飯盛城
2015年の城友忘年会、その山城踏査の舞台は河内國飯盛城。三好長慶の居城だったことでも有名なお城です。
今年の参加者は総勢12名。四條畷駅で集合し、車2台に分乗して飯盛山へ向かいます。
飯盛城図
以下、本記事内での各郭(曲輪)の呼称もこの図面に合わせます。
(但し「本丸~」「二ノ丸~」は省略)
今回の踏査開始は楠公寺から。
ここも飯盛城の曲輪(馬場)跡の一つです。
楠公寺は四條畷の戦いで散った楠木正行をはじめとする南朝方の人々を供養するため、昭和25年に開山されました。
本堂の屋根越しには、高櫓郭に建つ楠木正行の銅像が見えています。
その高櫓郭へ向かう途中、振り返って千畳敷郭との間の鞍部を見下ろす。
…或いは堀切だったか?
高櫓郭の南に架かるこちらは・・・土橋(遺構)か否か迷うところ。
両サイドには竪堀が落とされて堀切のようになっていましたので、土橋でいいのかもしれません・・・。
高櫓郭からの眺望
高櫓郭
楠木正行像…は、あまりの逆光に撮影失敗(>_<)
旧国威宣揚台
昭和14年の日付が刻まれていました。
飯盛城からは、大阪の中心街も一望のもとに見渡せます。
空気が澄んでいれば、大坂城をもハッキリ視認できるようです。
そうそう、飯盛城は国史跡指定取得に向けて、呼称を「飯盛城」(「山」が付かない)に統一したそうです。
文献上に「飯盛“山”城」とは出て来ないことも、理由の一つだそうです。
飯盛城は東側が大手と考えられており、その東面には多くの石垣が残されています。
この日の踏査は、それらの石垣探索が中心となりました。
こちらは展望台郭東面の石垣
その一段下にも。
犬走を挟んでセットバックになっています。
高櫓郭東下の山道沿いに残る石垣
一部崩れて、裏込石(栗石)も見えていました。
山道から更に東へ、切岸を下って行きます。
切岸を下った先には小さな曲輪も点在し、いい感じの石垣がそこかしこに。
もはや、それぞれの石垣の正確な位置は失念しましたが…(;・∀・)
それにしても高い切岸の急斜面を、上下左右に移動しながらの石垣探索は思いの外疲れました…(;^ω^)
一旦昼休憩のために展望台郭に上がった後、午後は北の郭群へ向かいます。
午後の部、まずは蔵屋敷郭西側の石垣から。
三本松郭と御体塚郭の間、西の竪堀と東の谷地形に挟まれた城道の法面(東側)を固める石垣。
そのまま御体塚郭東の切岸を下ります。
少し下った先から見上げると・・・
中にはしっかりと積まれた二段石垣も。
この二段石垣の先は・・・
自然の谷地形を活かした巨大な竪堀のようになっていました。
よ~く見ると対岸の縁にも石垣が積まれています。
この谷を上がっていくと、先ほどの城道の法面を固めた石垣に当たります。
やはり単なる自然地形ではなく、手が加えられていることは確かでしょう。
更に下った先にも。
…にしても、この切岸下りはキツかった・・・この日の最難関(;・∀・)
尾根への戻りは竪土塁を直登!…土塁の上は激藪でしたけど(笑)
御体塚郭北側の堀切
この堀切・・・
御体塚郭側の高低差がハンパじゃない…!!
ところで御体塚郭にはその名の通り、三好長慶の遺骸を3年の間仮埋葬していたと伝わる塚らしきものがあります。
まぁ文献上の裏付けもなく、真偽のほどはかなり怪しいそうですが・・・。
史蹟碑郭の…史蹟碑
ここまで書いてきてつくづく思う…他の郭も含め、便宜上とはいえ、もう少しマシなネーミングがあったでしょうに…(´-ω-`)
史蹟碑郭からは山崎古戦場を見晴るかすこともできました。
この光景はちょっと感動モノです。
冬の日照時間は短い…急ぎ南側へと引き返し、最後に千畳敷郭周辺の踏査に向かいます。
千畳敷郭への、本来の城道と思われる痕跡
千畳敷郭西の突端部分に築かれた見張台?に架かる土橋。
両サイドには小さいながらも竪堀が落とされています。
あの一段上は南丸
すぐ左にある千畳敷郭南虎口を守るように、櫓台らしき土盛りも見えます。
その千畳敷郭南虎口には・・・
石垣の痕跡も僅かに残されていました。
千畳敷郭の先、南丸の切岸下には、竪堀が連続して6~7本あるとのことだったので確認しに行きましたが・・・
激藪で写真は全滅・・・。
目視では辛うじてそれと認識できましたけどね。
最後に…千畳敷郭南虎口へと向かう土橋越しに南丸の切岸。
土橋に対する切岸の圧迫感が凄いです。攻城兵が土橋を渡って城へ迫ろうにも・・・無理ですね、これは(笑)
という感じで2015年の城友忘年会オフ、山城踏査・飯盛城攻めは事故もなく、無事に終了致しました。
幹事や車を運転してくれた方々には無論のこと、楽しい時間を共有できた皆さんにも感謝☆
夜は急遽延泊を決めて、打ち上げの忘年会にも参加させていただきました♪
個人的に今回の旅は、「感謝」をテーマに定めていました。
「信長公記」を遺してくれた太田牛一に対する感謝に始まり、共に城攻め・歴旅の楽しさを共有してくれる友との出会いに感謝、そして1年間の旅の無事にも感謝・・・いい旅になりました。
来年もいい年になりますように♪
今年の参加者は総勢12名。四條畷駅で集合し、車2台に分乗して飯盛山へ向かいます。
飯盛城図
以下、本記事内での各郭(曲輪)の呼称もこの図面に合わせます。
(但し「本丸~」「二ノ丸~」は省略)
今回の踏査開始は楠公寺から。
ここも飯盛城の曲輪(馬場)跡の一つです。
楠公寺は四條畷の戦いで散った楠木正行をはじめとする南朝方の人々を供養するため、昭和25年に開山されました。
本堂の屋根越しには、高櫓郭に建つ楠木正行の銅像が見えています。
その高櫓郭へ向かう途中、振り返って千畳敷郭との間の鞍部を見下ろす。
…或いは堀切だったか?
高櫓郭の南に架かるこちらは・・・土橋(遺構)か否か迷うところ。
両サイドには竪堀が落とされて堀切のようになっていましたので、土橋でいいのかもしれません・・・。
高櫓郭からの眺望
高櫓郭
楠木正行像…は、あまりの逆光に撮影失敗(>_<)
旧国威宣揚台
昭和14年の日付が刻まれていました。
飯盛城からは、大阪の中心街も一望のもとに見渡せます。
空気が澄んでいれば、大坂城をもハッキリ視認できるようです。
そうそう、飯盛城は国史跡指定取得に向けて、呼称を「飯盛城」(「山」が付かない)に統一したそうです。
文献上に「飯盛“山”城」とは出て来ないことも、理由の一つだそうです。
飯盛城は東側が大手と考えられており、その東面には多くの石垣が残されています。
この日の踏査は、それらの石垣探索が中心となりました。
こちらは展望台郭東面の石垣
その一段下にも。
犬走を挟んでセットバックになっています。
高櫓郭東下の山道沿いに残る石垣
一部崩れて、裏込石(栗石)も見えていました。
山道から更に東へ、切岸を下って行きます。
切岸を下った先には小さな曲輪も点在し、いい感じの石垣がそこかしこに。
もはや、それぞれの石垣の正確な位置は失念しましたが…(;・∀・)
それにしても高い切岸の急斜面を、上下左右に移動しながらの石垣探索は思いの外疲れました…(;^ω^)
一旦昼休憩のために展望台郭に上がった後、午後は北の郭群へ向かいます。
午後の部、まずは蔵屋敷郭西側の石垣から。
三本松郭と御体塚郭の間、西の竪堀と東の谷地形に挟まれた城道の法面(東側)を固める石垣。
そのまま御体塚郭東の切岸を下ります。
少し下った先から見上げると・・・
中にはしっかりと積まれた二段石垣も。
この二段石垣の先は・・・
自然の谷地形を活かした巨大な竪堀のようになっていました。
よ~く見ると対岸の縁にも石垣が積まれています。
この谷を上がっていくと、先ほどの城道の法面を固めた石垣に当たります。
やはり単なる自然地形ではなく、手が加えられていることは確かでしょう。
更に下った先にも。
…にしても、この切岸下りはキツかった・・・この日の最難関(;・∀・)
尾根への戻りは竪土塁を直登!…土塁の上は激藪でしたけど(笑)
御体塚郭北側の堀切
この堀切・・・
御体塚郭側の高低差がハンパじゃない…!!
ところで御体塚郭にはその名の通り、三好長慶の遺骸を3年の間仮埋葬していたと伝わる塚らしきものがあります。
まぁ文献上の裏付けもなく、真偽のほどはかなり怪しいそうですが・・・。
史蹟碑郭の…史蹟碑
ここまで書いてきてつくづく思う…他の郭も含め、便宜上とはいえ、もう少しマシなネーミングがあったでしょうに…(´-ω-`)
史蹟碑郭からは山崎古戦場を見晴るかすこともできました。
この光景はちょっと感動モノです。
冬の日照時間は短い…急ぎ南側へと引き返し、最後に千畳敷郭周辺の踏査に向かいます。
千畳敷郭への、本来の城道と思われる痕跡
千畳敷郭西の突端部分に築かれた見張台?に架かる土橋。
両サイドには小さいながらも竪堀が落とされています。
あの一段上は南丸
すぐ左にある千畳敷郭南虎口を守るように、櫓台らしき土盛りも見えます。
その千畳敷郭南虎口には・・・
石垣の痕跡も僅かに残されていました。
千畳敷郭の先、南丸の切岸下には、竪堀が連続して6~7本あるとのことだったので確認しに行きましたが・・・
激藪で写真は全滅・・・。
目視では辛うじてそれと認識できましたけどね。
最後に…千畳敷郭南虎口へと向かう土橋越しに南丸の切岸。
土橋に対する切岸の圧迫感が凄いです。攻城兵が土橋を渡って城へ迫ろうにも・・・無理ですね、これは(笑)
という感じで2015年の城友忘年会オフ、山城踏査・飯盛城攻めは事故もなく、無事に終了致しました。
幹事や車を運転してくれた方々には無論のこと、楽しい時間を共有できた皆さんにも感謝☆
夜は急遽延泊を決めて、打ち上げの忘年会にも参加させていただきました♪
個人的に今回の旅は、「感謝」をテーマに定めていました。
「信長公記」を遺してくれた太田牛一に対する感謝に始まり、共に城攻め・歴旅の楽しさを共有してくれる友との出会いに感謝、そして1年間の旅の無事にも感謝・・・いい旅になりました。
来年もいい年になりますように♪
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