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2016年2月

2016年2月13日 (土)

高幡不動尊(楊州周延浮世絵展)と「ちばい」

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本日は好天に誘われ、高幡不動尊へ。

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言わずと知れた、土方歳三の菩提寺でもあります。

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不動堂での参拝を終え、まずは総本堂の大日堂へ。

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大日堂では現在、楊州周延浮世絵展が会期を延長して催されています。

楊州周延は元の名を橋本直義といい、越後高田藩出身。
藩士で結成された神木隊や上野彰義隊に加わり、後に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍へ。
新政府軍の甲鉄艦奪取を目論んだ宮古湾海戦では、アボルタージュを決行した回天に乗り込み、この戦いで負傷します。
その後、赦免後は絵師として画業に専念し、多くの浮世絵を残しました。
今回の展示は「徳川時代之貴婦人」や「千代田の大奥」シリーズなどの美人画が中心で、戦争画が1枚もなかったのは少し残念。

会場が大日堂でしたので「鳴り龍」や土方歳三の御位牌、少し新しいものにはなるけど近藤勇・井上源三郎・沖田総司の御位牌にも参拝いたしました。

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境内には可愛らしい梅も。

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折角なので境内の裏山に登り、山内八十八ヶ所巡りのお遍路も(笑)
ほら私、今年が本厄だから…(^_^;)

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ちなみに高幡不動尊の裏山は城跡でもあります。

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高幡城主郭

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主郭虎口?
まぁ、遺構は殆ど失われていますが・・・。

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主郭から見晴らす石田村、土方歳三の故郷。

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八十八ヶ所巡りも無事にコンプリート。
八十八ヶ所めは山の麓、大師堂の前にあります。

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最後に奥殿へ。
こちらの寺宝展は、幕末ファンには垂涎ものです!
一つ一つ紹介し切れないので、是非一度訪れてみてください。
関東三大不動の一つ、丈六不動三尊像も間近に拝めます。

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厄払い?禊ぎ??の参拝(笑)を終えた後は、日野駅近くのお蕎麦屋さん「ちばい」へ。

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お庭の梅が綺麗に咲いていました。
真っ赤な花を咲かせることから、「ちばい」と呼ばれています。元々は八王子千人同心・石坂弥次右衛門邸に植えられていました。
文久元年、同じ千人同心・井上松五郎(源三郎の兄)の案内で石坂邸を訪れた近藤勇も、そこで目にしたちばいを大層気に入って愛でたと云います。
石坂弥次右衛門といえば、日光勤番で迎えた戊辰戦争、その後の悲劇の結末でも知られます・・・。
(詳しくはコチラ

ちばいは後に日野の郷土史家・谷春雄氏(故人)へ接木が贈られ、現在に至ります。

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まさに、多摩の多くの人々の歴史と想いが詰まった花・・・

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そんな花を愛でながら、平成の世にいただくお蕎麦の味もまた、格別でした♪
2016年もどうか、良い年でありますように☆

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2016年2月11日 (木)

佐貫城、中尾城

佐貫城
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佐貫城図
佐貫城は富津市佐貫にある城跡で、戦国期には里見氏の拠点になったりもしました。
江戸期以降も佐貫藩の居城として機能し、明治維新により廃城を迎えます。

図面に「現在地」とある大手から本丸方向へと進みます。

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大手櫓門跡
石垣も綺麗に残ります。

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三の丸

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三の丸東側の土塁(尾根)を断ち切る堀切
二の丸方向への虎口として利用していたのかな?

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二の丸は・・・ド薮(笑)

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二の丸から本丸へと架かる土橋
両サイドの横堀もいい感じです。

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本丸

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本丸西側の物見台

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その物見台からの眺め

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こちらは本丸北側の物見台
この物見台、一枚岩の岩盤で出来ているというので・・・

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早速堀底に下りて回り込んでみます・・・イノシシ捕獲用の罠が(^_^;)

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物見台(北)下の堀切

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物見台を見上げる・・・確かに見事な岩盤質

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付近にはこんな空洞もありました。
なんでも横穴墓ではないか、とのこと。


中尾城
さて、この日最後の訪城は木更津JCT近くの中尾城(木更津市中尾)です。

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主郭南の堀切
道路になっているので分かりづらいですが・・・

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こうして見上げると、その高さを実感できます。
あの上は主郭。

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堀切南側の曲輪に残る横堀・・・竹藪が(^_^;)

中尾城は南北に細長く曲輪を連ねたお城。ここから北へ向かって進みます。

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主郭

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主郭の土塁

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主郭すぐ北の曲輪
こばたかさんが立つ先には・・・

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堀切がありました。

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その堀切

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更に北へ進むと、虎口のある曲輪も。

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北へ曲輪をいくつか抜け、堀切を越えた先にある細長い曲輪。
左には土塁も曲輪に沿って残っていました。

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日没迫る中、駆け足での訪城になりましたが、なかなか複雑な構造をした印象を受けました。

さて、これにて今回の富津市周辺のお城をめぐるオフ会も終了です。
帰りは東京駅で解散し、私は自宅まで送って貰っちゃいました♪
運転&コース設定してくれたこばたかさん、参加された皆さん、ありがとうございました☆

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富津元洲砲台

さて、峰上城の後は佐貫城へ向かったのですが、記事の都合上、ここでは先に富津元洲砲台をご紹介させていただきます。

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富津岬周辺図
右端の「中の島展望塔」がある位置が砲台になりますが、まずは岬の先端へ。

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富津岬の先端に建つ明治百年記念展望塔
頑張って階段を上れば、海上に浮かぶ2つの海堡がよく見えるとのことでしたが・・・残念ながら補修工事中で立入禁止(>_<)

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しかし、浜辺からも海堡はちゃんと見れました。
右手前が第一海堡で、左奥の平べったいのが第二海堡
これらは明治期に東京湾防衛のために築かれた海上台場で、人工の島です。本当は第三海堡もあったらしいのですが、竣工から僅か2年後、関東大震災により殆どが水没してしまい、その後完全に撤去されたようです。

それでは富津元洲砲台へ移動。

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おおっ・・・?!
土塁の高さとか、想像していた以上の規模です。

この地には幕末期にも台場が置かれ、白河藩や忍藩、会津藩などが配されていたこともありましたが、現在に残る砲台遺構は明治14年、時の明治政府によって築かれたものです。

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早速砲台の中へ!

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ズラリと並ぶ砲座が迫力あります。

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これは・・・砲座のある土塁上へ登ってくる方を向いていたので、立哨台的なものかと。

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砲台を囲む水堀

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砲座

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明治維新から僅かに13年・・・造海城の記事で紹介した竹ヶ岡砲台のものと比べても、兵器が飛躍的に発達したことが分かります。

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砲台からも2つの海堡が見えていました。(明治百年記念展望塔もw)
砲台と結ぶこのラインで、東京湾を防衛しようとしたのですね。

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中には不思議な施設も。
奥の階段はコンクリの板で塞がれちゃっていますね。少し下りてみると・・・

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入口があり、中に入れます。

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弾薬庫にしては狭いし、何の施設だったのかな?

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更に、土塁の中ほどには煙突らしきものが突き出ていました。
これだけでは何なのか分かりませんでしたが、土塁の下に降りてみると・・・

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こうなっていました。
土(手前の斜面)で完全に塞がれていますが、土塁下段にも何かしらの施設があったのでしょう。
それこそ弾薬庫かも。

富津元洲砲台、期待以上の規模でした。

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峰上城

造海城の後は、富津市上後の峰上城へ。
峰上城は真里谷武田氏の拠点の一つだったようです。←房総半島の歴史は無知に等しいw
南北に細長い城跡で、北側から車でアプローチします。

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北側の尾根には堀切が3本連続します。
車を停めたこちらは、その3本目…かなりの深さです。

細い道に沿って南へ進み、今は住居や畑になっている2~3の曲輪跡を抜けると、すぐに主郭へ辿り着きます。

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主郭
周囲を囲む土塁の上から撮影しています。

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その土塁
写真左手は見事な絶壁…(;・∀・)

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土塁の際(曲輪内)には井戸のような痕跡もありました。

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主郭南の物見台?(小さな社あり)の手前にあった石碑

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よ~く読むと、
里見刑部少輔義實が一族を率いて戦った…云々
といったことが書かれているようでした。

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物見台の南へ連なる尾根には、峰上城最大の見所である七ツ堀があります。
文字通り堀切が7本連続しているのですが、早速その1本目が見えてきました。
・・・が、物見台からこの1本目の堀底へ降りるのが、本当に大変だった…(;´・ω・)

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七ツ堀1本目
先に訪れた造海城同様、こちらも岩盤質な城山のようです。

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更に南へ目を向けると、既に2本目が見えています。

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2本目…凄い。

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そして・・・やはり3本目も見えている。

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3本目…もはや何も言うまい。

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4本目

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5本目
手を広げて「5」を表現しているつもりらしいけど・・・見えないって(^_^;)

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6本目

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ラスト…7本目
まぁ見事な岩盤堀切の連続!圧倒されます。

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南の先端まで来ましたので、今度は尾根西側下を北上していきます。
主郭などの曲輪が並ぶ尾根を見上げる。。。

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これは・・・浅くなっているけど堀切かな?竪堀というほどの傾斜はありません。

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枡形虎口的な遺構・・・

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しばらく進むと頭上に岩盤の切通が見えてきました。

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ちなみに足元にはやはり貯水槽的な・・・。
造海城の切通でも見受けられましたが、何か法則でもあるのですかね?切通と溜池。

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そしてこの切通、2mほどの垂直な岩壁が立ち塞がり、しかも全面苔生して滑るの何のって・・・
全員上るのに一苦労・・・私は成功した瞬間、足が痙攣しました…(-_-;)

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切通の堀底へ上った(表現がおかしいけどw)先は、切通が左へクランクしていました。

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クランクした先から振り返る。写真左手の切岸上を上っていくと・・・

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尾崎曲輪と呼ばれる曲輪跡に出ます。

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尾崎曲輪も断崖絶壁上に・・・(;^ω^)

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尾崎曲輪上の溜池跡

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殿井戸
今でも水が湧いているようです。

何といっても七ツ堀のインパクトが素晴らしかった峰上城。
但し、かなり難易度の高い城攻めになりますので、単独での訪問はお薦めできません…くれぐれも無理のないように。

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造海城 (竹ヶ岡砲台)

2月7日(日)は内房の富津市周辺のお城をめぐるオフ会。
朝8時に川崎駅で集合し、東京湾アクアライン経由で房総半島へ。まず最初に向かったのは、富津市竹岡の造海城です。
造海は「つくろうみ」と読み、戦国期に真里谷武田氏×里見氏間での紆余曲折を経て里見氏の水軍拠点となった城。
※ご紹介できる図面もないので、各遺構の位置関係が分かりづらくなっていますが、何卒ご了承ください。

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城山(字名も城山)南側から、ご覧のような見事な岩盤切通しトンネルを抜けた先にある・・・

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灯篭坂大師からアプローチします。
ちなみに灯篭坂大師の縁起ですが、弘法大師空海がこの地を通った際、岩盤に自らの自画像を彫りました。里人はこの大師像に常夜灯を灯して海上安全・大漁を祈願し、やがて海で漁をする舟は大師像の灯明を灯台とするようになり、誰からともなく「灯篭坂大師」と呼ぶようになったと伝わっているそうです。
・・・それにしても、このトンネルは凄かったなぁ~

城山麓から灯篭坂大師の参道を経由し、尾根上までは5~10分程度で辿り着けます。
そこから主だった城域のある北側へ向かい、尾根道をしばらく進みます。

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城域に到達したら左へ折れて細い尾根筋を渡り、まずは南西側の曲輪群を見にいきます。
それにしてもこの細尾根、すぐ脇は切り立った絶壁・・・目の前を行く高所恐怖症がよく渡ったものだ…(;^ω^)

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岩盤を切り出して築かれた切岸や土塁?のある曲輪に出ました。

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更に進むとかなり大きな曲輪跡に出て、そこでは虎口も見受けられました。

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先ほどの虎口のある広い曲輪の一段下の曲輪には、尾根を掘り切った巨大な虎口も・・・。
そして、この曲輪の下には・・・

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もう一つ広い曲輪跡が広がります。
ここには砲台が築かれていたとか・・・。

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下りてみると、曲輪を囲む土塁を等間隔で切り落とした砲座がありました。この隙間に大砲を、海に向けて据えていたものと思われます。
砲座の間隔が狭く、近代のあまり大きな砲を据えることはできそうにないことや、東京湾に向けられている立地などから、恐らく幕末頃のものだろうとアタリはつけていましたが・・・

どうやらこれは、幕末期に築かれた竹ヶ岡砲台と呼ばれるもののようです。
ペリー来航以来、幕府は東京湾の海防強化を急ぎ、諸大名を動員して各地に砲台を築きます。
この時期に築かれたものとしては品川台場が有名ですが、三浦半島の東海岸や房総半島にも多くの台場が築かれました。
富津~竹岡辺り一帯の内房は、会津藩が担当していた時期もあったようです。

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竹ヶ岡砲台古絵図①
此地古城跡也」とあるのがまさしく造海城のことですね。会津藩が担当していたことも明記されています。
この絵図では麓の、石垣で築かれた砲台だけしか見えませんが・・・

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竹ヶ岡砲台古絵図②
こちらには我々が立つ、城山中腹に築かれた砲台もしっかりと描かれています。
更にこの絵図では、麓の向かって左側にも砲台が築かれていた様子が分かります。その奥に鳥居が見えていますが、これはおそらく城山北側の十二天神社でしょう。
(十二天神社の砲台については、記事最後に追記あり)
それぞれの砲台に凹凸に描かれているものこそ、先ほどご紹介した砲座です。

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このように古絵図と見比べると、こうした砲座が何故築かれたのか、よりイメージしやすくなりますね。

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思わぬところで幕末の、それも会津藩に関係した遺構と出会えて興奮しました。

さて城跡探索を続けます。
砲台跡のある曲輪が城域のほぼ南西端にあたりますので、ここから北東方向へ進んで行きます。

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井戸跡(ロープで囲われた部分)

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やはり岩盤を切り崩し、長方形に築かれた不思議な空間・・・枡形虎口のようにも見えました。

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何だか凄いものが見えてきました…Σ(・ω・ノ)ノ!

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見事なまでに垂直に切り通された岩盤・・・!

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その足元には石積みも。

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最初は造海城の堀切かとも思ったのですが、それにしては幅が狭すぎるし・・・

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切通の側面にはホゾ穴らしき痕跡もありましたが・・・

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底部には石段も付けられており、やはりこれは通路のための切通ではないかと・・・。
それもお城の、というよりは寺社などの雰囲気が漂っているような・・・思い返せば灯篭坂大師の切通トンネルとも、同じニオイを感じます。

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これまた岩盤を切り出した横堀・・・これは見事!

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反対側から・・・何から何まで岩盤だらけで、もはや「土の城」という印象はありません。

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こちらは「水堀」と紹介されることもあるようですが・・・むしろ溜池的なものでしょう。

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またまた凄い切通に出くわしました。

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こちらの切通の脇にも、溜池のような痕跡がありました。

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切通は勿論、人が通るためのものですが、人の流れと共に上から水も流して落としていたのかなぁ・・・?
そして雰囲気からして、やはり寺社関係の痕跡に思えて仕方ない。

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この階段なんか、いかにも神社やお寺にありそうですよね?
やはり城跡の北東側は後世、なんらかの宗教施設が入って改変されているのではないかと。

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こんな不思議なものもありました。
misaさんが覗き込んでいる位置には・・・

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丸い穴が開いていて、下の空洞と繋がっています。
釜戸の煙抜きにも見えますが、或いは狼煙を上げるためのものかもしれません。

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またまた謎の四角い空間が・・・

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しかも面白い石の積み方をしています。

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こちらは岩盤を人為的に削り込んでいますし、竪堀で間違いないでしょう。

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竪堀の天辺部は石積みで補強されていました。

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最後に引き返しがてら、張ってあった虎ロープを伝って崖をよじ登り、主郭と思しき曲輪へ上がるも・・・ド藪(笑)
この藪を突き抜けて、車を停めた灯篭坂大師方面へ引き上げましたとさww

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主郭からの東京湾

造海城…北東側は後世の改変もありそうで、個人的にはお城のイメージを掴みづらかったのですが、切通自体も見物でしたし、何と言っても竹ヶ岡砲台が素晴らしかった!

次は峰上城へ向かいます。


※2016年5月29日追記
2016年5月28日、造海城を再訪する機会に恵まれましたので、城山北麓の台場を確認してきました。

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十二天神社
前出の古絵図②にも、城山の左下に鳥居が小さく描かれている部分です。

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その鳥居の先、海の方向に目を向けると・・・もう見えていますね。

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こちらにもしっかり砲座の凸凹が残っていました。

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草で覆われていますが、形状はハッキリ確認できます。

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海側から見た砲台跡
いいものを見れました♪

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東禅寺、泉岳寺、高輪大木戸跡、etc...

2月6日(土)、田町で開催された懇親会に合わせ、ちょっと高輪周辺の東海道を散策してきました。

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スタートは品川駅から。
東海道を田町駅方向へ向かって北上します。

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まずは東禅寺へ。
慶長14年(1609)の創建で、開基は飫肥藩主・伊東祐慶。仙台藩伊達家や岡山藩池田家の菩提寺にもなったそうです。

そして山門前の碑にある通り、幕末にはイギリス公使館が置かれました。
文久元年(1861)5月28日夜、東禅寺のイギリス公使館は攘夷を掲げる水戸脱藩浪士ら14名の襲撃を受けます(第1次東禅寺事件)。この事件で公使館員2名が負傷した他、幕府が手配した警備兵にも犠牲が出ましたが、公使オールコックは辛うじて難を逃れました。

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1861年10月12日付、The Illustrated London News紙が伝える第1次東禅寺事件

更に文久2年5月29日には、警備にあたっていた松本藩士・伊藤軍兵衛が代理公使ニール(オールコックは帰国中)の殺害を企て、ニールの寝室を警備していたイギリス兵2名と戦闘になり、この2名を殺害した後、自らも自刃するという事件も起こります(第2次東禅寺事件)。

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そんな歴史の舞台となった境内を、少し散策させていただきます。

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三重塔と本堂

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大玄関

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大玄関もなかなかの年代を感じさせますが、本堂を含めた殆どの建物は昭和に入ってからの再建で、イギリス公使館が置かれていた頃の名残は、僅かに境内裏手にある僊源亭と庭園を残すのみだそうですが、残念ながらこれらは非公開です。

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庫裏の脇には、とても古そうな土蔵が・・・。
あの土蔵なら、或いは事件を目撃していないかなぁ~などと考えながら、境内をあとにしました。

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東海道に戻ってしばらく進むと・・・

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高輪海岸に用いられていた石垣石が展示されていました。
今でこそ埋め立てによって海岸線は街道から随分離れてしまいましたが・・・

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ご覧の通り、江戸期には東海道のすぐ脇まで海が迫っていました
ちなみに一番手前に描かれているのは高輪大木戸の石垣です。
※後ほど出てきますので、この絵を覚えておいてください。

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さて、次の立ち寄りポイントは泉岳寺
元禄赤穂事件でもあまりに有名ですね。

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大石内蔵助像

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浅野内匠頭が切腹した田村邸の庭にあったと云う石

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吉良邸討ち入り後、吉良上野介の首を内匠頭の墓前に供える前に洗ったと云う首洗井戸

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『仮名手本忠臣蔵』に登場する天河屋義平のモデルになった…天野屋利兵衛の碑

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浅野内匠頭墓

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内匠頭正室、瑤泉院墓

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討ち入りに参加した四十七士に、萱野三平を加えた四十八基の墓碑が並びます。
右奥に大石内蔵助墓碑

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こちらの一番奥には大石主税、その手前に堀部安兵衛

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四十七士のうち、寺坂吉右衛門(左)は討ち入り後に姿を消して(一説には大石らの指示とも)切腹していないため、唯一戒名に「刃」「釼」の一字がありません。
遂道退身信士
如何にも逃亡したかのような戒名になってはいますが・・・?

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また、泉岳寺の山門脇には殉難戦死之碑があります。
こちらは明治10年の西南戦争に、豊後口警視徴募隊として参戦・戦病死した18名を顕彰したものだそうです。
豊後口警視徴募隊といえば、斎藤一こと藤田五郎が半隊長として参加した隊でもあります。

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泉岳寺を出て再び東海道を進むとすぐに、先ほどの「東海道高輪風景」画にも描かれていた高輪大木戸跡の石垣が見えてきます。

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高輪大木戸は江戸の南の玄関口として東海道に築かれ、通行規制や治安維持の機能を果たしました。

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札の辻
高輪大木戸跡の700mほど北になります。
その名の通り高札場がありましたが、高輪大木戸築造と共に高札場も大木戸へ移されました。
※前出「東海道高輪風景」画の高輪大木戸右脇に描かれています

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最後に東京タワー(笑)
さて、ぼちぼち田町駅に到着しますので、今回の散策はこの辺で。

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2016年2月 4日 (木)

満13歳の誕生日♪

2月2日、今年も無事にこの日を迎えることができました。
・・・そう、我が家の愛犬ボンの誕生日☆満13歳になりました♪

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何やら真剣な眼差しでジーッと見つめる先には・・・

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毎年恒例、大好物のサツマイモで作った特製ケーキ

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で・・・あっという間に食い散らかす(笑)

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3年前に痛めた足の靭帯は相変わらずだけど、医者が「なんで悪化しないんだろ?」と驚くほど自分で上手いことバランスを取って現状維持しています…(^_^;)

今更大きな手術や長期入院なんてさせられないし、これからものんびり見守っていきます♪

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