賤機山城、竜雲寺(寿桂尼墓所)…今川氏オフ②
今川氏オフ初日。
午前の臨済寺拝観を終え、午後は賤機山城へ。

賤機山へは静岡浅間神社からアプローチします。

南北に細長く伸びる尾根を最南端から登り、しばらくは北へ向かって尾根道を進みます。
途中、午前に拝観した臨済寺を見下ろすこともできます。

尾根上を15~20分ほども進み、観音像の立つピークを越えた先に現れる堀切。
ここから北側に、賤機山城の城域が続きます。
なお、賤機山城に関しては前回訪問時の記事にもUPしていますので、今回は重複する部分はサクッと流します。

賤機山城主郭

主郭北側の尾根に続く2段ほど削平地。
前回は日没の関係でここで引き返していますので、今回は更に進みます。

途中、西側へ大きく落とされた竪堀もありましたが・・・写真だと何のことやら(;^ω^)

城域北端は畑に。
この手前にも小さな堀切がありました。

下山後は、浅間神社境内に建つ静岡市文化財資料館にも立ち寄り、今川氏ゆかりの地を紹介した映像などでお勉強。
写真は駿府城公園に建つ銅像と同じ型で鋳造された徳川家康像・・・間近で見ると思っていた以上の大きさ。

午前の臨済寺拝観を終え、午後は賤機山城へ。

賤機山へは静岡浅間神社からアプローチします。

南北に細長く伸びる尾根を最南端から登り、しばらくは北へ向かって尾根道を進みます。
途中、午前に拝観した臨済寺を見下ろすこともできます。

尾根上を15~20分ほども進み、観音像の立つピークを越えた先に現れる堀切。
ここから北側に、賤機山城の城域が続きます。
なお、賤機山城に関しては前回訪問時の記事にもUPしていますので、今回は重複する部分はサクッと流します。

賤機山城主郭

主郭北側の尾根に続く2段ほど削平地。
前回は日没の関係でここで引き返していますので、今回は更に進みます。

途中、西側へ大きく落とされた竪堀もありましたが・・・写真だと何のことやら(;^ω^)

城域北端は畑に。
この手前にも小さな堀切がありました。

下山後は、浅間神社境内に建つ静岡市文化財資料館にも立ち寄り、今川氏ゆかりの地を紹介した映像などでお勉強。
写真は駿府城公園に建つ銅像と同じ型で鋳造された徳川家康像・・・間近で見ると思っていた以上の大きさ。

この日ラストは竜雲寺へ。

竜雲寺は今川義元の母で、氏親(夫)・氏輝(子)・義元・氏真(孫)の4代に渡って今川家の政務を補佐し、女戦国大名とも称された寿桂尼の菩提寺です。
写真の板碑中央に見えるのは、彼女が用いていたと云う「歸」(とつぐ)の印判。

その寿桂尼墓所への道は、結構な藪り具合・・・(;・∀・)
先駆けの六文銭が走る(笑)

あの先に・・・

寿桂尼墓所
彼女は死に際し、永く今川家を守護することを願い、今川館の鬼門に建つ竜雲寺に葬るよう遺命したと云われています。
左右いずれの五輪塔(或いはこれらの背後にある小さな石塔)が寿桂尼のものか、今となっては定かではないらしいです。
さて、今川氏オフも初日はこれにて終了。

この後は一旦宿へ入り、静岡駅前で懇親会☆
2次会から〆のラーメンまで、楽しく飲み・食べ・語り、そして・・・酔いました(笑)

夜、街中を歩いていると偶然通りかかったので・・・
徳川慶喜屋敷跡「浮月楼」
オフ会は2日目へ・・・

竜雲寺は今川義元の母で、氏親(夫)・氏輝(子)・義元・氏真(孫)の4代に渡って今川家の政務を補佐し、女戦国大名とも称された寿桂尼の菩提寺です。
写真の板碑中央に見えるのは、彼女が用いていたと云う「歸」(とつぐ)の印判。

その寿桂尼墓所への道は、結構な藪り具合・・・(;・∀・)
先駆けの六文銭が走る(笑)

あの先に・・・

寿桂尼墓所
彼女は死に際し、永く今川家を守護することを願い、今川館の鬼門に建つ竜雲寺に葬るよう遺命したと云われています。
左右いずれの五輪塔(或いはこれらの背後にある小さな石塔)が寿桂尼のものか、今となっては定かではないらしいです。
さて、今川氏オフも初日はこれにて終了。

この後は一旦宿へ入り、静岡駅前で懇親会☆
2次会から〆のラーメンまで、楽しく飲み・食べ・語り、そして・・・酔いました(笑)

夜、街中を歩いていると偶然通りかかったので・・・
徳川慶喜屋敷跡「浮月楼」
オフ会は2日目へ・・・
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