刀根坂…城友会2016 プロローグ
5年連続での参加となった城友会。
チャラくてゆる~い、それでいてちょっぴりハードな今年の城攻めは、米原で集合して北上し、琵琶湖の周囲を反時計回りにめぐるルート。
全員集合~出発後、私の希望でちょっと寄り道をしてもらいました。
福井県との県境付近、柳ケ瀬の追分。
チャラくてゆる~い、それでいてちょっぴりハードな今年の城攻めは、米原で集合して北上し、琵琶湖の周囲を反時計回りにめぐるルート。
全員集合~出発後、私の希望でちょっと寄り道をしてもらいました。
福井県との県境付近、柳ケ瀬の追分。
3年前にも訪れてコチラの記事で詳しく触れていますが、近江から北上して中河内~福井市方面へと続く北国街道(右:中野河内口)と、刀根~疋田(疋壇)を経由して敦賀へ抜けるルート(左:刀根口/引壇口)との分かれ道です。
天正元年(1573)、越前朝倉氏を滅亡に追い込む織田信長の追撃戦に於いては、重要なキーポイントにもなっています。
※( )内の青文字は「信長公記」より引用。
撤退する朝倉義景は、ひとまず疋壇城を目指して左の刀根口を進むのですが、追ってきた信長にその選択を見破られ、朝倉勢はこのすぐ先の刀根坂で織田の軍勢に激しく攻めたてられます。
追分には、その刀根口の街道に向いて石仏も安置されていました。
車で少し移動し、刀根坂へ向かいます。
柳ケ瀬の追分から続き、刀根坂(刀根越え)の峠に差し掛かった旧道。
刀根坂峠
一般には「久々坂峠」、或いは「倉坂峠」とも呼ばれるようです。
峠は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで、佐久間盛政が布陣した行市山への分岐点にもなっているようです。
刀根坂の切通道
峠を越えるとすぐ、旧道は刀根へ向かって下っていきます…まさに刀根坂。
逃げる朝倉勢を一気呵成に追い崩す信長の軍勢・・・こっそり妄想に耽った瞬間。
ちなみに刀根坂峠から北へ向かって斜面を登っていくと、賤ヶ岳合戦で柴田勝家が本陣として築いた玄蕃尾(内中尾山)城があります。
・・・という訳で、城友会2016最初のお城は玄蕃尾城です。
※柳ケ瀬から県道144号を進み、柳ケ瀬隊道のトンネルを刀根側へ抜けると、すぐ右手に林道入口があります。この林道を2kmほど登って駐車スペースに車を停め、山道を徒歩で登ると刀根坂の峠に至ります。
玄蕃尾城へのアプローチに利用したのですが、刀根口の旧道に直結していますので、この林道も往時の旧道をベースに整備されたものかもしれません。
つづく(笑)
※おまけ
刀根坂を登る男性陣。
追いかける織田勢、というより・・・逃げのびる朝倉勢といった風情…か。
(写真提供:しろうさぎさん)
天正元年(1573)、越前朝倉氏を滅亡に追い込む織田信長の追撃戦に於いては、重要なキーポイントにもなっています。
※( )内の青文字は「信長公記」より引用。
撤退する朝倉義景は、ひとまず疋壇城を目指して左の刀根口を進むのですが、追ってきた信長にその選択を見破られ、朝倉勢はこのすぐ先の刀根坂で織田の軍勢に激しく攻めたてられます。
追分には、その刀根口の街道に向いて石仏も安置されていました。
車で少し移動し、刀根坂へ向かいます。
柳ケ瀬の追分から続き、刀根坂(刀根越え)の峠に差し掛かった旧道。
刀根坂峠
一般には「久々坂峠」、或いは「倉坂峠」とも呼ばれるようです。
峠は天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで、佐久間盛政が布陣した行市山への分岐点にもなっているようです。
刀根坂の切通道
峠を越えるとすぐ、旧道は刀根へ向かって下っていきます…まさに刀根坂。
逃げる朝倉勢を一気呵成に追い崩す信長の軍勢・・・こっそり妄想に耽った瞬間。
ちなみに刀根坂峠から北へ向かって斜面を登っていくと、賤ヶ岳合戦で柴田勝家が本陣として築いた玄蕃尾(内中尾山)城があります。
・・・という訳で、城友会2016最初のお城は玄蕃尾城です。
※柳ケ瀬から県道144号を進み、柳ケ瀬隊道のトンネルを刀根側へ抜けると、すぐ右手に林道入口があります。この林道を2kmほど登って駐車スペースに車を停め、山道を徒歩で登ると刀根坂の峠に至ります。
玄蕃尾城へのアプローチに利用したのですが、刀根口の旧道に直結していますので、この林道も往時の旧道をベースに整備されたものかもしれません。
つづく(笑)
※おまけ
刀根坂を登る男性陣。
追いかける織田勢、というより・・・逃げのびる朝倉勢といった風情…か。
(写真提供:しろうさぎさん)
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