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2016年10月20日 (木)

臨済寺の特別公開…今川氏オフ①

10月15~16日は今川氏オフ
静岡市や藤枝市に残る駿河の戦国大名、今川氏所縁の地をめぐるオフ会に参加させていただきました。

初日、朝9:30に静岡駅で集合し、まず向かった先は臨済寺
すると・・・?

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なんと、いきなり今川さんがお出迎えしてくれました☆
この日は年に2日(今川義元命日の5/19と摩利支天祈祷会の10/15)しかない臨済寺の特別公開日
幸運にも今年(2016)は、10/15が土曜日に当たったためにオフ会もこれに合わせて企画されたのですが、折角の日に今川さんも頑張って出張してくれたようです♪

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臨済寺今川氏親が、出家させた子・栴岳承芳(後の今川義元)のために京の妙心寺から太原崇孚雪斎を招き、自らの母・北川殿の別邸跡に建立させた善徳院がその前身です。
その後、氏親の後継・氏輝が天文5年(1536)に急死すると、その跡目を巡って勃発した花蔵の乱を制して家督を継承した義元は、兄・氏輝を善徳院に葬り、名を臨済寺と改めました。

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さすがに年2回の特別公開日、それも週末の土曜日とあってかなりの混雑ぶり。

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臨済寺境内。左が本堂(大方丈)です。

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順路に従って座禅堂から拝観し、続いてお隣の開山堂へ。
開山堂では雪斎の木像とご対面。右奥は雪斎の師にあたる開山・大休宗休像。

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本堂の前廊にでーんと広げられた、山岡鉄舟の書。
幕末、江戸無血開城に先立って鉄舟が、征討大総督府参謀の西郷隆盛との交渉に当たったのが駿府の地でしたし、彼は維新後には徳川宗家16代の家達に従って一時期、駿府に移り住んでもいます。

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本堂内では雪斎(写真)や今川義元、徳川慶喜らの書が至る所に掲げられ・・・

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今川義元の木像にも拝観叶いました。
右は義元の兄・氏輝。

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更には、貴重な古文書の数々も。
今川義元の判物は無論のこと・・・

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義元嫡子・氏真や・・・

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その氏真を追いやって駿河を奪うことになる武田信玄の判物まで・・・。
それこそ「所狭し」といった感じで並べられていました。
※「林済寺」と表記されることも多かったようですね。

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展示品の中には、雪斎の陣中袈裟まであったり・・・。
左奥には竹千代(徳川家康)使用の硯も。

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その竹千代の手習いの間
師は勿論、雪斎と伝わっています。

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茶室・夢想庵は、整理券まで配るほどの混雑で断念。

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最後に墓所へ。
臨済寺2代目住職、太原崇孚雪斎のお墓。

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そして、今川家廟所。
今川氏輝を中心に、今川家関係者が祀られています。
影になっていますが、左手前は義元夫人のお墓。

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更に中村一氏夫妻の墓所も。
一氏は天正18年(1590)の小田原北条氏滅亡後、関東へ移封となった徳川家康の跡を受け、豊臣秀吉の命で駿府に入国しています。
中村家の駿府統治は、慶長5年(1600)の関ケ原合戦後の論功まで続きました。
(関ヶ原での功績により、中村家は米子へ加増移封)

いつかチャンスがあれば拝観したいと願っていた臨済寺の特別公開。
想像以上の寺宝の数々に驚かされました。

今川氏めぐり=雪斎めぐりでもある…そう思わせるに充分な、オフ会のスタート。
この後は近くのお店で蕎麦をいただき、午後は賤機山城へ登ります。

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