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2016年2月11日 (木)

富津元洲砲台

さて、峰上城の後は佐貫城へ向かったのですが、記事の都合上、ここでは先に富津元洲砲台をご紹介させていただきます。

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富津岬周辺図
右端の「中の島展望塔」がある位置が砲台になりますが、まずは岬の先端へ。

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富津岬の先端に建つ明治百年記念展望塔
頑張って階段を上れば、海上に浮かぶ2つの海堡がよく見えるとのことでしたが・・・残念ながら補修工事中で立入禁止(>_<)

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しかし、浜辺からも海堡はちゃんと見れました。
右手前が第一海堡で、左奥の平べったいのが第二海堡
これらは明治期に東京湾防衛のために築かれた海上台場で、人工の島です。本当は第三海堡もあったらしいのですが、竣工から僅か2年後、関東大震災により殆どが水没してしまい、その後完全に撤去されたようです。

それでは富津元洲砲台へ移動。

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おおっ・・・?!
土塁の高さとか、想像していた以上の規模です。

この地には幕末期にも台場が置かれ、白河藩や忍藩、会津藩などが配されていたこともありましたが、現在に残る砲台遺構は明治14年、時の明治政府によって築かれたものです。

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早速砲台の中へ!

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ズラリと並ぶ砲座が迫力あります。

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これは・・・砲座のある土塁上へ登ってくる方を向いていたので、立哨台的なものかと。

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砲台を囲む水堀

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砲座

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明治維新から僅かに13年・・・造海城の記事で紹介した竹ヶ岡砲台のものと比べても、兵器が飛躍的に発達したことが分かります。

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砲台からも2つの海堡が見えていました。(明治百年記念展望塔もw)
砲台と結ぶこのラインで、東京湾を防衛しようとしたのですね。

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中には不思議な施設も。
奥の階段はコンクリの板で塞がれちゃっていますね。少し下りてみると・・・

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入口があり、中に入れます。

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弾薬庫にしては狭いし、何の施設だったのかな?

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更に、土塁の中ほどには煙突らしきものが突き出ていました。
これだけでは何なのか分かりませんでしたが、土塁の下に降りてみると・・・

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こうなっていました。
土(手前の斜面)で完全に塞がれていますが、土塁下段にも何かしらの施設があったのでしょう。
それこそ弾薬庫かも。

富津元洲砲台、期待以上の規模でした。

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