丸子城
静岡旅3日目。
この日は丸子城からスタートします。
丸子城は駿河へ侵攻した武田家によって築かれたお城。
諏訪原城と共にずーっと来たかったので、とても楽しみです♪
いざ!
城山へは東の尾根からアプローチします。
途中、登山道の脇に古い道の痕跡がありました。城道の跡かもしれません。
丸子城縄張図
「現在地」とある位置から南西方向へ、丹念に見てまわります。
もういきなりガツンッとやられましたね!
aの横堀。格好いいなぁ・・・
虎口
この虎口には、僅かに石積みも残っていました。
bの竪堀
竪堀の右側は少し迫り出していますが、これは・・・
こうして北へ伸びる尾根方向を監視するためのものと思われます。
c土塁
d堀切
eの堡塁
まるで丸馬出のよう。
横堀も素敵ですね~♪
f堀切
本曲輪の枡形虎口
本曲輪
本曲輪から西側へと出る喰違い虎口
喰違い虎口の先、g曲輪を見る。
g曲輪から出曲輪
出曲輪も丸馬出のように曲線を描いています。
出曲輪背後から南方向へ落とされているh竪堀。
いかに急勾配かが、お分かりいただけると思います。
ここがまた凄かった・・・
出曲輪下の三日月堀と・・・
長大竪堀
なんですか、この竪堀の規模は・・・!?
三日月堀と竪堀のセット(笑)
それにしてもこの竪堀は凄い。
縄張図を見ても分かる通り、この長大竪堀とh竪堀とで、西側からのルートを完全に遮断しています。
丸子城が西(今川残党→徳川)を警戒した城だったことがよく分かります。
出曲輪の三日月堀を西へ回り込んでみる。
土塁に切れ目が・・・
Yの字になってhに繋がる竪堀
三日月堀の土塁を進むと、そのまま出曲輪の虎口に繋がります。
出曲輪虎口から振り返る。
土塁が少し幅広となっている部分から先ほどの切れている箇所までが、出曲輪の更に小馬出になっていたようです。
戻りは北西面の横堀伝いに。
通行を遮断する蔀土塁。
蔀土塁の背後(北)は、横堀がコの字に折られています。
奥から迫る敵に対し、まずは土塁で通路を屈折させ、蔀土塁で遮断し、更に横堀を折って妨げる、、、非常に高い防衛意識を感じます。
横堀を北上~
eの堡塁に繋がりました。
堡塁下段もザックリ切られています。
ところでe堡塁の更に下には、僅かにですが道の痕跡らしきものがありました。
この道、よくよく見ていくと・・・
駿河峯に至る北の尾根から伸びてきて・・・
d堀切にぶつかると、堀底で右に折れて・・・
丸子城の北側を迂回しているようです。
いろいろと考えていくうちに、これは中世までの街道ではないかと…。
江戸期に整備された東海道は山麓の谷筋を通ります(赤ライン)が、中世の街道は或いは谷戸を北側へ迂回して尾根を進んだのではないかと。
その道筋に丸子城が築かれたため、堀切から北へ逸れてお城を迂回した…。
もう少し調べてみる必要がありますが、街道も考慮に入れていくと城攻めが益々楽しくなってきます。
※実際「信長公記」には、天正10年の甲州征伐を終えた後、東海道を西へ進んで安土へ向かう信長の道中、丸子に差し掛かった部分に;
山中路次通りまりこの川端に山城を拵へ、ふせぎの城あり。
という記述も見られます。
丸子城、期待を裏切らない惚れ惚れするような遺構の数々…とっても満足度の高いお城でした☆
こういう城跡、好きだな~♪
さて下山後は、こちらも楽しみにしていた丁子屋でのとろろ汁☆
歌川広重の浮世絵にも描かれていますが、とろろ汁は東海道丸子(鞠子)宿の名物でした。
お店や背後の山の雰囲気も、今とソックリですね♪
ちなみに、東から進んできた東海道は・・・
丁子屋前の丁字(だから丁子屋)で左に折れ、丸子川を越えて先へ伸びていきます。
念願のとろろ飯☆
休日の昼食時でしたが、店内も広かったので15分ほどで席に着けました。
さ、旅のラストは賤機山城へ!
この日は丸子城からスタートします。
丸子城は駿河へ侵攻した武田家によって築かれたお城。
諏訪原城と共にずーっと来たかったので、とても楽しみです♪
いざ!
城山へは東の尾根からアプローチします。
途中、登山道の脇に古い道の痕跡がありました。城道の跡かもしれません。
丸子城縄張図
「現在地」とある位置から南西方向へ、丹念に見てまわります。
もういきなりガツンッとやられましたね!
aの横堀。格好いいなぁ・・・
虎口
この虎口には、僅かに石積みも残っていました。
bの竪堀
竪堀の右側は少し迫り出していますが、これは・・・
こうして北へ伸びる尾根方向を監視するためのものと思われます。
c土塁
d堀切
eの堡塁
まるで丸馬出のよう。
横堀も素敵ですね~♪
f堀切
本曲輪の枡形虎口
本曲輪
本曲輪から西側へと出る喰違い虎口
喰違い虎口の先、g曲輪を見る。
g曲輪から出曲輪
出曲輪も丸馬出のように曲線を描いています。
出曲輪背後から南方向へ落とされているh竪堀。
いかに急勾配かが、お分かりいただけると思います。
ここがまた凄かった・・・
出曲輪下の三日月堀と・・・
長大竪堀
なんですか、この竪堀の規模は・・・!?
三日月堀と竪堀のセット(笑)
それにしてもこの竪堀は凄い。
縄張図を見ても分かる通り、この長大竪堀とh竪堀とで、西側からのルートを完全に遮断しています。
丸子城が西(今川残党→徳川)を警戒した城だったことがよく分かります。
出曲輪の三日月堀を西へ回り込んでみる。
土塁に切れ目が・・・
Yの字になってhに繋がる竪堀
三日月堀の土塁を進むと、そのまま出曲輪の虎口に繋がります。
出曲輪虎口から振り返る。
土塁が少し幅広となっている部分から先ほどの切れている箇所までが、出曲輪の更に小馬出になっていたようです。
戻りは北西面の横堀伝いに。
通行を遮断する蔀土塁。
蔀土塁の背後(北)は、横堀がコの字に折られています。
奥から迫る敵に対し、まずは土塁で通路を屈折させ、蔀土塁で遮断し、更に横堀を折って妨げる、、、非常に高い防衛意識を感じます。
横堀を北上~
eの堡塁に繋がりました。
堡塁下段もザックリ切られています。
ところでe堡塁の更に下には、僅かにですが道の痕跡らしきものがありました。
この道、よくよく見ていくと・・・
駿河峯に至る北の尾根から伸びてきて・・・
d堀切にぶつかると、堀底で右に折れて・・・
丸子城の北側を迂回しているようです。
いろいろと考えていくうちに、これは中世までの街道ではないかと…。
江戸期に整備された東海道は山麓の谷筋を通ります(赤ライン)が、中世の街道は或いは谷戸を北側へ迂回して尾根を進んだのではないかと。
その道筋に丸子城が築かれたため、堀切から北へ逸れてお城を迂回した…。
もう少し調べてみる必要がありますが、街道も考慮に入れていくと城攻めが益々楽しくなってきます。
※実際「信長公記」には、天正10年の甲州征伐を終えた後、東海道を西へ進んで安土へ向かう信長の道中、丸子に差し掛かった部分に;
山中路次通りまりこの川端に山城を拵へ、ふせぎの城あり。
という記述も見られます。
丸子城、期待を裏切らない惚れ惚れするような遺構の数々…とっても満足度の高いお城でした☆
こういう城跡、好きだな~♪
さて下山後は、こちらも楽しみにしていた丁子屋でのとろろ汁☆
歌川広重の浮世絵にも描かれていますが、とろろ汁は東海道丸子(鞠子)宿の名物でした。
お店や背後の山の雰囲気も、今とソックリですね♪
ちなみに、東から進んできた東海道は・・・
丁子屋前の丁字(だから丁子屋)で左に折れ、丸子川を越えて先へ伸びていきます。
念願のとろろ飯☆
休日の昼食時でしたが、店内も広かったので15分ほどで席に着けました。
さ、旅のラストは賤機山城へ!
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