太田牛一の墓所・・・と池田城
毎年恒例となっている城友忘年会オフ。
2015年(12/13)の踏査舞台は飯盛城(大阪府大東市・四條畷市)となり、私は前日の12日から前乗りで大阪入り。
この機会に「信長公記」などの著作で知られる太田牛一のお墓参りをさせていただくことにしました。
織田信長の足跡を辿って旅することをライフワークの一つとしている私にとって、「信長公記」はバイブルのようなもの。素晴らしい書物を遺してくれたことに、感謝の思いを伝えずにはいられません。
新大阪から電車を乗り継いで阪急石橋駅へ向かい、そこからはバス・・・の予定でしたが、バス停が駅から少し離れていた?ようで見当たらず、結局3㎞ほどの距離を歩くことにしました。
そして目的地へ向かう道すがら、雰囲気のいい路地などを撮影していて気づきました・・・カメラのSDカードを忘れた…(´-ω-`)
急遽、地図アプリでコンビニを検索して8GBのSDカードを購入し、改めて目的地へと向かいます。

なんやかんやで、石橋駅を出てから40分くらいはかかってしまったでしょうか・・・ようやく到着です。
※でもSDがないことに気づいたのが、目的地到着前でよかった・・・。

池田市にある佛日禅寺
墓地は本堂や方丈などがある敷地とは少し離れていますが、まずは本堂へお参りしてから。

佛日禅寺の境内墓地は2ヶ所に分かれているようで、その一つには摂津國豊島郡・川辺郡などを領した麻田藩主・青木家歴代の墓所がありました。
立入禁止のようでしたので、敷地外から静かにお参り。

そして、こちらの墓地に太田家の墓所があります。

太田牛一を祖とする太田家墓所
五輪塔の左には、江戸期の累代の墓石がズラッと並んでいます。
牛一の子孫は諸家を転々としますが、最終的には麻田藩士として続いたようです。
そのため墓所も佛日禅寺にあるのですが・・・藩主の菩提寺と同じお寺ってことは、それなりの地位に就いていたのかもしれません。

霊標
初代 太田和泉守牛一
功源院殿前泉刕太守静巌良栄居士
佛日禅寺に太田家の墓所が移されたのは三代目からだそうで、牛一が葬られたお寺がどこにあったのか、今となっては分からなくなっているそうです。
霊標を拝見して察するに、十四代目の方の時にお墓を新しくし、それを機に移転前の初代(牛一)、及び二代目も一緒に供養することにされたようです。

歴代のお名前には皆、「牛」の一字が・・・

同じ敷地内には麻田藩主・青木家の一門という阿澄家の墓所もありました。
その祖は麻田藩初代・青木一重実弟の源五重経で、彼は徳川家康に仕えて三方原の戦いに於いて奮戦、討死を遂げたと云います。
後に麻田藩第十代藩主の弟が阿澄の名跡を継ぎ、阿澄家を再興しました。
念願叶った太田牛一の墓参。
しっかりと感謝の意を伝え、今後も織田信長の足跡を丁寧に辿っていくことを墓前に誓いました。

佛日禅寺を辞去した後は、そのままぶらぶらと歩いて池田城址公園を訪れました。

池田城模擬天守
主な城主としては、織田信長に摂津三守護の一人に取り立てられ、本國寺合戦や金ヶ崎の退き口での撤退戦でも活躍した池田勝正などが有名ですね。

排水溝跡

この先は虎口との表示があり、実際に枡形になっているように見えたので行ってみると・・・

まさかの行き止まり!?(笑)

行き止まりの先は堀跡のようになっていましたので、或いは橋でも架けられたいたのでしょうか…?

土塁

模擬天守から園内を一望する。
芝生の広場には礎石も展示されていました。

池田城…すっかり公園化され、これといって目を引く遺構も見当たりませんでしたが、先ほどの堀の痕跡と思われる地形や、公園西側のこの高低差は見応えがありました。
この後は一旦、香里園のホテルまで移動してチェックインし、寝屋川市駅前で行われた城友忘年会の前夜祭に参加しました。
2次会まで楽しく盛り上がりましたよ☆
2015年(12/13)の踏査舞台は飯盛城(大阪府大東市・四條畷市)となり、私は前日の12日から前乗りで大阪入り。
この機会に「信長公記」などの著作で知られる太田牛一のお墓参りをさせていただくことにしました。
織田信長の足跡を辿って旅することをライフワークの一つとしている私にとって、「信長公記」はバイブルのようなもの。素晴らしい書物を遺してくれたことに、感謝の思いを伝えずにはいられません。
新大阪から電車を乗り継いで阪急石橋駅へ向かい、そこからはバス・・・の予定でしたが、バス停が駅から少し離れていた?ようで見当たらず、結局3㎞ほどの距離を歩くことにしました。
そして目的地へ向かう道すがら、雰囲気のいい路地などを撮影していて気づきました・・・カメラのSDカードを忘れた…(´-ω-`)
急遽、地図アプリでコンビニを検索して8GBのSDカードを購入し、改めて目的地へと向かいます。

なんやかんやで、石橋駅を出てから40分くらいはかかってしまったでしょうか・・・ようやく到着です。
※でもSDがないことに気づいたのが、目的地到着前でよかった・・・。

池田市にある佛日禅寺
墓地は本堂や方丈などがある敷地とは少し離れていますが、まずは本堂へお参りしてから。

佛日禅寺の境内墓地は2ヶ所に分かれているようで、その一つには摂津國豊島郡・川辺郡などを領した麻田藩主・青木家歴代の墓所がありました。
立入禁止のようでしたので、敷地外から静かにお参り。

そして、こちらの墓地に太田家の墓所があります。

太田牛一を祖とする太田家墓所
五輪塔の左には、江戸期の累代の墓石がズラッと並んでいます。
牛一の子孫は諸家を転々としますが、最終的には麻田藩士として続いたようです。
そのため墓所も佛日禅寺にあるのですが・・・藩主の菩提寺と同じお寺ってことは、それなりの地位に就いていたのかもしれません。

霊標
初代 太田和泉守牛一
功源院殿前泉刕太守静巌良栄居士
佛日禅寺に太田家の墓所が移されたのは三代目からだそうで、牛一が葬られたお寺がどこにあったのか、今となっては分からなくなっているそうです。
霊標を拝見して察するに、十四代目の方の時にお墓を新しくし、それを機に移転前の初代(牛一)、及び二代目も一緒に供養することにされたようです。

歴代のお名前には皆、「牛」の一字が・・・

同じ敷地内には麻田藩主・青木家の一門という阿澄家の墓所もありました。
その祖は麻田藩初代・青木一重実弟の源五重経で、彼は徳川家康に仕えて三方原の戦いに於いて奮戦、討死を遂げたと云います。
後に麻田藩第十代藩主の弟が阿澄の名跡を継ぎ、阿澄家を再興しました。
念願叶った太田牛一の墓参。
しっかりと感謝の意を伝え、今後も織田信長の足跡を丁寧に辿っていくことを墓前に誓いました。

佛日禅寺を辞去した後は、そのままぶらぶらと歩いて池田城址公園を訪れました。

池田城模擬天守
主な城主としては、織田信長に摂津三守護の一人に取り立てられ、本國寺合戦や金ヶ崎の退き口での撤退戦でも活躍した池田勝正などが有名ですね。

排水溝跡

この先は虎口との表示があり、実際に枡形になっているように見えたので行ってみると・・・

まさかの行き止まり!?(笑)

行き止まりの先は堀跡のようになっていましたので、或いは橋でも架けられたいたのでしょうか…?

土塁

模擬天守から園内を一望する。
芝生の広場には礎石も展示されていました。

池田城…すっかり公園化され、これといって目を引く遺構も見当たりませんでしたが、先ほどの堀の痕跡と思われる地形や、公園西側のこの高低差は見応えがありました。
この後は一旦、香里園のホテルまで移動してチェックインし、寝屋川市駅前で行われた城友忘年会の前夜祭に参加しました。
2次会まで楽しく盛り上がりましたよ☆
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