻められて落城したと伝わります。

八丈岩

八丈岩前からの眺め
眼下を旧東海道が通っています。

六角氏の家紋、四つ目結が彫られた岩

土塁

二の丸切岸に残る石垣

一つ一つの石が大きくて迫力があります。

二の丸虎口

虎口も石垣で固められています。

二の丸井戸

更に高所の主郭にも石垣が。

主郭から南西方向に延びる尾根
堀切が見えています。

堀切と土橋

その土橋を渡る城友会参加者たちw

三雲城跡にはとにかく大きな岩がゴロゴロしていました。
これなんか、明らかに積み上げていますよね?

こちらも・・・

この日はのろし駅伝のイベントが催されていて、狼煙の他、手筒も打ち上げられていました。
■丸岡城・東丸岡城
引き続き丸岡城・東丸岡城へ

丸岡城は何だか不思議な造りでした。
写真のように土塁の中に空堀?があったりするし・・・

土塁上から主郭
一応、主郭は土塁が廻らされて方形状になっていたようですが・・・

細い道路を隔てた反対側にある東丸岡城主郭

主郭外側の堀切
この2城は間を隔てる道路や、すぐ隣の墓地による改変もありそうで、実際のところどのようなお城だったのか、よく分かりませんでした・・・。
■黒川氏城
黒川氏城縄張図

図面を見ただけでもワクワクしてくる縄張ですね。楽しみです。

こちらも獣害対策のフェンスを開けて入っていきます。

縄張図Ⅳ曲輪の虎口

この虎口には石積みも残っていました。

横堀
切岸も高いです。

縄張図cにあった石段

縄張図Ⅰ曲輪(主郭)への登り坂に建っていた城址碑

Ⅰ曲輪の土塁に残る雁木
ちょっと崩れてしまっていますが・・・

こちらは分かり易いですね。

Ⅰ曲輪のb虎口

b虎口の石積み

虎口の外側にも

Ⅰ曲輪南側の堀切

藪も無くて堀切のラインがクッキリ☆

土塁やら堀やら通路やら・・・複雑過ぎて訳分からん!
(褒めてます)

クネクネ~
手前に喰い違い虎口のようなものがあったから通路だと思う・・・
黒川氏城…期待に違わず、複雑で素晴らしい遺構でした。
※ところでこの黒川氏城、とにかくヒルが多いと聞いていたのでみんな厳重防備で・・・

ご覧の姿に(笑)
フードまで被って、誰が名付けたかフードファイター((爆笑
(写真提供:しろうさぎさん)
■村雨城・寺前城
お次は村雨城・寺前城です。
※ここからの4城は2013年暮れにも訪れていますので、そちらの記事も参照ください。
→コチラ

まずは村雨城から。枡形虎口

主郭虎口

主郭
グルッと土塁に囲まれた様子がよく分かります。

寺前城との間の堀切

土橋も架けられています。

寺前城主郭
虎口が2つ設けられています。

2つの虎口外側は間に空堀が切られ、土橋と土塁で連結されています。
■新宮支城・新宮城
さぁ、ラストスパートです。
城友会2015、最後の城攻めは新宮支城・新宮城になりました。
日没も迫っていましたので、何はともあれまずは新宮支城から攻めます。

新宮支城主郭虎口
奥に例のモノが見えていますね・・・

そう、とてつもなく高い主郭土塁!
我々の間では「アホかーっ!?の土塁」と呼んでいます(笑)
(勿論、褒めてますww)

横堀

土塁の上から。左下が主郭です。

土塁最高所より。
この高低差をお分かりいただけますでしょうか・・・
この後、ルートを間違えてぬかるんだ藪を掻き分け、ちゃんと新宮城にも行きましたが、相変わらず藪が凄かったのと、日没でマトモな写真が撮れなかったので省略します。
今年もミッチリとお城を堪能させていただきました、城友会。
幹事の流星☆さん初め、運転してくれたゆっきー、参加者皆さんに感謝です。
最後は山科駅で解散し、私はこばたかさんと京都駅で打ち上げの一杯をやってから帰路に就きました。
来年の城友会は・・・北陸かな?
7時に起きて~♪8時出発で~♪♪…コホン。まず初めに向かったのは・・・
■多羅尾代官陣屋敷

多羅尾代官陣屋敷です。
多羅尾氏は中世以来、小川城を拠点に信楽に勢力を張った一族。
天正10年6月2日に本能寺の変が勃発すると、滞在先の堺から京へ向かう途上にいた徳川家康は、伊賀越えでの本国・三河への帰還を目指します。その道中、甲賀を抜ける際には多羅尾氏が家康一行を庇護しました。
秀吉の時代には秀次切腹事件に連座して改易されますが、後に伊賀越えの際の恩に報いた家康から旗本に取り立てられ、寛永15年(1638)に代官に任じられます。
以後、多羅尾氏は屋敷内に代官所を設け、代々代官職を世襲しました。

これまでは基本的に非公開でしたが、この秋から期間限定で一般公開されています。

多羅尾代官陣屋敷図面

入口正面からのこのアングル、明治期に撮影された古写真が残っています。

それがこちら。建物は失われていますが、坂の傾斜や石垣の配置など全く同じですよね。

伝蔵屋敷跡

水路もありました。

ところどころ隙間の空いた石垣も・・・

紅葉の落ち葉とも相まって、まるで古城の風情です。

陣屋跡への登り坂
ここも古写真に残っているようです。

アングルや距離感から、おそらく蔵屋敷跡から撮影したものと思われます。

伝代官蔵跡と陣屋建物跡

井戸もありました。

代官陣屋敷跡から多羅尾の集落を眺める。

庭園跡

庭園の池跡の中には祠を祀った小島も。

貴重なものを見学させていただきました。
機会を与えてくださった方々に感謝。
■三雲城

お次は滋賀県湖南市の三雲城へ
代々六角氏に仕えた三雲氏の居城。
永禄11年(1568)、足利義昭を擁した織田信長の上洛軍に攻め込まれた六角承禎は居城・観音寺城を捨て、ここ三雲城に逃げ込んでいます。
元亀元年(1570)、織田家の佐久間信盛に攻められて落城したと伝わります。

八丈岩

八丈岩前からの眺め
眼下を旧東海道が通っています。

六角氏の家紋、四つ目結が彫られた岩

土塁

二の丸切岸に残る石垣

一つ一つの石が大きくて迫力があります。

二の丸虎口

虎口も石垣で固められています。

二の丸井戸

更に高所の主郭にも石垣が。

主郭から南西方向に延びる尾根
堀切が見えています。

堀切と土橋

その土橋を渡る城友会参加者たちw

三雲城跡にはとにかく大きな岩がゴロゴロしていました。
これなんか、明らかに積み上げていますよね?

こちらも・・・

この日はのろし駅伝のイベントが催されていて、狼煙の他、手筒も打ち上げられていました。
■丸岡城・東丸岡城
引き続き丸岡城・東丸岡城へ

丸岡城は何だか不思議な造りでした。
写真のように土塁の中に空堀?があったりするし・・・

土塁上から主郭
一応、主郭は土塁が廻らされて方形状になっていたようですが・・・

細い道路を隔てた反対側にある東丸岡城主郭

主郭外側の堀切
この2城は間を隔てる道路や、すぐ隣の墓地による改変もありそうで、実際のところどのようなお城だったのか、よく分かりませんでした・・・。
■黒川氏城
黒川氏城縄張図

図面を見ただけでもワクワクしてくる縄張ですね。楽しみです。

こちらも獣害対策のフェンスを開けて入っていきます。

縄張図Ⅳ曲輪の虎口

この虎口には石積みも残っていました。

横堀
切岸も高いです。

縄張図cにあった石段

縄張図Ⅰ曲輪(主郭)への登り坂に建っていた城址碑

Ⅰ曲輪の土塁に残る雁木
ちょっと崩れてしまっていますが・・・

こちらは分かり易いですね。

Ⅰ曲輪のb虎口

b虎口の石積み

虎口の外側にも

Ⅰ曲輪南側の堀切

藪も無くて堀切のラインがクッキリ☆

土塁やら堀やら通路やら・・・複雑過ぎて訳分からん!
(褒めてます)

クネクネ~
手前に喰い違い虎口のようなものがあったから通路だと思う・・・
黒川氏城…期待に違わず、複雑で素晴らしい遺構でした。
※ところでこの黒川氏城、とにかくヒルが多いと聞いていたのでみんな厳重防備で・・・

ご覧の姿に(笑)
フードまで被って、誰が名付けたかフードファイター((爆笑
(写真提供:しろうさぎさん)
■村雨城・寺前城
お次は村雨城・寺前城です。
※ここからの4城は2013年暮れにも訪れていますので、そちらの記事も参照ください。
→コチラ

まずは村雨城から。枡形虎口

主郭虎口

主郭
グルッと土塁に囲まれた様子がよく分かります。

寺前城との間の堀切

土橋も架けられています。

寺前城主郭
虎口が2つ設けられています。

2つの虎口外側は間に空堀が切られ、土橋と土塁で連結されています。
■新宮支城・新宮城
さぁ、ラストスパートです。
城友会2015、最後の城攻めは新宮支城・新宮城になりました。
日没も迫っていましたので、何はともあれまずは新宮支城から攻めます。

新宮支城主郭虎口
奥に例のモノが見えていますね・・・

そう、とてつもなく高い主郭土塁!
我々の間では「アホかーっ!?の土塁」と呼んでいます(笑)
(勿論、褒めてますww)

横堀

土塁の上から。左下が主郭です。

土塁最高所より。
この高低差をお分かりいただけますでしょうか・・・
この後、ルートを間違えてぬかるんだ藪を掻き分け、ちゃんと新宮城にも行きましたが、相変わらず藪が凄かったのと、日没でマトモな写真が撮れなかったので省略します。
今年もミッチリとお城を堪能させていただきました、城友会。
幹事の流星☆さん初め、運転してくれたゆっきー、参加者皆さんに感謝です。
最後は山科駅で解散し、私はこばたかさんと京都駅で打ち上げの一杯をやってから帰路に就きました。
来年の城友会は・・・北陸かな?