小机城
あけましておめでとうございます。m(_ _)m
2016年も引き続き、日本各地の歴史の舞台をめぐっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、新年最初の更新は小机城になります。

JR小机駅付近からの小机城遠景
城好きさんたちからの評判もよく、自宅からも決してアクセスが悪い訳ではないのですが、どういう訳か未訪のままになっていた城跡。
折角なので2016年の城初めの舞台に選ばせていただきました。

城山に近づくと道幅がグッと狭まって、住宅が密集してきます。これは、この先が昔からの集落だった名残なのだそうです。
小机城図面

南側の根古谷地区からスタートします。
※縄張図を持たず、事前の予備知識もほぼゼロの状態で出掛けたので相当いい加減な城攻めになりますが、あしからずご容赦願います…(^人^)

幾段にも折り重なる腰曲輪を眺めつつ、少し登ると・・・

いきなり物凄い遺構が出迎えてくれました。
本丸南側の横堀になります。

二の丸櫓台

二の丸

二の丸南東隅辺りで見かけた遺構。
出枡形っぽく見えたのですが…虎口ですかね?

二の丸北西側の横堀。こちらも凄いですねぇ・・・

この横堀、そのまま西へ進むと本丸の北側へと続いていきます。

二の丸と本丸の間、南北に細長く土塁状に築かれた曲輪?(馬出し?)から、南の横堀を見た様子。
堀底との高低差が凄いです。

同じ地点から本丸方向。土橋が架けられています。

土橋が架けられた本丸側の部分は、四角く張り出したような構造になっています。
(写真は本丸側から撮影)
薄くなっていますが土塁も巡らされていますし…格好いい♪私的には何気に“ツボ”なポイントでした(笑)

本丸を囲う土塁

本丸
四囲の土塁も綺麗に残っていました。

本丸南虎口に復元された冠木門

冠木門の先に伸びる土橋

土橋西側の堀は…藪。

土橋を渡った先にあった…枡形的な何か。

評判に違わず、本当に素晴らしい城跡でした。
特に空堀の規模は圧巻!

引き続き、第三京浜道路に分断された富士浅間側へ向かいます。
写真は横浜線のトンネルが貫通する谷戸(根古谷)の最奥部。
線路の向こう、南側の丘陵にも「古城」という字が残るようで、或いは小机城の外郭だったのかもしれません。
(なんとなく八王子城の太鼓曲輪尾根のようなイメージ、かな…?)

富士浅間の土盛り(図面では白山社)
櫓台…かな?

富士浅間前から、東の主郭部方向。

同じく富士浅間前から、目を少し南へ移した眺め。
写真左手前が主郭部で、奥が「古城」地区の丘陵。その間を谷戸が手前方向に食い込んできている様子が分かります。

富士浅間

富士浅間の土盛り上から見下ろす…堀切っぽい?

近くには小さいながらも竪堀っぽい痕跡も・・・。

道があったので、尾根上を南へ進んでみます。
写真は先ほどの、横浜線のトンネル真上付近にあたります。

線路を越えた先にも削平された小さな平坦地や、僅かながら土塁のような痕跡も見受けられました。

これなんか堀跡に見えませんか…?

…うん、やっぱり堀跡に見える(笑)

「古城」尾根の東端に位置する金剛寺。
小机は まず手習いの初めにて、いろはにほへと ちりぢりとなる
(1478年、長尾景春の乱に呼応した豊嶋氏の籠る小机城を攻める際、太田道灌が詠んだとされる歌)
小机城…横浜線の線路を挟んだ南側は宅地造成による改変が激しく、今となっては往時を偲ぶよすがも殆どありませんが、主郭部周辺だけでも見応えたっぷりでした。
とてもいい2016年の城初めになりました☆
2016年も引き続き、日本各地の歴史の舞台をめぐっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、新年最初の更新は小机城になります。

JR小机駅付近からの小机城遠景
城好きさんたちからの評判もよく、自宅からも決してアクセスが悪い訳ではないのですが、どういう訳か未訪のままになっていた城跡。
折角なので2016年の城初めの舞台に選ばせていただきました。

城山に近づくと道幅がグッと狭まって、住宅が密集してきます。これは、この先が昔からの集落だった名残なのだそうです。
小机城図面

南側の根古谷地区からスタートします。
※縄張図を持たず、事前の予備知識もほぼゼロの状態で出掛けたので相当いい加減な城攻めになりますが、あしからずご容赦願います…(^人^)

幾段にも折り重なる腰曲輪を眺めつつ、少し登ると・・・

いきなり物凄い遺構が出迎えてくれました。
本丸南側の横堀になります。

二の丸櫓台

二の丸

二の丸南東隅辺りで見かけた遺構。
出枡形っぽく見えたのですが…虎口ですかね?

二の丸北西側の横堀。こちらも凄いですねぇ・・・

この横堀、そのまま西へ進むと本丸の北側へと続いていきます。

二の丸と本丸の間、南北に細長く土塁状に築かれた曲輪?(馬出し?)から、南の横堀を見た様子。
堀底との高低差が凄いです。

同じ地点から本丸方向。土橋が架けられています。

土橋が架けられた本丸側の部分は、四角く張り出したような構造になっています。
(写真は本丸側から撮影)
薄くなっていますが土塁も巡らされていますし…格好いい♪私的には何気に“ツボ”なポイントでした(笑)

本丸を囲う土塁

本丸
四囲の土塁も綺麗に残っていました。

本丸南虎口に復元された冠木門

冠木門の先に伸びる土橋

土橋西側の堀は…藪。

土橋を渡った先にあった…枡形的な何か。

評判に違わず、本当に素晴らしい城跡でした。
特に空堀の規模は圧巻!

引き続き、第三京浜道路に分断された富士浅間側へ向かいます。
写真は横浜線のトンネルが貫通する谷戸(根古谷)の最奥部。
線路の向こう、南側の丘陵にも「古城」という字が残るようで、或いは小机城の外郭だったのかもしれません。
(なんとなく八王子城の太鼓曲輪尾根のようなイメージ、かな…?)

富士浅間の土盛り(図面では白山社)
櫓台…かな?

富士浅間前から、東の主郭部方向。

同じく富士浅間前から、目を少し南へ移した眺め。
写真左手前が主郭部で、奥が「古城」地区の丘陵。その間を谷戸が手前方向に食い込んできている様子が分かります。

富士浅間

富士浅間の土盛り上から見下ろす…堀切っぽい?

近くには小さいながらも竪堀っぽい痕跡も・・・。

道があったので、尾根上を南へ進んでみます。
写真は先ほどの、横浜線のトンネル真上付近にあたります。

線路を越えた先にも削平された小さな平坦地や、僅かながら土塁のような痕跡も見受けられました。

これなんか堀跡に見えませんか…?

…うん、やっぱり堀跡に見える(笑)

「古城」尾根の東端に位置する金剛寺。
小机は まず手習いの初めにて、いろはにほへと ちりぢりとなる
(1478年、長尾景春の乱に呼応した豊嶋氏の籠る小机城を攻める際、太田道灌が詠んだとされる歌)
小机城…横浜線の線路を挟んだ南側は宅地造成による改変が激しく、今となっては往時を偲ぶよすがも殆どありませんが、主郭部周辺だけでも見応えたっぷりでした。
とてもいい2016年の城初めになりました☆
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