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2016年4月10日 (日)

松姫坐像と案下道(心源院~切通し)

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八王子城跡の北麓、下恩方の心源院に到着。
以前コチラの記事でもご紹介しましたが、心源院は八王子へ逃れてきた武田信玄の息女・松姫が帰依し、仏門に入って信松尼と号したお寺です。
本年(2016)は、松姫が元和2年(1616)4月16日に没してから400年の節目の年に当たります。これに伴い4月10日~命日である4月16日まで、彼女が眠る信松院の主催で「松姫さま四百年祭」が行われています。

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その一環として4月10日より1週間、江戸時代に作られた木造の松姫坐像が初めて信松院を出て心源院へ遷座し、特別に公開されているのです。

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松姫坐像
※撮影許可をいただいております。

松姫の坐像は4月16日に心源院を出発し、大久保長安の陣屋跡である産千代稲荷神社にも立ち寄り、輿に乗って行列を組みながら信松院へ戻っていくのだそうです。
残念ながら私は、本祭の4月16日は別件の予定があって観ること叶いませんが、折角の機会ですので、ご興味お持ちの方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。

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心源院総門(四脚門)
室町期の創建とも伝わり、松姫も実際に潜っていたのかもしれません。
4月9日に初めて信松院を出た松姫坐像も、輿に乗ってこちらの総門を潜り、心源院に入っています。

さて、先日には松姫も歩いたであろう、心源院から信松院へと向かう案下道の古道を辿りましたので、これを機に少しご紹介します。
(松姫一行が甲武境の峠を越えて最初に落ち着いた金照庵~心源院までは、やはりコチラを参照願います)
現在は陣馬街道と呼ばれる都道521号線が通っていますが、それと並行、或いは交錯しながら部分的に松姫が生きた時代の古道が残っているのです。

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心源院門前を横切るのは「おだわら道」
すぐ近くには八王子城や小田野城、浄福寺城などがあり、北条の軍道として使われていたようです。


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心源院門前から正面方向へ真っ直ぐ、都道61号線も越えて北東へ進んだ地点。
ご覧の通り右→左とクランクした先に・・・

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案下道(手前)と鎌倉古道(右)の合流点があります。

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 鎌倉古道
 裏甲州路
(案下道)
江戸期には、案下道が甲州道中の裏街道だったことが偲ばれます。

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折角なので少し鎌倉古道へ入ってみます。

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なかなか趣のある道・・・。

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道端には馬頭観音や庚申塔などが並んでいました。

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鎌倉古道から北の方角を振り返ると、浄福寺城の山容が見渡せます。

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そして鎌倉古道はすぐに小田野城跡に行き当たりました。
小田野城は鎌倉古道を城内に取り込んだお城だったようです。

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さて、再び合流点まで引き返し、鎌倉古道と合流した案下道を進みます
この左手の敷地はとある資料に「武田家臣邸」と紹介されていました。

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付近にはやはり、板碑やら歌碑などが建っています。
そして・・・

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想像以上に立派なお屋敷だった「武田家臣邸」
邸内には市指定天然記念物のキンモクセイ(推定樹齢290年ほど)があり、江戸時代後期の仏教彫刻家・木食白道上人が逗留したこともあるようです。

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しかし、北条領だった八王子に武田家臣とは不思議な感じもしますが・・・武田旧臣を主に編成された八王子千人同心に関係があるのでしょうか。
すぐ近くの陣馬街道沿いには、やはり実家が八王子千人同心だった新選組隊士・中島登の生家跡もありますし・・・。

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陣馬街道沿いに建つ新撰組隊士中島登出生之地

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さて、武田家臣邸の辺りで古道の痕跡は一旦途絶えますので、陣馬街道に出て東へ250mほど進み、予め地図で目星をつけていた角を右折してみると・・・

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お地蔵さんが・・・当たりだったようです(^-^)
(AOSYNのある角です)

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坂道を登り、ちょっとした峠のような場所に出ると・・・

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大きな榎の古木がそびえ立ち、その足元には庚申塔などが並んでいました。

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旧案下路

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中村雨紅 夕焼小やけ 作詞のみち
雨紅は案下道をここよりずっと西へ行った先にある、宮尾神社の宮司の家に生まれています。

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庚申塔
こちらのように青面金剛像が彫られている庚申塔は、江戸中期以前に多く見られるのだそうです。
足元には三猿も。

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榎の古木もなかなか立派なものでした。樹齢はいかばかりか。

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小さな峠を越え、案下道はここから少し下りに差し掛かります。

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おや、脇の小路にはお地蔵さんたちが・・・こちらのルートも気になりますが、今回はスルーで。

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八王子城から細長く伸びる尾根の脇を進みます。

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周囲はとっても長閑な光景です。

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またまたお地蔵さんに遭遇しました。

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しばらく行くと、菅原社の鳥居が目に入ってきます。

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菅原社の建つ丘陵を見上げると、凄い切岸になっていました。

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気になるのでお参りしてみることに・・・

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菅原社
街道を見張るには絶好の立地にも思え、いざ有事の際には砦になった・・・かも?

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引き続き案下道へ
両サイドのお宅の建つ地表面の高さからして、この辺りも往時は堀底道になっていたことでしょう。

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やがて案下道は、未舗装の遊歩道に差し掛かりました。

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脇には小さな祠も

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左下には現在の陣馬街道が見えます。
案下古道が往時は、現在の街道よりも少し高い位置を通っていたことが分かります。

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お・・・いよいよかな?

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北浅川に向かって突き出た尾根を分断し、案下道を通した切通し

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こうして見ると、尾根が先端付近で分断(写真左)されていることがお分かり頂けるかと思います。
現在の陣馬街道は尾根先端を迂回しています(同右)が、これは自動車道のための開削によるものです。

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目の前にあるバス停も「切通し」

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尾根先端部分には日枝神社が建っています。

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日枝神社

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日枝神社から見下ろす切通し・・・藪で分かりづらいですが、まるで大きな堀切のようです。
実際、八王子城から北浅川へ向かって細長く伸びる尾根の先端、案下道を押さえる立地から、北浅川を八王子城の惣濠に見立てて、この辺りに城下町を守る出城があった、とする説を唱える研究者の方もいらっしゃるようです。
実のところ遺構は曖昧で真偽は定かではありませんが、この付近では北条氏照と対立した三田氏の青梅方面へ伸びる中世古道が交錯していたことも確認されており、交通の面に於いても要地であったことは確かなようです。

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北浅川の流れから案下峠方面を望む。
いずれ近いうちに、上案下から案下峠を越えてみたいと思います。

切通しを過ぎた案下道はこの先、信松院(御所水の里)のある八王子方面へと続き、「追分町」交差点で甲州道中と合流します。

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信松院

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門前には旅姿の松姫像も

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武田信玄公息女松姫君御手植ノ松
松姫は心源院から持ってきた松の鉢を、自らこの地に植えたのだそうです。
残念ながらその松は、昭和20年の八王子空襲で枯れてしまっています。

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松姫(信松尼)墓所
武田旧臣の代官・大久保長安や、八王子千人同心らとも交流を重ねながら過ごしたであろう八王子での生活は、きっと心穏やかなものだったのだろうと思っています。

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