橿森神社(御園の榎)
坂祝から岐阜市内に戻り、次に向かったのは・・・

橿森神社です。

鳥居前の大木は御園の榎。
永禄十年に美濃を制圧した織田信長が「楽市楽座」の制札を与えた上加納村御園の、市神が祭られていた榎の三代目にあたり、明治の道路改修工事に際して現在地に移植されました。
宝永三年の古地図にも「御園には市立 市神として今に榎あり」と記されているそうです。

境内には京都から分霊勧請された建勲神社(岐阜信長神社)も鎮座しています。

橿森神社の石鳥居と、奥に拝殿。
背後の上加納山には・・・

神人が駒に乗り、この地に降り立ったとの伝説に由来する「駒の爪」。

ちなみに橿森神社前を横断するこちらの道は、御鮨街道。
長良川の鵜飼で獲れた鮎で作った鮎鮨を、江戸の将軍家へ献上するための輸送路として使われた街道なのだそうです。
この後は円徳寺にも寄ってから一度ホテルにチェックイン…夜の鵜飼に備えました。
※円徳寺についてはコチラの記事を参照ください。
(楽市楽座についても記載しています)

橿森神社です。

鳥居前の大木は御園の榎。
永禄十年に美濃を制圧した織田信長が「楽市楽座」の制札を与えた上加納村御園の、市神が祭られていた榎の三代目にあたり、明治の道路改修工事に際して現在地に移植されました。
宝永三年の古地図にも「御園には市立 市神として今に榎あり」と記されているそうです。

境内には京都から分霊勧請された建勲神社(岐阜信長神社)も鎮座しています。

橿森神社の石鳥居と、奥に拝殿。
背後の上加納山には・・・

神人が駒に乗り、この地に降り立ったとの伝説に由来する「駒の爪」。

ちなみに橿森神社前を横断するこちらの道は、御鮨街道。
長良川の鵜飼で獲れた鮎で作った鮎鮨を、江戸の将軍家へ献上するための輸送路として使われた街道なのだそうです。
この後は円徳寺にも寄ってから一度ホテルにチェックイン…夜の鵜飼に備えました。
※円徳寺についてはコチラの記事を参照ください。
(楽市楽座についても記載しています)
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