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2015年12月 5日 (土)

立川氏館跡

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東京都立川市の普済寺

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普済寺楼門

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本堂
普済寺の本堂は平成7年の火災で一度焼失しており、現在のものはそれ以降の再建になります。

ところで、普済寺の建つ地は武蔵七党の一つ、西党日奉氏の流れを汲む立川(立河)の居館跡と考えられており、実際に本堂焼失~再建前の平成8年に行われた発掘調査では、本堂周辺から掘立柱などの遺構や陶磁器・瓦片などの遺物も発見されています。

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境内南側に残る立川氏館の土塁

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土塁外側
発掘調査では土塁に沿って堀跡も確認されているようです。

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墓地の外側(北西)にもご覧の高低差

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普済寺は多摩川に削られた段丘の断崖上に位置しており、武士の居館跡としても、さもありなんといった立地です。
※現在、眼下を流れているのは多摩川支流の残堀川。

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また、墓地には立川氏の首塚と伝わる場所もあります。

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立川宮内少輔宗恒之碑
立川宗恒は普済寺の開基とされる人物でもあります。

立川氏は戦国期には後北条氏に従っていましたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐で没落します。
その後、元和4年(1618)に至り、同じく後北条家臣だった中山信吉(八王子城で戦死した中山勘解由の息)に従って共に水戸徳川家に仕官しています。

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江戸名所図会に見る普済寺
左側を流れる多摩川の段丘上に築かれ、境内至る所に土塁らしきものが残っていた様子も分かりますね。
多摩川の向こうには富士山も大きく描かれていますが・・・

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今でもこうして、その姿を拝むことができます。


また、普済寺は立川市内唯一の国宝・六面石幢を有することでも知られています。
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六面石幢は本堂の裏手へ回った、こちらの建屋の中で保存されています。

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国宝・六面石幢
延文6年(1361)の建立。
阿金剛・吽金剛(いわゆる“阿吽の呼吸”の阿吽)の仁王像に、増長天・広目天・多聞天・持国天の四天王像が刻まれています。

残念ながらガラスの反射がきつく、距離も取れなかったので全体を撮影することはできませんでしたが・・・

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この後に訪れた立川市歴史民俗資料館の常設展にレプリカが展示されていました。
※常設展は撮影可

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その立川氏歴史民俗資料館
普済寺からは車で5分程度の距離です。

2015年12月6日まで
中世の立川 ~武蔵武士・立川氏とその時代を探る~
という企画展が催されており、文書類(立川氏文書)や普済寺で発掘された遺物などが展示されています。
珍しいところでは、縁部分に立河原合戦(1504)戦死者を供養する52文字の銘文が刻まれた銅鉦鼓(都指定有形文化財)も特別公開されていました。

常設展と合わせ、立川氏についていろいろと学べるいい展示内容でした。

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