2月7日(日)は内房の富津市周辺のお城をめぐるオフ会。
朝8時に川崎駅で集合し、東京湾アクアライン経由で房総半島へ。まず最初に向かったのは、富津市竹岡の
造海城です。
造海は「つくろうみ」と読み、戦国期に真里谷武田氏×里見氏間での紆余曲折を経て里見氏の水軍拠点となった城。
※ご紹介できる図面もないので、各遺構の位置関係が分かりづらくなっていますが、何卒ご了承ください。
城山(字名も城山)南側から、ご覧のような見事な岩盤切通しトンネルを抜けた先にある・・・
灯篭坂大師からアプローチします。
ちなみに灯篭坂大師の縁起ですが、弘法大師
空海がこの地を通った際、岩盤に自らの自画像を彫りました。里人はこの大師像に常夜灯を灯して海上安全・大漁を祈願し、やがて海で漁をする舟は大師像の灯明を灯台とするようになり、誰からともなく「灯篭坂大師」と呼ぶようになったと伝わっているそうです。
・・・それにしても、このトンネルは凄かったなぁ~
城山麓から灯篭坂大師の参道を経由し、尾根上までは5~10分程度で辿り着けます。
そこから主だった城域のある北側へ向かい、尾根道をしばらく進みます。
城域に到達したら左へ折れて細い尾根筋を渡り、まずは南西側の曲輪群を見にいきます。
それにしてもこの細尾根、すぐ脇は切り立った絶壁・・・目の前を行く
高所恐怖症がよく渡ったものだ…(;^ω^)
岩盤を切り出して築かれた切岸や土塁?のある曲輪に出ました。
更に進むとかなり大きな曲輪跡に出て、そこでは虎口も見受けられました。
先ほどの虎口のある広い曲輪の一段下の曲輪には、尾根を掘り切った巨大な虎口も・・・。
そして、この曲輪の下には・・・
もう一つ広い曲輪跡が広がります。
ここには
砲台が築かれていたとか・・・。
下りてみると、曲輪を囲む
土塁を等間隔で切り落とした砲座がありました。この隙間に大砲を、海に向けて据えていたものと思われます。
砲座の間隔が狭く、近代のあまり大きな砲を据えることはできそうにないことや、東京湾に向けられている立地などから、恐らく幕末頃のものだろうとアタリはつけていましたが・・・
どうやらこれは、幕末期に築かれた
竹ヶ岡砲台と呼ばれるもののようです。
ペリー来航以来、幕府は東京湾の海防強化を急ぎ、諸大名を動員して各地に砲台を築きます。
この時期に築かれたものとしては
品川台場が有名ですが、三浦半島の東海岸や房総半島にも多くの台場が築かれました。
富津~竹岡辺り一帯の内房は、
会津藩が担当していた時期もあったようです。
竹ヶ岡砲台古絵図①
「
此地古城跡也」とあるのがまさしく
造海城のことですね。会津藩が担当していたことも明記されています。
この絵図では麓の、石垣で築かれた砲台だけしか見えませんが・・・
竹ヶ岡砲台古絵図②
こちらには我々が立つ、
城山中腹に築かれた砲台もしっかりと描かれています。
更にこの絵図では、麓の向かって左側にも砲台が築かれていた様子が分かります。その奥に鳥居が見えていますが、これはおそらく城山北側の
十二天神社でしょう。
(十二天神社の砲台については、記事最後に追記あり)
それぞれの砲台に
凹凸に描かれているものこそ、先ほどご紹介した
砲座です。
このように古絵図と見比べると、こうした砲座が何故築かれたのか、よりイメージしやすくなりますね。
思わぬところで幕末の、それも会津藩に関係した遺構と出会えて興奮しました。
さて城跡探索を続けます。
砲台跡のある曲輪が城域のほぼ南西端にあたりますので、ここから北東方向へ進んで行きます。
井戸跡(ロープで囲われた部分)
やはり岩盤を切り崩し、長方形に築かれた不思議な空間・・・枡形虎口のようにも見えました。
何だか凄いものが見えてきました…Σ(・ω・ノ)ノ!
見事なまでに垂直に切り通された岩盤・・・!
その足元には石積みも。
最初は造海城の堀切かとも思ったのですが、それにしては幅が狭すぎるし・・・
切通の側面にはホゾ穴らしき痕跡もありましたが・・・
底部には石段も付けられており、やはりこれは通路のための切通ではないかと・・・。
それもお城の、というよりは寺社などの雰囲気が漂っているような・・・思い返せば灯篭坂大師の切通トンネルとも、
同じニオイを感じます。
これまた岩盤を切り出した
横堀・・・これは見事!
反対側から・・・何から何まで岩盤だらけで、もはや「土の城」という印象はありません。
こちらは「水堀」と紹介されることもあるようですが・・・むしろ
溜池的なものでしょう。
またまた凄い切通に出くわしました。
こちらの切通の脇にも、溜池のような痕跡がありました。
切通は勿論、人が通るためのものですが、人の流れと共に上から水も流して落としていたのかなぁ・・・?
そして雰囲気からして、やはり寺社関係の痕跡に思えて仕方ない。
この階段なんか、いかにも神社やお寺にありそうですよね?
やはり城跡の北東側は後世、なんらかの宗教施設が入って改変されているのではないかと。
こんな不思議なものもありました。
misaさんが覗き込んでいる位置には・・・
丸い穴が開いていて、下の空洞と繋がっています。
釜戸の煙抜きにも見えますが、或いは狼煙を上げるためのものかもしれません。
またまた謎の四角い空間が・・・
しかも面白い石の積み方をしています。
こちらは岩盤を人為的に削り込んでいますし、竪堀で間違いないでしょう。
竪堀の天辺部は石積みで補強されていました。
最後に引き返しがてら、張ってあった虎ロープを伝って崖をよじ登り、主郭と思しき曲輪へ上がるも・・・ド藪(笑)
この藪を突き抜けて、車を停めた灯篭坂大師方面へ引き上げましたとさww
主郭からの東京湾
造海城…北東側は後世の改変もありそうで、個人的にはお城のイメージを掴みづらかったのですが、切通自体も見物でしたし、何と言っても
竹ヶ岡砲台が素晴らしかった!
次は峰上城へ向かいます。
※2016年5月29日追記2016年5月28日、造海城を再訪する機会に恵まれましたので、城山北麓の台場を確認してきました。
十二天神社
前出の古絵図②にも、城山の左下に
鳥居が小さく描かれている部分です。
その鳥居の先、海の方向に目を向けると・・・もう見えていますね。
こちらにもしっかり
砲座の凸凹が残っていました。
草で覆われていますが、形状はハッキリ確認できます。
海側から見た砲台跡
いいものを見れました♪