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2016年7月14日 (木)

姉川合戦に於ける信長軍の戦闘方向について

六月廿八日、卯の刻、丑寅へむかつて御一戦に及ばる。
(信長公記 巻三「あね川合戦の事」より)

これは元亀元年6月28日に勃発した姉川合戦の、開戦時の状況を描写した「信長公記」の一節です。
この合戦に於ける両軍の布陣を地図に落とし込むと、以下のようになります。

001
「信長公記」に記された丑寅とは北東の方角になります。
しかし両軍の配置を見た時、浅井勢と対峙した織田軍にしろ、朝倉勢にあたったという徳川軍にしろ、地図で見る限りはどうしても戦闘方向が北東にはなりそうもなく、ずっと疑問を抱いていました。
ところが先日、「信長軍の合戦史」(吉川弘文館)に収められている太田浩司氏の「姉川合戦と戦場の景観」を拝読し、その疑問に一筋の答えを見出した思いがしました。

文中、尾張徳川家の旧蔵書を収めた蓬左文庫に伝来する姉川古戦場を描いた古絵図が掲載されているのですが、それを見ると朝倉勢が布陣した三田村の東から、浅井勢の野村南方にかけての姉川の北岸に小山、或いはのようなものが描かれているのです。
姉川ノ広サ二町余、但シ昔ハ龍鼻之山岸ヨリ野村ノ高岸此間皆河原也、今ハ川ヨケヲ仕ルニ付テ、川ノ流レ如此北ヘヨリ
との注釈も付されていて、野村の付近がやはり高岸になっていたことがわかりますし、合戦当時は信長が横山城包囲の本陣を置いていた龍ヶ鼻のすぐ近くまで、姉川の河原が迫っていたことが記されています。
明治期の地籍図で確認すると、姉川の南岸に沿った部分だけ耕地の区画が不規則になっていて、やはりかつては河原だったものと推定されるそうです。

これらの情報を先ほどの地図に落とし込むと、次のようになります。

002
薄い水色で塗った部分が姉川の河原で、茶色は高岸)です。
ここから見えてくるもの・・・野村に布陣した浅井軍は、高岸に阻まれてそのまま南下することはできませんから、少し東へ迂回して信長の本陣と対峙したのではないでしょうか。

003
このようにして・・・
河原周辺の平地は明治期の地籍図でも区画が整然と並んでおり、合戦当時にも田畑が広がっていたものと思われます。
そして前出の古絵図にも「三田村・野村・佐野村ノ辺合戦何レモ田ニ足不入」とある通り、互いにわざわざ足を取られる田圃に踏み入るようなことはせず、この広い河原で相まみえたことでしょう。

このように見ていくと、織田軍は見事に丑寅へむかつて攻めかかったことになり、「信長公記」の記述にも一層、信憑性が増してくるのです。


※ちなみに太田氏の論述では開戦へ至る経緯についても触れられており、曰く;
大依山に陣取った浅井・朝倉連合軍が(合戦前日の)六月廿七日の暁、陣払ひ仕ったため、織田勢は(浅井・朝倉連合軍が)罷り退き侯と存じ侯のところ、廿八日未明に三十町ばかりかゝり来たり、とあり、織田・徳川連合軍は完全に不意を衝かれていると思われる。
その証拠として開戦当初、織田勢では信長の馬廻や、僅かに西美濃三人衆のみが浅井の軍勢と戦っていることが「信長公記」や、合戦当日に信長自ら認めた書状(足利義昭側近宛)にも記されてる点を挙げられています。
(書状には他に、徳川家康と先陣をめぐって争った丹羽長秀・池田恒興を、徳川軍に付けて共に朝倉勢にあたらせた旨も書かれている)

私も同意で、多くの有力武将の名前がまるで出てこないあたりに、不意を衝かれて背後を取られ、南方の横山城包囲の後方に布いたはずの本陣(龍ヶ鼻)が、突如として合戦の最前線に立たされた事情が垣間見えるように思えます。
※現地には戦闘のさなか、信長の本陣に紛れ込んできたところを、竹中重矩に討ち取られたという遠藤直経の墓がありますが、戦闘開始時の信長本陣と伝わる陣杭の柳の300mも後方に位置しています。
この辺りにも、奇襲を受けて押し込まれる信長の苦境を現しているようで、とても興味深いです。

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コメント

こんにちは。
姉川合戦の「丑寅」の方角については、以前、拙著『織田信長』でも疑問を呈し、浅井勢が東に回り込んだ可能性を指摘していたのですが、姉川北岸に高い崖があったとは知りませんでした。浅井勢は正面から攻めようにも攻められなくて、東側に回り込むしかなかったというわけですね。
貴重な情報有難うございました。

投稿: 桐野作人 | 2016年7月16日 (土) 10時22分

桐野作人様
ご訪問ありがとうございます。
たまたま太田浩司先生の、合戦当時の河原の範囲や地勢に関する論考を拝読しているうちに、だからやはり回り込んでいたのか!と思いつき、勢いで自分なりの推論として書かせていただきました。
まさか桐野先生にお読みいただき、コメントまでお寄せいただけるとは…大変に光栄です、ありがとうございます!

投稿: しみず@管理人 | 2016年7月16日 (土) 12時46分

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