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2015年11月28日 (土)

千草越え

2012年から参加させて頂いている年1回開催の城友会。2015年(11月22~23日)の舞台は伊賀&甲賀
その前日、21日は移動を兼ねた前乗りで、織田信長千草越え関連地を訪れることにしました。

元亀元年(1570)4月、越前侵攻中に浅井長政の離反を受け、急ぎ京へと撤退した織田信長の金ヶ崎の退き口(→参考記事 ※前後篇あり)。
京へ戻った信長は態勢を立て直すため、一旦本拠の岐阜へ向かうことにします。

状況図Ⅰ
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十二日に永原まで御出で。永原に、佐久間右衛門置かれ、長光寺に、柴田修理亮在城。安土城に、中川八郎右衛門楯籠る。此の如く塞々に御人数残しをかせられ、
(信長公記 巻三「越前手筒山攻め落さるゝの事」より)

永原に佐久間信盛、長光寺(瓶割山)に柴田勝家、安土城には中川清秀を配して琵琶湖の南~南東岸一帯は確保しましたが、浅井家の離反により佐和山城が敵対勢力圏となったため、佐和山が押さえる東山道を経由しての岐阜帰還は叶わず、彼は南方の千草越えのルートを選択しました。

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八風街道と千草(千種)街道の追分(状況図

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道標には;
右 四日市 市原 甲津畑
左 桑名  山上 永源寺

とあります。

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甲津畑を目指す我々は、ここから右の千草街道を進みます。
確保した琵琶湖南岸から千草峠へは通常ですと、我々のように八風街道を経て千草街道を進むことになりますが・・・

状況図Ⅱ
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五月十九日御下りのところ、浅井備前、鯰江の城へ人数を入れ、市原の郷一揆を催し、通路を止むべき行仕り侯。然れども、日野蒲生右兵衛大輔布施藤九郎香津畑の菅六左衛門馳走申し、千草越えにて御下りなされ侯。
(信長公記 巻三「千草峠にて銕炮打ち申すの事」より)

浅井に鯰江城を押さえられ、更に千草街道沿い、追分の道標にもあった市原(東近江市市原)でも一揆を扇動されて通路(八風・千草街道)を止むべき行(てだて)をられたため、それも不可能となります。
ところが、蒲生賢秀(日野城)・布施藤九郎(大森城)・速水勘六左衛門(甲津畑)の3人の馳走により、千草越えを果たしたとあります。

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それぞれの居城や所領の位置関係(状況図Ⅱ参照)から察するに、鯰江城とは愛知川を挟んだ対岸に位置する布施の大森城長光寺城とで防衛ラインを築いて八風街道(市原の一揆)を避け、低く連なる写真の台地状の稜線の向こう(南)側、蒲生の日野の方へと迂回し、速水の甲津畑千草峠へと進んだものと思われます。(状況図Ⅱ

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日野から甲津畑へと進む信長が通ってきたと思われる、さきほどの稜線を越える道(左)

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とても細い道でしたが、折角なので車で通っていただきました。
※あっぴん。さん、ありがとう(^_^)/

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信長とは逆に甲津畑側から南へ向かうと、すぐに蒲生の領地だった日野町に入ります。

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路傍には古そうなお地蔵さんも。
詳しい由来などは分かりませんが、「おふき地蔵」というのだそうです。

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さて、千草越えルートに戻ります。
日野から甲津畑側へと稜線を越えてきた付近からの景観。信長が目にしたものと如何ばかりも変わっていないのでしょうね。

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ここにも道標がありました。

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少し進むと、早くも千草峠の山容が眼前に迫ってきます。

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いよいよ甲津畑の集落に入ります。

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小さな集落の奥まった場所に…速水勘六左衛門邸と、織田信長馬繋ぎの松
現在も速水家のご子孫がお住いのようです。

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推定樹齢は250年ほどとのことなので2代目ということになるのでしょうが、とても貫録のある松です。
峠越えを前にして信長は、こちらで勘六左衛門(管六左衛門)の接待を受けて一息入れていたのかもしれません。

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速水邸から先、集落の道は一段と細くなっていきます。
ここを抜けると・・・

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道はいよいよ峠へ差し掛かります。

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途中、千草街道の旧道も部分的に残っていました。
古道の痕跡がはっきりと残っています。

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その旧道付近から見る千草峠
445年の時を隔て、今こうして織田信長が目にした景色をほぼ同じ位置から、同じアングルで眺めているのです。そう思うだけで興奮を抑えきれません。

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岩ヶ谷林道の入口
ここからは車を置いて徒歩になります。

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岩ケ谷林道は大正年間に鉱山業のために整備されたもので、旧来の千草街道とは少しルートがずれています。

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しばらく進むとご覧の案内板がありました。
赤い実線は我々が歩いている林道で、点線の方が千草街道になります。
※方位は間違っていますのでご注意ください。

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上流へ進むにつれ、藤切川の川面が近付いてきました。

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林道入口から25分ほども歩いたでしょうか…到着しました、杉谷善住坊の隠れ岩への案内板。
ここから林道を逸れて河原へと下って行きますが、細くて急勾配なため注意が必要です。

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杉谷善住坊の隠れ岩

左侯ところ、杉谷善住坊と申す者、佐々木左京大夫承禎に憑まれ、千草山中道筋に鉄炮を相構へ、情なく、十二、三間隔て、信長公を差し付け、二つ玉にて打ち申し侯。されども、天道昭覧にて、御身に少しづゝ打ちかすり、鰐の口を御遁れ侯て、目出たく五月廿一日濃州岐阜御帰陣。
(信長公記 巻三「千草峠にて銕炮打ち申すの事」より)

千草街道を進む信長は、ここで六角承禎に依頼(命令)された鉄砲の名手・杉谷善住坊の狙撃を2発受けました。

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隠れ岩の足元から千草街道を見る。
十二、三間とは約22m前後のこと。目測ですが、距離は信長公記の記述と一致しているように思えました。

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対岸の千草街道をアップで・・・
少しU字型に窪みながら左右に横切っているのがお分かりになりますでしょうか?

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実際に善住坊が鉄砲を放ったのは隠れ岩の足元から、という説をテレビで観た気もしますが…発砲後の逃走経路の確保も考えると、私はむしろ隠れ岩の上からだったような気がしてなりません。

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隠れ岩の上から千草街道方面を見る。
現在は木々に視界を遮られてよく見通せませんが・・・

この時の顛末を人伝に耳にしたのでしょう、公家の山科言継は;

織田弾正忠こうづはたにて、銕放四丁にて自山中射之云々、但不當、笠之柄打折之云々
(「言継卿記」元亀元年五月廿二日の項)

と書き残しています。読み下すと;
織田弾正忠こうづはた(甲津畑)にて、鉄砲4丁にて山中よりこれを射つと云々、但し当たらず、笠の柄これを打ち折ると云々
となります。鉄砲の数が違うのは伝聞による誤差でしょう。

銃弾は辛うじて体を外れて、虎口を逃れた(鰐の口を御遁れ侯て)信長は無事に岐阜への帰還を果たしました。
この後、歴史は姉川の合戦へと繋がっていきます。


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さて、下山後は前出の蒲生氏ゆかりの日野城(中野城)へと向かいました。
城跡のすぐ脇まで日野川ダムが迫っています…水は枯れていたけど。

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日野城縄張図

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日野城跡では映画「るろうに剣心」のロケも行われたそうです。
※剣心vs蒼紫の決闘シーンだそうです。←観ていないので分からないw

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土塁と横堀(縄張図a

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蒲生賢秀の嫡子で織田信長の娘婿となる蒲生氏郷産湯の井戸(縄張図
この辺りが本丸跡になるようです。

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本丸跡には城址碑も(縄張図

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縄張図の方向に見る空堀
奥の竹藪の中には・・・

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土橋も見えていました。
日野城は氏郷の松ヶ島城転封により、その役目を終えました。

少し車で移動して・・・
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馬見岡綿向神社前、伝若松の森址
蒲生氏郷が会津へ移封された時、故郷日野城の近くにあったこの若松の森にちなみ、会津黒川の地を若松に改めたと伝えられています。江戸中期には多くの松が朽ちてしまったようです。

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馬見岡綿向神社

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馬見岡綿向神社本殿

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境内には楠正成とその子・正行の桜井の別れ之像も。
元々は日野小学校の校庭にあったそうですが、戦後の占領統治下で従来の精神教育が否定されるに及び撤去され、馬見岡綿向神社の境内に移されたまま、現在に至るそうです。

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雲雀野公園に建つ蒲生氏郷像
・・・逆光はどうにもならん(´-ω-`)

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雲雀野公園近くの和菓子屋さんで「氏郷饅頭」を購入し、本日の行程は終了です。
運転してくれたあっぴん。さん、同行のゆっきー、ありがとうございました。

この後は宿泊地となる伊賀上野まで移動し、翌日からの城友会参加者も集合しての前夜祭☆
何故か居酒屋の個室にカラオケが備え付けられていたので、まさかの前夜祭からのカラオケ突入(笑)
楽しく盛り上がりました。

城友会初日、伊賀のお城めぐりへつづきます。

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