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2016年1月24日 (日)

「義元左文字」拝観

2016年1月22日(金)、まだ夜も明けやらぬ早朝6時前に自宅を出発し、1泊2日の行程で京都へ出かけてきました。
京都駅到着後、市バスに乗り換えて真っ先に向かったのは・・・

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京都国立博物館(京博)です。

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そういえば京博の敷地内からはこのほど、方広寺大仏殿の周囲を囲っていたと云う回廊の、南側部分の礎石据え付け穴や大量の瓦が発掘されたそうですね。
その現場は明治古都館の北西付近とのことなので、この写真の左隅奥、工事用の柵が建てられている辺りだと思われます。
※翌23日には現地説明会も行われたようです。

しかし、私の目的はその発掘現場ではなく・・・

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2016年2月21日まで開催されている特集陳列「刀剣を楽しむ―名物刀を中心に―」です!
展示されている名刀の数々の中で、私がなんとしても観ておきたかったのは・・・

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義元左文字

でした。
元々は三好政長(半隠軒宗三)が所持していたため、「宗三左文字」「三好左文字」とも呼ばれます。その後、婚姻の引き出物として→甲斐武田家→今川家へと渡りました。

そして永禄3年(1560)5月19日、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長によって討ち取られると、信長は義元が佩いていた左文字を戦利品として収めました。
茎の表裏に;

永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀
織田尾張守信長


と、金象嵌で銘が刻まれています。
後に秀吉から家康の手へ渡り、徳川将軍家の重宝として伝わってきました。

滅多に公開されることのない宝刀。
間近で拝することができて感無量です。。。

その他の展示では;

坂本龍馬所用 銘吉行
龍馬が近江屋で刺客に襲われた時にも、手元に置いていたと云う刀。
とても反りが少なく、素人目にはよほどの達人でなければ抜けないのでは、と映りました。近江屋の狭い室内で、しかも咄嗟の出来事であれば尚更さもありなん・・・か。

名物膝丸
「髭切」と並ぶ源氏重代の宝刀。

などが印象に残りました。

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某ゲームの影響もあって、今や若い女性を中心に空前の刀剣ブーム。
本展も1週前の週末に訪れたフォロワーさんから「かなり並ぶ」という情報を得ていましたので、敢えて平日を狙って訪れましたが、その甲斐もあってか実際に来てみると、なんと待ち時間ゼロ!
お陰さまでゆっくり・じっくりと堪能することができました。

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