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2016年10月11日 (火)

大光寺旧総門の弾痕

10月10日、ちょっと天候も回復した祝日に、埼玉と群馬の県境辺りへ気晴らしにドライブしてきました。

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まずは埼玉県上里町にある大光寺へ。

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大光寺境内

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見透灯篭
近くを流れる神流川の渡し場に、夜間の道標として設置されていたものです。明治になって大光寺へ移設されました。

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また、大光寺境内地は武蔵七党の流れを汲む勅使河原氏の居館跡でもあったようです。
大光寺はその勅使河原氏によって、建保3年(1215)に創建されています。

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勅使河原直重・貞直・光重父子の墓と伝わる親子地蔵(左)と、室町期の勅使・藤原何某の供養石幢(右)

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こちらは大光寺を創建した勅使河原有直を祀る開基廟

館跡なら土塁でも残っているのでは?と思い、周囲を探ってみると・・・
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お!?と思わせる雰囲気がありましたが、立て看板には;
旧境内地
明治四十二年四月高崎線の排煙にて焼失
これより北に江戸時代からの大光寺伽藍があった。「土塁」あとではない

とご丁寧に書かれていました…(;^ω^)

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しかし、大光寺を訪れた一番の目的はこちら・・・本堂裏に移設されている旧総門です。

上里町一帯は天正10年(1582)6月、本能寺の変による織田信長の横死をきっかけに織田方の滝川一益と、それまでは織田家と協調関係にあった北条家との間で起きた神流川の戦いの舞台となっています。
※神流川の戦いについてはコチラを参照

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大光寺の旧総門は鎌倉期の創建
神流川の戦いで大光寺は、殆どの伽藍を焼失(明治42年に高崎線の排煙で焼失したという伽藍は、その後に再建されていたもの)していますが、この総門だけは辛うじて延焼を免れました。
しかしその柱には、この時の戦いによるものと伝わる銃弾痕が残っていたのです。

その痕跡をしっかりと目に焼き付け、次は群馬県太田市に点在する新田荘遺跡をめぐります。

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