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2016年1月17日 (日)

花倉城…「花蔵の乱」関係地

諏訪原城の次は、藤枝市の花倉城へ向かいます。

駿河の守護大名・今川氏は、駿府へ本拠を移すまでは花倉を拠点にしていました。
しかし花倉城といえばなんと言っても、花蔵の乱で有名ですね。

天文5年(1536)3月、今川家当主の氏輝と次弟の彦五郎が相次いで急死すると、氏輝の母で先代氏親の正室・寿桂尼や大原雪斎らは、寿桂尼の子で出家していた栴岳承芳を擁立して家督を継がせようとします。
この動きに重臣の福島氏が対立し、栴岳承芳の腹違いの兄で福島氏一族の娘を母に持つ玄広恵探を担ぎ出したため、今川家の家督争いが勃発しました。
玄広恵探らは久能山に拠って駿府の今川館を襲撃しますが失敗し、以降は焼津市の方ノ上城や花倉城を拠点にして抵抗を続けました。

花倉城の図面
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農道で山頂付近まで車で登り、東の尾根から城攻めをスタートします。

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いきなり土橋状の細長い尾根道がお出迎え。
しばらくはこれといった遺構もなく、ダラダラと登りが続きます。

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古道の標識
花倉城はこの東側が大手筋と考えられています…するとこの古道は、大手道ということになりますでしょうか。

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古道標識の両サイドには、竪堀も落とされていました。
ここから少し登るとの曲輪に出ます。

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曲輪
薄く土塁も残っています。

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曲輪南側の堀切

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そして曲輪へと続く北側の堀切に架かる土橋
堀切はそのまま竪堀として落とされています。

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土橋を渡って、曲輪側から曲輪を見る。

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曲輪の切岸に堀切、土橋、竪堀、、、城の遺構を立体的に捉える事ができて好きなポイントでした。

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曲輪
奥には物見台跡。

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物見台を北側に下りて見上げる。

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曲輪の東に残る二~三段の腰曲輪

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こちらは西側の腰曲輪

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続いての尾根へ
ここからの景色は駿河湾まで見渡せて最高でした。

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の尾根は農道(未舗装)による破壊が著しかったのですが、ゆっきーが指差す先には・・・

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藪に埋もれるようにして土橋や・・・

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堀切も残っていました。

花倉城、北条や武田系の城郭のような技巧的で派手な感じはなく、どちらかというとシンプルで古典的な山城といった印象でしたが、遺構の残存状態も良くて楽しめました。

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さて、下山後は麓の長慶寺へ。

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長慶寺は栴岳承芳を養育し、その後も軍事・政略面に渡って支え続けた太原雪斎が中興開山となり、その晩年を過ごしたお寺です。

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境内には雪斎の墓所も。右の小さな無縫塔が雪斎のお墓です。
左の五輪塔は駿河今川氏三代・今川泰範のお墓。

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開山勅諡寶珠護国禅師大原孚大和尚
「寶珠護国禅師」は後奈良天皇から与えられた諡(おくりな)です。(「勅諡」がそれを示す)
※大原の後に「崇」が抜けているような気もしますが…(^_^;)

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続いて遍照寺
今川氏二代・範氏と、その嫡子・氏家の墓所

遍照寺の前身は遍照光寺といい、玄広恵探が住していたお寺です。ために彼は「花倉御曹司」などとも呼ばれていました。
寺の裏山も砦跡で、恵探派の拠点の一つだったと云われています。

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確かに裏山を見上げると、明らかに曲輪や堀切跡らしき痕跡が樹間に覗いていました。

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こちらは花倉城西側の麓、瀬戸谷に建つ普門寺
方ノ上城を落され、花倉城にも攻撃を受けた玄広恵探はこれを支え切れずに逃亡、最期はこちらの普門寺で自刃して果てました。

人気漫画「センゴク 桶狭間戦記」を読んだ方ならご存知ですよね?
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花倉城を落ち、普門寺の石段を息切らせながら上る玄広恵探・・・

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すると、その視線の先に待ち受けていたのは栴岳承芳改め、今川義元。
やあ兄者

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ヘタ・・・と膝から崩れ落ちる玄広恵探。
まぁ、これはあくまでも漫画の中でのシーンですけど(笑)

こうして花蔵の乱は栴岳承芳側の勝利に終わり、承芳は今川義元となって第九代今川家当主となりました。

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この日最後は、普門寺から少し北西方向へ進んだ先にある玄広恵探の墓所へ。
ここは普門寺の前身、普門庵の跡なのだそうです。恵探が自刃したのも実際にはこちら、ということになるのでしょう。

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玄広恵探墓所

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享年二十歳。さぞ無念だったことでしょう。。。

さて、これにて静岡旅2日目の行程も終了です。
夜は清水駅前に戻ってお決まりの飲み会☆…勿論、2次会までしっかり楽しみましたよ(笑)
…3日目へつづく

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