紀州街道山中宿

旅の道中、紀州街道山中宿にも立ち寄りました。

紀州街道は熊野街道の名でも呼ばれていました。

紀州街道山中宿

山中宿本陣跡

とても江戸情緒の残る風情です。

山中宿のすぐ南には関所跡があり・・・

更に紀州街道を2kmほど南下した境川に架かる境橋には、日本最後の仇討ち場の碑があります。
安政4年(1857)に父を斬り殺された広井岩之助は、幕府から仇討ちの免状を得て、紀伊加太に潜んでいた仇(棚橋三郎)を発見します。
そこで紀州藩に仇討ちの許可を申請すると、紀州藩からは、三郎を国払いとして境橋より追放するので、和泉川側に出たところですべし、との回答を得ます。
ここは「境川」「境橋」の名が示す通り、紀伊と和泉の国境。
(じゃあ、和泉側の許しを得ないと駄目じゃん?とも思うけど・・・)
文久3年(1863)、境橋で三郎を待ち受けた岩之助は、見事本懐を遂げました。これは、日本で許された最後の仇討ちと云われています。

仇討のあった和泉(大阪府)側から見た境橋(…と、電車を待ち受ける鉄ww)。
橋を渡った先は和歌山県(紀伊)。

また、紀州街道を北へ下った大阪府阪南市の波太神社境内に祀られている鳥取神社は、元は山中宿に祀られていたもので、峠越えをする旅人が健脚祈願をしたことから「足神さん」と親しまれてきたのだそうです。
| 固定リンク
「お城、史跡巡り 近畿」カテゴリの記事
- 安土城、他(2023.05.28)
- 石山寺(2023.05.27)
- 養源院、金地院、南禅寺、他(2023.05.26)
- 妙覺寺の特別拝観(2023.05.25)
- 六波羅蜜寺、等持院(2023.03.07)
コメント