紀三井寺

紀三井寺
宝亀元年(770)の創建と伝わります。元々は真言宗山階派に属していましたが、1948年に独立して救世観音宗総本山を名乗ります。
天正13年、紀州征伐に乗り出した羽柴秀吉は、根来寺を制圧した後に雑賀にも攻め寄せますが、紀三井寺に対しては禁制を与え、自身も参拝に訪れたと云います。

結縁厄除坂
この前日に訪れた紀州東照宮の108段の石段も凄かったけど・・・こちらは1枚目の写真にある楼門下の石段も含めると231段!
途中にいくつか踊り場のような場所があり、男女の厄年(25・33・42)と還暦の段数で区切られているそうです。

石段の途中には、寺名の由来にもなった三井水の一つ「清浄水」

それにしても見事な石垣です。

雨で滑りやすい中、どうにか登りきって振り仰ぐ眺め。
写真中央やや右寄りに雑賀城で、右ヘ順に紀州東照宮、弥勒寺城。

大千手十一面観世音菩薩像(平成25年落慶)
総漆金箔寄木造りで、木造の立像仏としては国内最大なのだとか。

天正16年(1588)建立の鐘楼

そして本堂(宝暦9年/1759)・・・木に隠れて見えない(笑)

本堂では内陣も拝観させていただきました。

そして、私が紀三井寺を訪れた一番の理由・・・それは本堂横の石段を登った先にあります。

石段を登ると多宝塔
文安6年(1449)建立。

多宝塔と並ぶ開山堂前の坂を更に登ります。
この辺りから墓域に入ります。しばらく進み、最も奥まった辺りに・・・

佐々木只三郎の墓所があります。
幕末、京都見廻組を率いた幕臣で、近江屋での坂本龍馬暗殺の指揮を執ったとも云われる人物です。
慶応4年(1869)1月、山崎~楠葉での新政府軍との戦闘(参照記事)で被弾し、敗走した当地で死去しました。

墓石の側面には、その戦死に至る経緯も刻まれています。
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