「信長の馬・秀吉の馬」展(馬の博物館)

横浜市中区根岸台に建つ馬の博物館

2016年度の秋季特別展信長の馬・秀吉の馬を拝観してきました。
馬の頭部を保護する馬面や、金箔で装飾された馬鎧などの馬具に限らず、
甲冑・刀剣・武具類(木瓜紋が装飾され、裏に「天文十八年 己酉正月吉日 織田持用」と書かれた革箙など)、
織田信長や豊臣秀吉らの周辺での馬の贈答に関する書状や、馬に関連する記述のある様々な古文書類(名古屋市博物館蔵版の信長公記も)
などが豊富で、規模は小さい割にとても興味深く見学させてもらいました。
毎年5月に競馬神事を催行している上賀茂神社(賀茂別雷神社)に関連する文書類も多く、中でも;
・天正2年(1574)に織田信長が賀茂競馬を見物に来た際の支出を記録した就信長御見物職中算用状(複製)
・本能寺の変翌日の天正10年6月3日に明智日向(光秀)へ1貫文を進上したのを皮切りに、弥平次(明智秀満)、内蔵助(斎藤利三)と続き、その後、御礼進上が御屋形様(不明…三法師?)、筑前殿(羽柴秀吉)、三七殿様(織田信孝)、五郎左衛門尉殿(丹羽長秀)、長束新三郎(正家)、池田勝三郎(恒興)、堀久太郎(秀政)へと移っていく乱入方職中算用状(六月晦日付/重要文化財)
の2点が目を惹きました。
特に後者は、本能寺の変(6月2日)から山崎合戦(同13日)へと続く京周辺での激動の歴史の舞台裏で、保全と生き残りを計る人々の葛藤がダイレクトに伝わってくるようで興奮しました。
私は今年(2016)の5月、賀茂競馬を見物してきました(関連記事)が、その際、これら賀茂別雷神社文書も公開されていたのに、混雑や競馬の催行時間などの兼ね合いで拝観叶わなかったので、尚更嬉しかったですね。
購入した図録も、展示品の一つ一つを写真と解説文で丁寧に掲載しているだけではなく、巻末には文書類の翻刻も掲載されている充実ぶりで、しかもたったの500円。
わざわざこの特別展のためだけに、電車で片道1時間半もかけてやって来ただけの甲斐はある、満足度の高い展示でした。
※なお、目玉展示の一つに馬の頭部をあしらった朱印が捺された織田信長伝馬朱印状がありました。
相模の使者へ伝馬7頭を供出することを命じたもので、同じ時期に滝川一益に対し、下野の皆川からの使者を相模へ送って彼地へ着くように手配し、その旨を相模(北条家)にも連絡するように命じた信長の朱印状も残っていることから、この伝馬朱印状も信長のものと推定されているようです。が・・・
信長の印判では他に例のない形で、しかも徳川家康の頭越しに三遠の宿中に宛てていることからも、これを信長の朱印状とすることには少し疑問を感じてしまいます。

なお、馬の博物館はご覧のような高台の上に建っており、根岸駅から歩くとこの断崖を登ることになりますので、歩く際はほぼ同距離にある隣の山手駅からをお薦めします。
(それでも多少は登りになりますが…)
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