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2016年5月 7日 (土)

織田信長寄進「黄金の雨樋」(石清水八幡宮)

5月4~6日の2泊3日で、京都・滋賀への一人旅に出ました。
初日は新幹線を京都で下車して近鉄や京阪を乗り継ぎ、まずは・・・

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石清水八幡宮

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一ノ鳥居の脇をかすめるように通るこちらは、東高野街道。

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本当はちゃんと参道を伝って男山を登るべきところだけど・・・

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気が急いている私は、こちらでスパッと(笑)

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石清水八幡宮
都の裏鬼門を守護する王城鎮護の地で、武運長久の神として全国の武士の尊崇を集めてきました。

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そして今回、私が石清水八幡宮を旅の最初の目的に選んだ理由はこちら。
春季京都非公開文化財特別公開(H28年4月29日~5月8日)の一環で、御本殿に上がって織田信長寄進の黄金の雨樋を拝観することができるのです!

去る年十二月十六日、斧初。然うして、内陳・下陳の間に木戸井これあり。朽腐し、雨漏り、癈壊に及ぶの間、今度は、末代の為に候の間、からかねにて鋳物にさせられ、長さ六間にて候を五つに鋳物に仰せ付けられ、
(信長公記 巻十三「八幡御造営の事」より)

からかね
(唐金)とは青銅のことで、黄金の雨樋はそれに金箔を施した金銅製になります。

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それでは早速・・・待ちに待った瞬間です。

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本殿内部は撮影禁止のため、こちらでご紹介。
左下の丸写真が黄金の雨樋です。今でも文字通り黄金色に輝き、内殿と外殿の相の間を東西に貫いていました。拝観できて感激です。

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西総門周辺の信長塀

当春三月、下遷宮ありて、程なく、社頭・宝殿、葺合せ、築地・楼門造畢せしめ、(略)
倍信長の御武運長久、御家門繁永の基なり。参詣の輩、貴賎群集をなし、弥尊み拝呈す。八月中旬まで、九ケ月に成就せしめ畢んぬ。
(同)

或いはこちらの築地塀も、信長の肝煎りで進められた天正8年の遷宮の折に造営されたものかもしれません。

※また、「信長公記」を読む限りは信長自身がこの時、実際に石清水八幡宮を訪れたようには書かれていませんが、当社の編年史には;
天正八年八月 織田信長参拝ス
という記録も残っているそうです。

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ところで石清水八幡宮の鎮座する男山、南北朝時代に後村上天皇が陣所として使われた城跡でもあるようで、東側の斜面には横堀のような痕跡も見受けられました。

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帰りは裏参道伝いに下山します。

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安居橋
慶応4年の鳥羽伏見の戦いで一度焼失しています。

・・・という訳でこの後は、鳥羽伏見最終戦・橋本の戦い跡地をめぐります。

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