« 八幡神社(敦賀市)…城友会2016② | トップページ | 国吉城…城友会2016④ »

2016年11月25日 (金)

金ヶ崎城、手筒山砦、敦賀城…城友会2016③

城友会2016、初日後半も引き続き敦賀市内をめぐります。

20161119d01
金崎宮境内に建つ金ヶ崎城址
金ヶ崎城は元亀元年(1570)の金ヶ崎の退き口でも有名ですが、それより遡ること230年余り、建武3年(1336)には恒良・尊良の両親王を奉じた南朝方の新田義貞が拠り、足利尊氏が派遣した軍勢と戦った地でもあります。
※金ヶ崎城・手筒山砦には2度目の訪問になりますので、今回はさらっと流します。金ヶ崎城の詳細、及び「金ヶ崎の退き口」については、以下の記事を参照ください。
金ヶ崎の退き口(前篇:手筒山攻撃~浅井長政の離反)
金ヶ崎の退き口(後編:撤退開始~朽木越え)

20161119d02
金崎宮から城山を登り始めるとすぐ、その尊良親王の御陵墓見込地の碑が建っている場所があります。
金ヶ崎城に拠った南朝方の抵抗もむなしく、翌1337年3月には落城します。
新田義貞は城を脱していましたが、尊良親王は義貞の子・義顕と共に自害して果てました。(恒良親王は捕縛される)
なお、金崎宮は恒吉・尊良両親王を祀っています。

20161119d03
尊良親王御陵墓見込地碑は高い土塁のような場所に建っており、その足元を覗くと・・・郭のようにも見えました。

20161119d04
金ヶ崎城主郭に建つ古戦場碑
書かれている内容は一見したところ、南北朝時の金ヶ崎城の戦いに関するものでした。

20161119d05
主郭、月見御殿跡
元亀元年、当城を落とした織田信長もおそらく、ここに一時的に本陣を移しています。

20161119d06
金ヶ崎城から尾根続きに、途中3本ほどの堀切を見ながら手筒山(天筒山)を登ります。

20161119d07
こちらも堀切の底。

20161119d08
手筒山展望塔からの眺め。
こちらは金ヶ崎の退き口の折、朝倉の軍勢が進攻してきた木ノ芽峠方面

20161119d09
時計回りに南へ目を転じると、浅井長政の軍勢が敦賀に姿を現した場所(高架の架かっている辺り)に・・・

20161119d10
信長が撤退していった関峠方面も一望のもと。
ここからの光景は、何度見ても興奮します。

20161119d11
手筒山から見下ろす金ヶ崎城と敦賀湾。
帰りもあの尾根の先端まで歩いて下山します。

20161119d11a
さて、次に向かったのは敦賀城跡に建つ真願寺
最近リホーム?したらしく、1年半前に訪れた時とは雰囲気がだいぶ変わっていました。

20161119d12
本堂も・・・

20161119d13
本堂前に安置されている敦賀城の礎石

20161119d14
真願寺のすぐ脇には、敦賀城の堀跡も。

20161119d15
市立敦賀西小学校前に設置された石碑。

20161119d16
その石碑から続くこちらの路地は、旧若狭街道です。

さて、これにて初日の行程は終了です。
この後は一旦ホテルに落ち着き・・・

20161119d17
敦賀駅前のお店で懇親会♪

20161119d18
初日の城攻めを慰労して・・・カンパーイ☆

20161119d19
美味しい海の幸に舌鼓を打ちました♪
そして宴は、城友会恒例のカラオケへ・・・

ホテルに帰りついたのは、深夜12時を回っていたかな?
毎度のことですが、城友会はカラオケが一番疲れる(笑)

|

« 八幡神社(敦賀市)…城友会2016② | トップページ | 国吉城…城友会2016④ »

お城、史跡巡り 北陸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 八幡神社(敦賀市)…城友会2016② | トップページ | 国吉城…城友会2016④ »